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第一章:九話 魔物として

凄惨な描写があります。

苦手な方はご注意ください。

       ◇         ◇          ◇


「クソがあああぁぁっっ! クソがクソがクソがっっ!」


 人狼は左腕を怒りに任せて振り回し、振り下ろす。壁面が砕け、地面は悲鳴を上げる。腕を振る風圧だけで、人間くらいなら切り刻めそうだ。


 古木は右手で顔の右半分を抑えている。抑える右掌の奥からは赤い血が流れ続けていた。


「っう!」


 抑えていた右手を離す。いまや片方だけになった眼で自身の右手を見ると、べったりと血液や組織片がこびりついていた。右手についた血液が腕の傾きや重力の働きによって広がると、それによって古木の怒りも増大する。


「クソがぁっ! あの、クソデブがぁっ! クソが! クソッタレがぁっ! ぜってぇ許さねえ。引き千切って踏み潰して殴り砕いて嚙み裂いてぶちっっ殺してやるぁっ!」


 人狼の強靭な足で、感情に任せて地面を蹴る。何度も何度も蹴る。地面は砕け、生じた穴は蹴られるたびに深く巨大になっていく。


 古木の脳細胞は怒りと屈辱とで沸騰していた。


 ゴブリンのような、取るに足らないクソ雑魚に手傷を負わされたことも、まんまと逃げられたこともだ。いや、それにしたところで、ここまで激昂するのはおかしな話だ。どんなに弱くとも、相手も魔物。逃げおおせるだけの力があっても不思議ではないのだから。


 つまるところ、古木がなによりも気に食わないのは、常盤平一騎が、自分に、噛みついたことに他ならない。


 常盤平一騎は自分よりも下だ。そう確信している。体力で大きく劣り、キモデブオタクと蔑まれ、転生しても雑魚にしかなれなかった。古木の前では血と涙と小便を垂れ流して、へつらうための薄ら笑いを浮かべるしかなかった底辺野郎。殴りたいときに好きなだけ殴り、または蹴り、または投げ飛ばし、当然のように金を巻き上げてきた。


 自分たちの間には明確な上下関係があったのではなかったのか。古木が上で常盤平一騎が下。決まりきっていたことではなかったのか。古木が殴れば一騎は恥も外聞もなく泣き叫んで、涎も涙も血も撒き散らして、無様に這いつくばらなければならないはずだ。


 それなのに、こともあろうに、あのキモデブは反撃してきた。あまつさえ一生ものの傷を負わされたとあっては、もはや絶対に断じてなにがあっても許すことも逃がすこともできない。


 必ず、引き裂き殺すと誓った古木が雄叫びを上げる。


「あのクソデブ雑魚野郎がぁ、逃がしゃあしねえぞ。嬲り殺しにしてや……ああ?」


 殺意に塗り固められた追跡の決意に水を差すタイミングで、近付いてくる音が聞こえてきた。足音だけでなく、引きずっている感じの音も混じっている。足音の間隔は不規則で、漏れてくる呼吸も荒く早い。古木にはこの足音の主が手負いであることがわかった。


「!」

「ふ、ふぅ、古木……いぃ……」


 洞窟の暗闇の奥から現れたのは人狼、傷ついた越田だった。凄まじいダメージを負っている。腕の爪は折れていて、右側頭部も大きく陥没している。特に喉の傷は動けていることが信じられないほど、誰の目にも明らかな重症だ。


「頼、むぅ……ぜ、はぁ、古木ぃ……助けてくれ……ぇ」

「越田」


 人間だった頃からの、中学生時代からの付き合いの友人に古木が抱いた感情は、どうしようもない苛立ちだった。


「越田ぁ、てめえはもう一匹の雑魚を追いかけてたんじゃねえのかよ? ここに来たってことはぶち殺したってことだよなあ?」

「ぅぁ、そ、れ……は」

「負けて! 逃げてきやがったのか、ああっ!?」


 古木の右足が地面を踏み砕く。古木の左目は音がしそうなくらい強く、越田を睨み付ける。あまりの眼光の鋭さと強さに、越田は二歩三歩と後ずさり、バランスを崩して尻もちをついた。


