最後の一人
翔火尊塾に常設の寮などはないが、今は剣術学院アルバトロスへの入学試験が迫っているため、道場生は塾頭ロゴスが用意した宿舎に入って、寝泊まりしている。
寝る・食う以外のすべての時間を入試に必要な鍛錬に充てるためだ。
もっとも、今日はいささか狂ってしまったが。
道場性の一人・ジェスはワナワナと震えながら隣の部屋を覗いていた。
そこでは、唸りながら剣を奔らせているイヴァンの姿があった。
あろうことか部屋の中で。
「があああああああああああっ!!ちくしょう!!」
今日はいろいろあった。
道場破りが来て、そのせいでイヴァンは自尊心を傷つけられた。そのせいで少し怒り猛っているのだろう。元々彼は少し短気だ。
「あいつが……!何で俺らと同じ……!」
イヴァンはまだ唸っている。
まあ、別に怒りはしないがジェスも少し驚いた。
塾頭ロゴスは、あろうことか道場破りを自らの門下生として加えようと言ったのだ。
多少の動揺もしよう。
それにしてもイヴァンほどではないが。
「おいジェスッッ!!」
気づかれた!
ジェスはびくっと、肩を縮める。
「何見てんだ、てめえ!!」
い、いや、気づかれていいはずだ。
むしろこちらから出向いてきたんだ。
言わねば、とジェスは小刻みに震えながら言う。
「あの、その、えっと……眠れないんだ、うるさくて……」
もう夜半を回っている。
安眠志向のジェスは、隣でがなりながら剣を振り回すようなヤツがいると、そもそもうるさいし気が気で眠れないのだ。
対してイヴァンの反応は。
「なあああああああああああんだってええええっ!!?」
もっと怒り狂った。
火を鎮めに来たのに、火に油を注いでしまった。
「俺の感情より、お前の睡眠の方が大事ってのかぁぁぁぁ!!
「ひえええええええ!!」
むちゃくちゃだ。
『うるさーーーーーい!!』
そこに現れたのは。
レトナだった。
「今何時だと思ってるんですかっ!!マジでうるざいッッ!!」
一歩間違ったら「うざい」になりそうなセリフで、イヴァンを糾弾した。
「あっ!?ああっ!!?…………お、おう…………っ、」
レトナの登場にイヴァンもさすがに鎮静化したようだ。
よかったよかった。
「ふああ~~、最近寝不足なんですから、夜は静かにしてくださいよね……」
「ちっ、しゃあねえな」
「そこは謝るとこでしょー」
「逆にそこだけは譲らねえ」
「ガンコ!アホ!バカタレ!」
「おいコラ!ガンコに付け込んで言いたい放題言ってんじゃねえッ!」
イヴァンとレトナの掛け合いを傍観しつつ、ジェスはふと言った。
「ブレン。まだだね」
イヴァンの顔つきが変化した。
ピクリと。笑わなくなった。
ブレン。この翔火尊塾の最後の一人で、最初の門下生で、そして最強。
だが時々ふらっと放浪して、武者修行の旅に出たりしている。
彼にとって、この道場という世界はまだまだ狭いらしい。
「もー入試も近いんだから、そろそろ戻ってきていいころなんですけどねー。受ける気ないんですかねー?」
レトナが額に指を当てて言う。
そしてイヴァンは、さっきからずっと怖い顔をしたままだ。
眉間に皴を刻んでいる。
その皴が一層深くなった。
まさか。
フラッと、部屋に入ってきた男がいた。
「やあ。帰ったよ」
優しい声。
端麗な顔。
紅い髪。
ブレンだ。
ブレンの登場。
その瞬間、イヴァンが腰の鞘を払った。
抜いた。
イヴァンが向ける凶刃は。
ブレンに向かって、はっきりと襲い掛かっていった。