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プロローグ

「あ~、もう、さっさと着いてくれねえかっと、なぁ」


 常盤平一騎は周囲に気付かれない程度の声量で陰気に呟く。途中、バスが揺れて言葉が途切れてしまい、ぼやくことも満足にできず妙に悔しい気分になった。


 この日は大多数の生徒が楽しみにしていた修学旅行当日とあって、バス内のテンションは異様に高い。カラオケやクイズのお決まりの演目であっても、浮かれている学生たちはご機嫌に参加している。


 一騎としては、修学旅行などに夢も期待も抱いていない。


 ホテルでは教師の目を盗んで女子の部屋に行くとか、女風呂を覗ける絶妙スポットがあるとか、密かに気になっている敷島さんや神月さんといい雰囲気になれるだとか、そんな浮ついた展開など本当に、これっぽっちも期待していない。


「……本当だからな」


 誰に言うともなく一騎はぼそりと呟くと、隣に座る同班の斎藤が顔を上げ、視線が合う。途端、一騎は班決めの際の悶着を思い出してしまった。


 その日は朝から不愉快に始まった。


 通話とメール機能他の付いた目覚まし、つまりはスマホのアラームを切ると、習慣としてその日のトピックに目を落とす。一騎の目が点になる。握手会にも参加し、サインももらっているアイドルが不倫。しかも年の差四十。


 朝から気力がごっそり奪われた一騎は、ふらつく足取りで部屋を出た。


「起きてきやがったのか、一騎」


 リビングで出会うなり、双子の弟の天馬に毒づかれた。珍しく揃っている両親も、天馬の発言を注意しようとはしない。ここは一騎の家ではあっても居場所ではないのだ。両親が一騎に一切の期待をかけなくなった瞬間から。


 常盤平一騎はチビでデブで短足で運動は苦手で勉強も下から数えた方が早く、アイドルや美少女物のアニメやゲームが好きでジャンクフードが大好きで、要するにキモオタと蔑まれる類の人間だ。


 翻って常盤平天馬はバスケ部に所属する人気者で、背は高く足も長くルックスもよく座学も運動実技も優秀で人当りもよい。およそ兄の一騎とは似ても似つかない人間であり、逆に両親には非常によく似ていると評判の弟だ。


 父はキャリア官僚、母は著名な料理研究家。両親ともに見目麗しく、優秀な頭脳を持ち、彼らは親の才能を色濃く受け継いだ弟を厚遇し、一騎のことははっきりと嫌っていた。そして天馬もまた、大きく劣る兄のことを蔑んでいた。


 朝のリビングでは親子三人での団欒が楽しまれている。幸せそうな家族の風景を、観客として見せつけられ聞かせられ、一騎の心の中に黒い靄が生じた。


 眉をしかめて歯噛みする様が面白かったのか、天馬が見下した笑みと視線を一騎にぶつけてきた。一騎はすぐに視線を顔ごと逸らし、近くに置かれていたチョコレートをいくつか乱暴に掴んで家を出た。


 家を出てからも、ことごとく信号に引っかかり、鳥の糞が制服に落ち、校内に入ると走ってきた生徒に突き飛ばされ、極めつけは、午後のロングホームルームだ。


 この日のロングホームルームは熱気とざわつきに満ちていた。誰と班になるか、どこの班と合流してどこを回るか、とにかく楽しい楽しい旅行の日々に思いを馳せて、彼ら彼女らの心は浮かれていたのだ。


「あと決まっていないのは常盤平と小暮坂だけか」


 冷や水をかけたのはクラス委員長だ。騒がしかった教室が不意に静かになる。


「うわ~きついわ~ないわ~、キモオタとぼっち野郎だぜ? 一緒の班とか、マジないわ~、せっかくの修学旅行が台無しじゃんよ」

「だよな~、旅館にもパソコン持ち込んでエロゲとかやってそうだし」


 下品な笑い声を響かせたのは古木と越田だ。中学時代から何かと一騎に暴力を振るう連中で、一騎は毎日のように脂肪の詰まった腹に拳を叩きこまれていた。その暴力は現在までも止む気配はない。


「委員長、他の班の人数はどうなっているんだい?」


 立ち上がった人物は矢立誠一。天馬と並ぶかそれ以上の高スペックな人物で、身長は高く、足は長く、マスクも甘い。成績優秀でスポーツ万能、優しげな瞳と爽やかな笑顔は特に女子からの評価が高く、教師生徒問わず信頼されている。


 学年全体でもトップカーストに位置し、同時にJリーグのクラブと契約をするプロサッカー選手だ。未来の日本代表だのなんだのと、メディア露出も多い。


 教室中の注意が矢立とその周囲に向けられる。トップカーストだけあって華やかな、男子四人、女子五人のグループだ。彼ら彼女らは旅行でも一緒に行動すると決めていた。


「他の班も三人のところはないな。四人の班に一人ずつ入れてもらうしかないと」

「は?」


 委員長の発言に短く答えたのはトップカースト女子側のリーダーである霧島玲だ。派手めの女子で、ブラウスのボタンは三つほど外されていて、スカートはかなり短く、長い髪は明るく脱色され金髪に見えなくもない茶髪。整った顔立ちに切れ長の瞳。女王に見据えられ、委員長は短く悲鳴を漏らした。


