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何からと言われても、にっこり微笑む絢子さんになんと言ったらいいのか……一番気になるのはやっぱり。
「あの、絢子さんにはこの子、どう見えてますか? 座敷童子って聞いたんですけど……」
「北沢さんはオコジョみたいに見えるんだって」
代わりに説明してくれる十和田くん。パチクリと瞬きをした絢子さんは楽しそうにわたしの膝の上を見つめた。
「オコジョは可愛いわねえ。そうね、私の見え方は座敷童子っていうのが一番イメージに近いかしら。でもね、最初は違ったの」
「最初?」
「初めて見たときはね、茶色い毛玉。それに目玉がぎょろりとついている感じで」
これくらいの、と両手でバスケットボールをひと回りくらい大きくした丸を作る絢子さん。
「ひょうきんな感じだったから怖くはなかったけれど、手も足も見えなかったわねえ」
「……見えかたって変わるんですか」
「そのようよ。どうやら、近くにいる人に影響されるみたい」
見えない人が見えるようになることはないようだけれど、と頷いた。
「馨さんはね、ビスクドールみたいに見えたのですって」
それはまた綺麗なことだ。
「結婚して一緒に暮らして。だんだん、毛玉が人の形に近づいて、そのうちに座敷童子になったの。私にとってはビスクドールより身近だからかしらね」
「伯父は、大学で仏文を教えていたんだ」
「ああ、だから外国語の本があんなにたくさん!」
リビングのかっこいい本棚のわけが分かった。なるほど。
「私の見え方は変わったけれど馨さんの方は変わらなかったから、多分人型の方が本来の形に近いのじゃないかしらね。拓海のは聞いた?」
「……ゴブリン」
ひどいわよねえ、と笑う絢子さんにちょっとムッとするような十和田くん……不満顔なんて珍しい。
「そう見えるんだから、仕方ないじゃないか」
「オコジョの方が可愛いわ。遥ちゃんと一緒にいたらそっちになるかもね」
言われて思わず見上げたら、十和田くんとばっちり目が合ってしまった……あう。どどどどどうしよう、ええとええと、何か質問、そうだ。
「あ、あの、他の種類の子はいないの?」
「……住み着いてるのはこいつらだけ」
目を逸らして言葉を濁した十和田くんは、言外に他のナニカの存在を肯定した。言いたくなさそうなのは、何か良くない思い出でもあるのだろうか。
「遥ちゃん、馨さんや拓海がこういうのが見える家系っていうのは聞いた?」
「あ、はい」
「私は二人のように全てが見えるわけではないけれど、結構、そこここにいるのよ。向こうは向こうでやっているから、特にこっちに何かするわけでもないのだけれどね」
うう、そうなんだ……。
「私はそっちに関しては聞くばっかりだったから。まあでも、馨さんや拓海みたいに見える人にはちょっかいかけてくることもあるし、第一あまり見目の良いものばかりでもないみたいね」
「……もう慣れたよ」
十和田くんの何の感情もこもっていないような一言と、そんな彼を見る絢子さんの優しい眼差しに何も言えなくなってしまった。
わたしには可愛く見えるこの子がゴブリンに見えるという十和田くん。他のものだってきっと、似たり寄ったりだろう。今まで、どれだけのモノをその目にしてきたのか……ひとりで。
ガスコンロの上のコトコトと煮える鍋を見やり、ちょっと失礼と席を立った絢子さん。蓋を開ければふわりとポトフのいい匂い……お腹がなりそうでそっと押さえる。ふとシンクの向こうの窓に目を向ければ外はすっかり暗くなっていた。
「夕飯を食べていってと言いたいんだけど、さっき遥ちゃんのお母さんにメールしたら、向こうでもう用意しているんですって。残念だけど今日は諦めるわ」
絢子さんいつの間に? あ、さっきわたしがオコジョたちに囲まれていた時でしたか。もっと色々知りたいと思うし話したいけれど、そろそろ遅いから。わたしも一度に聞いてもいっぱいになりそうだからと、今日のところはこれまでになって、またも十和田くんが送ってくれると自転車を出しに行った。
「……遥ちゃん、どう思った?」
「ちょっと驚きました。でもこの子、可愛いし」
「そう」
玄関で靴を履くわたしの顔を気遣わしげに見る絢子さん。困ったような笑顔が何を気にしているかは伝わってきた。
「十和田くんにも聞かれましたけど、怖いとか気味が悪いとか、本当にひとつもそういう風に感じないんです」