「越田、てめえ」

「ち、ちぃ違……待ってく、っれ。ちょっ、油断しちまっ……だけなんだ。このケガぁ治った、らすぐに殺……してくる。だから古木……頼む、待って、くれ」


 必死に手を振って哀願する越田に、古木の視界が真っ赤になる。うねり続けてきた怒りの濁流が遂に、最後に残っていた理性を飲み込んだのだ。


「があああぁぁっ!」


 我慢の限界だった。越田のような奴とつるんでいたことが古木には許せなかった。雑魚と決めつけた相手に敗れてのこのこ帰ってくる様が、なにより許せなかった。


 古木の行動は相当に予想外だったのだろう、越田は「ぇへ」と間抜けな声を出すだけで動くこともできなかった。古木が越田の右腕を掴む。


「がぁっ!」


 古木は力任せに友人の右腕を引き千切る。ブチブチブチと音がして、越田の右腕は肘から先を失った。


「ひぃやああぁぁへひゃうはあぁべぶぅっ!?」


 悲鳴を上げる越田の顔面を殴る。股間を蹴り上げる。爪で腹を裂く。倒れた越田の右足に噛みつき、一気に食い千切った。獣人の太く頑強な骨ごと噛み砕き、嚥下する。


「?」


 ドクン、と自らの体の奥底でなにかが大きく脈動したかの感覚を古木は覚えた。得体のしれない、しかし非常に心地良い感覚。感覚の正体はわからない。だがこの感覚をもたらしたものがなんであるかは理解した。転生による影響か、凄まじく簡単に理解できたのだ。


 食い殺す。


 相手の血や肉や骨と一緒に、魔力を取り込む。


 古木の目は血走り、口角からは涎が滝のように流れ始める。


 ああ、どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのか。すぐ近くにこんなに魅力的な餌があったのに、どうして見逃してしまっていたのか。


 古木の顔は愉悦と歓喜に奇怪なほどグニャリと歪んだ。


「越田ぁ」


 古木は中学以来の友人を見下ろす。


 友人としてではなく、餌として。


 自分を強くするための材料として。


 自分に向けられる越田の絶望と恐怖に満ち満ちた顔が、極上の料理にしか見えなかった。


 古木は口を大きく開け、越田の腹に牙を立てる。ぞぶり、の音と共に、口腔に血と肉の味が広がる。血と肉が喉を通り過ぎるたびに、古木の全身に力が行きわたる。


 越田の肩に噛みつく。一噛みで食い千切る真似はせず、少しずつ顎に力を入れていくと、越田が絶叫を震わせて体を捩る。敗者の弱者の叫びは古木を大いに満足させる。


 どこからか、みち、みし、といった音が古木の耳に届く。魔力の取り込んだことによるものか、肉体がいつの間にか三回りも大きくなっている、のだが、古木自身は気付いた様子がない。そんなものは後回しだ。優先すべきは捕食、文字通り弱者を食い尽くして、己の力に変えることこそが重要。


「ひぃっ、ひっは、は、ひゅ……ぎゅうかっひっ、ぃ」


 越田の悲鳴は聞き苦しい、と古木は思った。今の今まで、越田が悲鳴を上げていたことにも気づかなかった古木だが、確かにこの声は聞き苦しいと思った。どうしてくれようか。古木は越田の血で赤く汚れた顔を、越田本人に向ける。


「あん?」


 古木の頭に疑問符が浮かぶ。見下ろす越田の顔がやけに小さくなっている。頭に浮かんだ疑問は食欲と力への渇望とによって消し飛んだ。代わりに浮かんだ考えは、この大きさなら一噛みで十分だ、だった。


 古木は口を大きく開ける。開けた口から血と涎の悪臭が漂う。越田も恐怖に目と口を最大限に広げるが、古木はそんな越田の顔を、頭部を口腔内に顎の中に入れ、一息に噛み砕いた。骨が砕ける音と飲み下す音。


「次はてめえだ、クソデブがぁ」


 血と涎の悪臭漂う口から、どうしようもない怨嗟の声が溢れだす。古木は自分の右目に視力が戻ったことにも気付いていなかった。


       ◇         ◇          ◇

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