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十和田くんの眼鏡の奥の瞳は何かを確かめるように細まって、首のところにいるこの子から離れない。
「普通、たとえ可愛い外見をしていても、こういう妖精だとか妖怪だとかいうものは、もっと気味悪がられると思うんだけど」
「あ、そういえばそうだよね。あれ、なんでかな、そういう風にはちっとも思わなかった……驚いたけど」
「……そうなんだ…。俺のことも、怖くないの?」
どうしてそんな事を聞くんだろう。見えるから、一緒に住んでいるから? 顔はこっちを見ているのに、合いそうで合わない視線。なんとなくその言い方が、声の感じが気になって、わざとふざけてみた。
「隠していたヒミツの趣味を知っちゃった感じ? 安心して、口は堅いから!」
「……俺も、北沢さんがこういう人だとは予想外だったよ。今までや学校での印象と随分違うけれど。こっちが本当?」
そういう事じゃないんだけど、と肩を落とした十和田くんに言われて、自分もすっかり家族や真央ちゃんたちに話すように喋っていることに気付く。
「あ、うわ……そういえば、今、ちっとも緊張してない」
気付いたら急に恥ずかしくなって首元の子に顔を埋めた……やっぱりゴブリンなんかじゃない。このツヤツヤしっとりのモフ加減。嬉しげにすり寄って来てくれるのも可愛い。
なんとなく十和田くんが面白そうにしてる雰囲気が伝わって来たから、きっとこの毛の隙間から見えるわたしの顔はすっごく赤くなってたんだと思う。普段の十和田くんに戻った気がして、それならまあいいかって開き直った。
「……わたし、小さい時から人見知りで引っ込み思案で。どうにか直したいと思っているんだけど直らなくて」
「別に無理して直さなくていいんじゃない」
「え、そ、そうかな」
「少なくとも初対面の人間に対して警戒心を持つことは悪いことではないと思う」
そうなのかな。そんな風に言われたのは初めてだ。
「でも、そうされるとあんまり気分良くなくない?」
「そうかな。 訳知り顔で馴れ馴れしく近寄られるよりよっぽどいい」
……十和田くん? まるで自分に言い聞かせるようにこちらを見ずに言うその姿は、なんだか泣くのを我慢している小さい子のように見えた。
「……そっか。そういう風に言ってもらえたの初めて。なんか少し、気が楽になったかも」
小さく呟いたありがとうは届いたかどうか分からなかった。
結局、お母さんの電話が終わる前に十和田くんはオコジョ(仮)をとりあえず一度連れて帰ると席を立った。来る時よりもすっきりした顔をしてる。
「北沢さん、他の子にも会ってみる?」
「え、会いたい! 会えるの?」
「普段は隠れているけれど。多分」
そんなわけで、わたしはコロの散歩ついでに十和田くんと一緒に行くことにした。こう連日だともう、あまり恥ずかしいとか思わなくなってしまった。慣れってすごい。それにこの子のこともあって、十和田くんになんだか親近感というか、そういうのを感じてしまっているみたいだ。話すのも沈黙も、緊張しない。
「あれ、そういえば急にお邪魔して大丈夫?」
「さっき北沢さんが準備してる間に絢子さんにはメールした。楽しみに待ってるって」
着替えたりするのに五分ほど待ってもらった、その間か。さすが、そつがない……。
歩きながら聞いたところによると、この子たちに特に名前は付いていないそう。家に何匹、いや、何人? いるのかは正確には不明、住み着いてはいるものの何処かに行ったりまた逆にどこかから来たりして増えたり減ったりしているらしい。とはいえ、見分けがつかないのでよく分からないと。
「みんな同じ姿形なの、大きさや色とかも?」
「並べてみれば多少は違うけれど、明らかに分かるほどではないよ」
「性格は?」
「……気にしたこともなかった」
そうなんだ。おしゃべりできるのに、と言えば複雑そうな顔をして私の肩に乗ったままの子を見下ろす。そう、十和田くんにではなく、私の肩乗りオコジョ(仮)になっています。うう、可愛いし暖かい。代わりと言ってはなんだけど、コロのリードは十和田くんが持っている。動物好き、と自分で言うだけあって満更でもないみたい。やっぱりコロは十和田くんは平気なようで、普通に散歩を楽しんでいる。