わたしは元々、怪談話やお化け屋敷とかはものすっごく苦手だ。ホラー映画なんて絶対に観ない。そのわたしが全く嫌悪感を抱かないのだから。そう言えば安心したように、よかったと言った。
「私もね、馨さんに会うまで全くこういうものに縁がなかったのよ。それでもやっぱり、怖いとは思えなかったの……だから多分、遥ちゃんも同じじゃないかと思ったんだけど。本当によかったわ」
お待たせ、と掛けられた声に慌てて振り返ると十和田くんはしっかりコロも連れてきてくれていた。わたしにリードを持たせると、自転車を停めている門の方へ先に向かう。もう一度絢子さんに向き直った。
「それじゃあ、お邪魔しました」
「こちらこそ。気をつけてね、遥ちゃん」
向けた背中に小さくありがとう、と聞こえた気がした。
「そいつ、ついてきたんだ」
わたしの肩の上に乗ってる子を見て、十和田くんは少し呆れたようだった。
「送ってくれるんだって」
オコジョと顔を見合わせると、ねーって同意する風に首をかしげる……可愛いじゃないか。
「話せるようになったの?」
「ううん、何となく。そんな感じがするだけなんだ」
あんまり急に仲良くなったから驚いている。わたしも不思議だけど、こんなに懐かれて悪い気はしない。
自転車を押す十和田くんの隣を、ロールケーキみたいなコロの尻尾を見ながらしばらくは黙って歩いていた。
「……十和田くんは、小さい時からそういうものが見えるの?」
「そうだね、生まれつきだから」
なんとなく会話を探して切り出した話の内容に深い意味はなかったけど、十和田くんは律儀に答えてくれる。
「家系とは言っても、俺の他に見えるのは伯父さんしかいなかったし。俺の父親は逆に現実主義者でさ、見えないモノの存在をずっと否定してたから、伯父さんともあんまりうまくいってなかったんだ。歳も離れてたし。そうしたら自分の子どもの俺が見える側で」
「あ、うん……」
「精神科だの脳外科だの散々連れまわされて。ようやく諦めてくれた時はほっとしたよ」
う……。十和田くんはなんてことない風に言う。
「お、お母さんは?」
「こういう家系だっていうことを父親は母に話さなかった。母親が知ったのは、俺が産まれて隠しようもなくなってからなんだ」
まあ、分からないでもないけれど、と独り言のように十和田くんは言う。
「母親の方が落ち着いていたかな。受け入れるのも早かったよ」
「そうなんだ」
「俺を伯父さんの方に預けるようになったのも、母親の案。まあ、それからはだいぶラクになったかな。で、その後に妹が産まれて」
「妹さん、いるんだ」
「今年小一。親と一緒に向こうにいる」
思わず足が止まったのは信号のせいだけではなくて。青になっても渡れないでいるわたしに、十和田くんは申し訳なさそうに促してくれた。
「……ごめんなさい」
言いたくないことを言わせてしまった。
北沢さんが謝ることじゃない、そう言ってくれたけど。
ああ、やっぱりわたしは馬鹿だ。いくらご両親の転勤が多いからって、海外赴任だからって、中学生がひとり親戚の家に預けられるっていうことにどんな事情が考えられるのか、少し想像すれば分かっただろうに。
下を向いてしまったわたしの目に入るのは機械のように交互に前に出る自分の爪先、たわんだコロのリード。上からぽつぽつと十和田くんの落ち着いた声が落ちてくる。
「もともと、伯父の家にいるときのほうが気が楽だったんだ。伯父は同類だし、絢子さんはあんな風だし……亡くなるまでに、色々教えてもらえたし。だから今の状況には満足なんだ」
「そう、なんだ。絢子さんはお料理上手そうだしね」
「そうだね、俺の『おふくろの味』は絢子さんのだよ。母親は料理できなかったから」
「……そっか」
「うん」
十和田くんは家の前に着くまで送ってくれて、わたしがようやく顔を上げたのもその時だった。ひょい、とオコジョを取り上げられて肩がスースーする。自転車のカゴに入れられてご不満そうにしている小さな手を両手で持ち、上下に軽く振ってさよならをする。
「……この子に名前つけてもいい?」
「え、なんで?」
「呼び名がないと不便じゃない」
そんなに変なことを言ったつもりはないんだけれど、十和田くんはすごく意外そうにした。
「あ、いや別にいいと思うけど……なんて?」
「うーんとね。オコジョだから、おーちゃん」
「……北沢さん、ネーミングセンスないね」
あ、ひどい。ちょっとそうかもと思ったけれど、と見上げれば笑いをこらえているようだ。
「それじゃあ他の子もみんな『おーちゃん』になるでしょ」