「まあまあ、玲。委員長もこれが仕事なんだから」

「でも、誠一」


 矢立になだめられて霧島は視線を和らげる。委員長が大げさに息を吐き出したのは演技ではないだろう。


「どうしようかな、俺たちの班でも一人なら受け入れることができるけど」


 矢立誠一の爆弾めいた提案は、特に霧島には効果絶大だったようで、冗談じゃない、と古木らに視線を送るもとい叩き付けた。


 古木は迅速に行動する。彼は霧島の意を汲んだ意見を大声で告げたのだ。


「おい委員長、この二人だけの班ってどうよ? もう仕方ねえだろ、うん?」

「一つの班は四人か五人って決まっている。人数が四人のところにできたら入れてあげてほしんだけど……」


 委員長の自信なさげな声は教室の壁に当たりそのまま消えていった。どの班も受け入れに消極的だ。それはそうだろう。修学旅行をより楽しむための班分けに、クラスメイトという以外に接点のない、デブでオタクで嫌われている一騎を班に迎え入れるなど、せっかくの修学旅行を台無しにしてしまいかねない。


「しゃ~ねえな、おい、斎藤。てめえんとこにその二人を入れてやれよ」

「ぅえ?」


 古木の唐突な指名に斎藤が変な声で鳴く。カーストで中の下、帰宅部で間違っても古木に逆らえるような人間ではない。斎藤はせわしなく眼球を動かした。


「で、でも古木君。二人も班に入れたら六人になっちゃうんだけど」

「ああん? 一つくらいどうにかできるだろ、なあ、委員長?」

「そうだね、どうしてもってことで先生に頼んでみるよ。多分、なんとかなる」


 教室中からの圧力に屈し、斎藤は首を縦に振る。斎藤の顔には不平と不満がありありで、その後の自由行動決める際の話し合いから一騎を締め出したのだった。


 どうでもいい。声に出さず、心の中だけで吐き捨て、矢立を苦々しく見やる一騎。視線のぶつかった矢立が微笑むと、逃げるように顔ごと背ける。


 矢立の誘導に霧島たちは気付いているだろうか。矢立が異物を班に受け入れることはあり得ない。修学旅行から楽しみの要素を奪うことになるのだから。


 矢立はこのことを嫌う霧島玲を操作するために、受け入れ発言をしたのだ。霧島は矢立の思惑通りに動き、古木もまた矢立の掌の上だった。矢立誠一は具体的なことは何一つ口にせずに、周囲の人間を思う通りに動かしたのである。


 水際立った手腕と人を操って平気な顔をしている矢立が不愉快で、加えてそんな矢立から視線を外した自分が不愉快で、一騎は話題にまったく入ってこなかった小暮坂に、外した視線をそのまま叩きつけた。


 小暮坂宗兵衛は机に突っ伏して寝息を立てていた。ぼっち特有のスキル、寝たふりをして実は教室の話題には聞き耳を立てている、ではなくて本当に寝ている。


 小暮坂の特徴は陰気な顔つきと腐った魚のような目だ。ぼっちで、他人との接点が少ないため、好悪の念を向けられない点も一騎とは違う。加えて文系の成績はトップレベルで、絶妙な要領のよさもあってイジメの対象にならないのも特徴だ。


 小暮坂宗兵衛の数少ない人間どうしの接点、それが常盤平一騎である。ようするに体育の時間でペアを組む関係で、特段、これといって親しくもない。だが修学旅行中はペアになることを、一騎は確信するのだった。


「ふん」


 バスのシートに身を沈めながら、一騎としては首をすくめたつもりなのだが、脂肪の多い体は既に首と顎の境い目を失いつつあった。キモデブだのキモオタだのと謗られる常盤平一騎の肉体的特徴だ。


 デブとオタクの部分について、一騎に反論の余地はない。実際、中学生の頃にはBMIが三十を超えていた。さすがにまずいと思って節制に励み、今では二十七、八にまで改善されている。ちなみにBMIは二十五以上で肥満となる。


 ゲームもアニメも好きで、徹夜でゲームをすることも、ファンどうしが集まるSNSで夜通し喋り続けることも珍しくない。だからデブとオタクの部分は受け入れる。けれどキモイの部分は受け入れがたい。


 年頃の男子として身だしなみには気を払っている。決してキモくはない、と声高に主張したい一騎なのだが、こういったことは周囲が一騎に対してどんな感情を持っているかの問題なので、改善される気配は微塵もなかった。


 いつしかバスはトンネルの中に入っていた。全長二キロの、いまだにオレンジ色の照明が輝く古いトンネルだ。一分経ち二分経ち五分経ち、遂に十分が経っても一向にトンネルを抜ける様子はない。しかし生徒たちの大半は周囲の人間たちと遊ぶほうが優先であるらしく、ただただひたすらに騒がしいばかりだ。


 一騎は自分の時間感覚に疑問を感じてしまう。時間を確認しようにも、スマホは着替えと一緒にバッグに詰めてしまい、荷物スペースに放り込まれている。一騎が心中に生じた嫌な予感を追い出そうと頭を振ると、後方に座る小暮坂が視界に入った。


 何がしかの懸念があるのか、眉根を寄せて腐った眼を窓の外に顔を向けている。手には折りたたまれた経済新聞が握られていて、「どこのサラリーマンだよ」と声に出して突っ込んでしまいそうになった瞬間、前方から光が差し込んできた。


 勘違いだったか。それとも気にしすぎだったか。一騎の楽天的な考えはあっさりと裏切られた。


 日の光とは明らかに違う、車内を真っ白に塗りつぶすかの強烈な耀き。頭のてっぺんまで浮かれ気分に浸っていた生徒たちも言葉を失う。


 言葉を失って、目を見開いて、何もできないまま全員が白い光に飲み込まれた。

プロローグを少しだけ短くしました。

具体的に四百字詰め原稿用紙で五枚分ばかり。

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