そういえばコロにはこの子が見えているみたいで、散歩のリードをつけている時に近寄ってフンフン匂いを嗅いでいた。お互いに驚いたり怖がったりもしなかったから、きっと彼らにとっては普通なんだと思う。
「コロの上に乗ったら可愛いと思うんだけど?」
そう話しかけるとちょっと小首を傾げて考えた後、私の首にキュッと掴まった。そっか、こっちがいいのね、よしよし。そんなわたしたちを見て十和田くんはつぶやく。
「……やっぱり俺にはゴブリンに見えるから、ちょっと微妙」
「オコジョだってば」
「いま、すっごい必死にしがみついてるし」
「落とさないから大丈夫だよ?」
片手は添えているし。ゴブリンに必死にしがみつかれる自分を想像したらなんだかおかしくて、見上げた十和田くんと一緒に小さく笑う。今までで一番、気負わない道のりだった。
途中信号待ちをしている時、すぐ傍の駐車場の一角が草刈りが途中らしくわさわさと雑草が生い茂っているのが目に入った。
「あ、クローバーもたくさん生えてる。四つ葉あるかな」
「四つ葉?」
「クローバー生えてるとつい探しちゃうんだ。見つけるの結構得意なんだよ、わたし」
「へえ……俺は見つけられたことないな」
あ、子どもっぽかったかな。でも、たくさんの三つ葉の中に混じっている四つ葉は宝物のように見えるから。
「そこだけ光って見えて、目が行くの」
「……四つ葉は奇形だから、踏まれたりするようなストレスの多いところに生えるんだって」
「それ、わたしも聞いたことがある」
夢のない話ではあるけれど。誰に聞いたのだっけ。
ずっと前……あれはいつも遊ぶ公園ではなかった気がする。見つけた四つ葉を小さい子にあげて、それで、
「青だよ」
「あ、うん」
なんとなく心をかすめていった影を捕まえることはできなかった。
十和田くんのお家が見える距離になった時、ひとつ気になっていたことを思い出した。
「ねえ、さっき家で “やっぱり見えるんだ” って言ったじゃない。やっぱりってどういうこと?」
十和田くんはそれには答えず、かしゃんと閂を外すとわたしを先に中に入れてくれた。夕焼けにはまだ少し早い時間、家の窓は開いていて絢子さんが帰っているのが分かる。
前庭の大きな木の近くで十和田くんは立ち止まって声をかける。
「北沢さんが初めてここに来た時に、この鈴が鳴った」
「? うん。綺麗な音だった」
あの澄んだ鈴の音は今も耳に残っている。できればもう一度聞きたいくらいだ。足を止め、振り返るわたしの肩の上を見ながら十和田くんは言う。
「普段は、どんなに風が吹いて枝が揺れても鳴らない。それこそ台風の日でも。自分たちが気に入った人が来た時に一度だけ鳴らすんだ」
「……え?」
そう言いながら腕を伸ばし、金色の鈴が付いている枝を揺する。確かに、チリリとも音はしない。
目を丸くするわたしの顔を確認するように眺めて、また口を開いた。
「北沢さんは最初っから、こいつらに歓迎されてるんだよ」
だから姿も見えると思った、そう言う十和田くんはやっぱり少し困った顔をしていた。
「おかえりなさい拓海。いらっしゃい、遥ちゃん」
かけられた声に振り返れば、ポーチにエプロン姿の絢子さんが立っていた。想像通り、まるで制服のようにエプロンが似合っている。
「絢子さん」
「聞きたいことがいっぱいでしょ? 私で分かることならなんでも教えるわ。とりあえず、中へどうぞ」
確かに聞きたいことはいっぱい、と言うか聞きたいことしかない。けれど、おどけたように大きく腕を玄関の方へ向けてにっこり笑う絢子さんに、まあ、それでもいいかと何故かふっと安心感を感じた。
玄関から中に入り、ダイニングに着くとオコジョ(仮)は自分で私の肩からぴょんっと足元に降りた。調理台には野菜が出ていて、コンロにかかったお鍋からはくつくつと美味しそうな匂い。
「ご飯支度中でしたか?」