「え、あ、そっか。あれ、どうしよう、もう、おーちゃん以外出てこないよ」
十和田くんはとうとう吹き出すと、ずれた眼鏡を直しながらこっちを向いた。
「いんじゃない、おーちゃんで。ところでコロも北沢さんがつけた名前?」
「え、コロは違うよ、お父さんがつけたの『犬はシロかクロかコロだ!』とか言って。白くも黒くもないでしょ、この子。だからコロになったの」
きっと猫だったらタマかミケなんだよ、と言えばお腹を抱えられてしまった。
「いいね、お父さん」
「そ、そう? じゃあ、おーちゃんで」
いいかな? と顔を覗き込めばほっぺをピタピタと触られる……お許しが出たようだ。
「またね、おーちゃん。十和田くん、今日も送ってくれてありがとう」
「いや、こっちこそ……巻き込んで、ごめん」
「え、」
「それじゃあ。早く家に入った方がいいよ」
せっかく笑っていたのに。一瞬で真面目な顔に戻った十和田くんはそう言うと自転車に乗って行ってしまった。あっという間にその姿は見えなくなる。
「コロ……十和田くんは、強いひとだね」
優しいひとだと思う。しんどいのは自分の方だろうに、結局、気にかけてくれているのは他人のこと。
よそのお家のことをとやかくは言えない。けれど、憤りを感じてしまう。もし、それが自分だったら……どうして、と責めてしまうだろう。
「わたし、なにかできるかな」
当然のように応えは無く、パサパサと振る尻尾が膝の下に当たるだけだった。
**
……こんなことまで話すつもりはなかった。
「見える」ことだけ言って、適当に口止めして、関わりを絶つはずだったし絶たれるはずだった。
鈴が鳴った時にまさかと思ったその可能性を無視し続けたのは、期待をしなければ落胆もないと知っていたから。もう、あんな思いはたくさんだ……なのに。
否定も拒絶もされなくて、向けられるのは純粋な驚きと興味。
そんなこと他人では初めてだった。
思い出すのは病院の中庭。検査漬けの毎日、父親と医師の目を盗んで抜け出した先にいたひとりの少女。
『よつばのクローバー、わたし見つけるのとくいなの』
頭に巻いた包帯で片目は半分隠れていた。俺に気付くと舌ったらずな話し方で遊ぼうと声をかけてきて、せっかく見つけたそれを惜しげも無く笑顔で手に握らせる。
『はい、あげる。いいことがあるんだって』
『君のだろ?』
『だいじょうぶ! “見つけたこと” がいいことだから。だから、あげる。そうしたらお兄ちゃんにも、いいことがあるよ』
さっきもちっちゃい子にあげたし、と自分も小さいくせにお姉さんぶって言う。初めて見る四つ葉が嬉しかったはずなのに、出てきたのは可愛げもない返事。
『……四つ葉は、人に踏まれてばっかりのところに生えるんだって』
ただの奇形なんだよ。こんな、四つ葉になんてなりたくてなったんじゃないんだ ――僕だって、見えたくて見えるわけじゃないのに……勝手な八つ当たりだと分かっていた。
きょとんと瞳が丸くなる。お礼ではなく、こんな否定の言葉を言われて泣くかと思えば、急に顔を輝かせた。
『それでなんだ! あのね、おばあちゃんの家のちかくに原っぱがあるの。クローバーいっぱいで広いの。でもね、がんばってさがしたけれど、よつばなかったの』
見上げられる距離が近くて少し後ずさるが、お構いなしに詰められる。
『う、うん?』
『ずうっと、どうしてかなあって思ってたの。そっかあ。人がいないから、よつばもなかったのね』
あの原っぱだれもあそんでなかったもん、とまるで世紀の大発見をしたかのように自信たっぷりに胸を張って破顔する。
『ここは、たくさん人がいるから、たくさんいいこともあるのね』
……まさか、そんな風に返されるとは思いもしなかった。ちょうど遠くから掛かった声に、あ、おかあさんだと走り去った小さな背中。急に静まり返った中庭で、今のは鮮やかな夢かと思えば、残された手の中の四つ葉が現実だと教える。探しに来た看護師に見つかるまでそのまま立ちつくしていた。
「……あの子は、歳下だと思ってたんだけどな」
『**、*』
俺の独り言にこちらを振り返り、得意げにするカゴの中のゴブリン、いや、 “おーちゃん”。こいつらの側の世界は広くて狭い上に、時間の概念がない。彼女があの時の少女だと分かっていたんだろう。
「分かったよ、偉そうにするなって」
見えること、知ること。それがどれだけ彼女の負担になるかなんてことには目を瞑ってしまった。分かってて巻き込んだ。
本当に、俺は。
「……ごめん」
ペダルの重さがよく分からないまま、家に着いた。