「ああ、散らかしていてごめんなさいね。あとはこのまま煮込むだけだから、気にしなくて大丈夫よ」
包丁はしまってあるし、と言う絢子さんに促されて十和田くんは一度着替えに自分の部屋へと引っ込んだ。はっと思い出してわたしは持って来たクッキーを絢子さんに渡す。
「あの、これ、お土産です。この子が喜んでくれたので……」
「あら! ありがとう、じゃあ早速いただきましょうか」
足元に擦り寄る子を見ながら言うと、絢子さんは楽しそうに受け取って食器棚からお皿を取り出してきた。綺麗に焼けてるわ、と言われて嬉しくなる。
「拓海はどこまで話したのかしら、うちに住み着いてるのは聞いた? あの子ってば『北沢さんに話した。やっぱり見えてる、連れて行く』ってだけで、もう」
「あ、はい。それで他の子にも会わせてくれるって」
「そう、じゃあ呼びましょうか」
「はい!」
わくわくを隠しもしないわたしに絢子さんはふふ、と笑った。
「はあい、みんなご挨拶よ。遥ちゃんがクッキー焼いてくれたわ」
クッキーをお皿に出しながら絢子さんが呼びかけると、部屋の隅がざわっとした……なんか、すっごい見られている気配は感じる。けれど、しばらく待ってもそれ以上の動きはない。
「……出て来てくれないと、あげませんからね」
「っわ、わわわ?!」
絢子さんがお皿を持ち上げてぐるりと見せつけるように高く上げれば、いろんなところからぴょこ、と顔が覗く。冷蔵庫の陰、食器棚の後ろ、ドアの向こう……え、嘘。こんなにたくさん?
「あら……今日は多いわね」
「食い意地張ってるだけじゃないの」
戸惑うように呟く絢子さんに、ダイニングキッチンに戻ってきた十和田くんが苦笑いで答える。うすい水色のボタンダウンシャツに着替えた十和田くんはなんだか大人っぽい。カットソーチュニックにレギンスのわたしの服装は子どもっぽかったかな。そんなことをちらりと思ったけれど、ぞろぞろと私たちとテーブルを囲むように集まって来たオコジョたちに意識はすぐに持っていかれた。
やっぱりかわいい。可愛いけど……多くないかな、これ? 動物園のミーアキャットもびっくりなオコジョの群れ。全部で、ええと、三十匹くらいはいるんですけどっ。しまった、五、六匹だと思ってた。焦るわたしを気遣うように十和田くんが聞いてくる。
「やっぱり、驚くよね」
「どうしようっ十和田くん、クッキー足りるかな?」
「……北沢さん、やっぱりちょっとずれてるよ」
私たちのやり取りにぷっと吹き出した絢子さん。テーブルから椅子を引いて私を座らせると、お皿をかたりと置いてオコジョたちに向かって楽しそうに提案した。
「遥ちゃんにご挨拶した順番にどうぞ。今日はそれがお手伝いの代わりね」
じっと見つめる子、キュッと抱きつく子、ペチペチと触ってくる子……それからひとしきり、私の膝の上は代わる代わる上がってくるオコジョたちに占拠されっぱなしだった。
「よかった、足りた……」
ひとり一枚、の約束でどうにかクッキーは間に合ってほっとした。もらえない子がいたら不公平だもんね、よかった本当に。今度持ってくるときはたくさん焼いてこよう。
ほとんどの子はクッキーを取るとさっと何処かに行ってしまったけれど、膝の上の一匹だけは食べた後も残ってくれている。
お疲れさま、とお茶を入れてくれた絢子さんは、よいしょと掛け声をかけながら向かいの椅子に座った。横を向けていた椅子をテーブルに向き直して座るのに、一度降りてもまた膝の上に上がるオコジョ。お誕生日席に座った十和田くんはその子の顔を覗き込んで聞いてきた。
「この子は北沢さんの家にいた子?」
「うん、多分」
「……よっぽど気に入られたんだな」
今までこんなことはなかったと、十和田くんは不思議そうだ。
「そうなの?」
「ここまで懐いているのは私も初めてね。馨さんにもいなかったわ」
「馨さん……?」
俺の伯父さん、そう言われて絢子さんの亡くなった旦那さんだと気付く。向かいを見れば、少し困った風に笑う絢子さん……十和田くんとは血の繋がりはないはずなのに、その表情はなんだかとてもよく似ていた。
「さて、何から話しましょうか」