20
卒業式が終わっても、修了式が終わったわけではないので学校はまだある。とはいえ、既に短縮授業だし部活もおしまいになっている……のに十和田くんと一緒の帰り道。今の下校の時刻は人がいるから平気じゃないかと思ったんだけれど、前に言われた「とりあえずしばらくの間」は三学期いっぱいのことだったらしい。
そんなわけで今日も真央ちゃんとほのかちゃんに背中を押されて学校を後にする。いつもの通り、いつか話した公園に差し掛かった時だった。
「あっ見つけた。君たち、ちょっといい?」
公園の中から声をかけてきたのは、黒猫を抱いた男の人。タカノリ先生と同じ歳か少し下くらいだろうか。サラサラとした明るい茶髪、風に煽られた長めの前髪を少し邪魔そうに目を細めている。知り合いか聞こうと見上げた十和田くんは怪訝な顔……行こうか。うん。
目で会話して、そのまま歩き続けようとしたらまた引き止められた。
「ええ、無視!? ひどっ、ねえ、待ってってば『拓海くん』でしょ?」
名前を呼ばれて、十和田くんの肩がピクリと震える。さりげなくわたしを後ろにすると足を止めて、半身を向けた。
「……どちら様ですか」
「やだなあ、そんなに警戒しないでよ。怪しい人じゃないから。え、ちょ、っと、あ、ふぎゅっ」
ようやく足を止めたのが嬉しかったのか満面の笑顔だけど、なんかちょっと変な人? 腕の中の猫は可愛いけど……そう思っていたら、猫が急に暴れ出して男の人の顔に後ろ足で蹴りを入れて地面に着地、尻尾をピンっと立ててトトトトとこちらに来てわたしの足に擦り寄った。
「え、なに、かわいい……」
「可愛い?」
十和田くんはちょっと怖い顔で男の人と猫を交互に見ているけど、喉を鳴らしながら足首に長い尻尾を巻きつけて甘えてくる黒猫は普通にかわいい。首輪がないのが意外だった……あの人の飼い猫じゃないのかな。でも野良の割にはすごく毛がツヤツヤしてるし。
「うち犬飼ってるけど、この子、犬の匂いは平気なのかなあ」
「相変わらず妙なとこ気にするね」
「うわ、リューってば俺よりその子がいいの? 裏切られたぁ〜」
あれ、やっぱり飼い猫なんだ。がっくりと項垂れて膝をついているいい大人は道行く人たちの視線を集めている。どう見ても関係者の構図に、十和田くんは困ったようにわたしに時間は大丈夫か聞いてきた。頷くと、大きくため息をついていかにも仕方なしに男の人に話しかける。
「……ここの公園でいいですか」
「ありがとう! もちろん彼女も一緒にね!」
すっごい勢いで返事が返る。すっかり元気に立ち上がると、どれがいい? なんて言いながらすぐそばの自動販売機にいそいそ向かっていて……嫌な感じはしないけど、テンション高いし、ちょっと変わった人だなあ。
登ってこようとする猫を抱き上げたらゴロゴロ言うしあったかいしで、それもまあいいかってなってしまった。
小学校はまだ通常授業だから、いつも公園でサッカーをしている小学生は下校前で公園には誰もいなかった。広場と遊具の奥、例のハシビロコウが居た植え込みのあたりは小さい散歩道が配置されていて、藤棚の下には木のベンチと小さい横長のテーブルがある。
温かいペットボトルのお茶を三本テーブルに置くと、男の人は奥側に、わたしと十和田くんは手前に座った。
「まあまあどうぞ。悪いね、お引き止めしちゃって」
「それで、用件は何ですか」
年上に対して失礼にならない程度にピシリと言う十和田くんは、まるで先日会ったお父さんみたい。やっぱり親子なんだなあ、なんてぼんやり思った。
向かいに座った男の人はキュ、とキャップを開けて一口飲むと、わたしの膝の上でまったり丸くなる黒猫をちらりと見てにっこり笑う……あ、目は細めているのでなくて、もともと細かったみたいだ。
どうしてか構えてしまうのは、常に笑ってるように見えるその糸目のせいか、それとも隣の十和田くんが警戒を解いていないようだからか。悪い人ではなさそうだけど。
「うん。じゃあ、まず自己紹介。僕はね、近藤と言います。近藤幸人。で、そっちは僕の家に住み着いてる子で『リュー』って呼んでる」
「あ、やっぱりお家の猫ちゃんですか。首輪しなくて大丈夫なんですか?」
「ねこ?」
逃げたりしないのかな。って、実際逃げてわたしの方に来たんだった。首輪がないと不用心だなあ、迷子になったらどうするんだろう。
尻尾をゆったりと揺らす猫のツヤツヤした黒い背中を撫でると、金色の目を細くして気持ちよさそうに喉を鳴らすから、抱き上げて頬ずりしたくなる。当たり前の疑問を口にしただけなのに、わたしと膝の上の猫を十和田くんがしげしげと見比べた。
「それもやっぱり動物なんだ」
「うん、猫……だよ」
え、なに。
「へえ、君には猫に見えるんだ。ちなみに拓海くんには?」
「……ドラゴンっぽい黒いやつ」
「ぽいなの? こんなにゴツい立派なドラゴンなのに。確かに小さいは小さいけど」
「え、ええっ!?」
だって、丸くなって、ゴロゴロ言って! どうみても猫のこの子がドラゴン? 驚いて二人の顔を見上げると、男の人……近藤さん、は面白そうにしてるし、十和田くんは仕方ないなあって顔してる。
「……おーちゃんと一緒っていうこと?」
「まあ、似たようなもの」
そんな、じゃあ、この近藤さんは、この人も。
「十和田教授にはお世話になりました。会えて嬉しいよ、拓海くん」
「……初めまして。十和田拓海です」
嬉しそうにぺこりと頭を下げられ出された『馨伯父さん』の名前。ようやく十和田くんの纏う空気が少し緩む。
近藤さんは、わたしが会った二人目の “見える人” だった。
会いに来たはいいものの、十和田くんの家に行ったら留守だったから夕方までこの公園で時間を潰すつもりだったと言う。今日が平日だと忘れてた、なんて笑うけれど、この人なんのお仕事してるのかなあ。
「だからここで会えて良かったよ。しかしよく似てるね、おかげですぐ分かった。リューを連れてくる必要もなかったな」
「似てる?」
「うん、教授と。うーん、よく見ると顔のパーツはそこまで似てもいないんだね。でも、何より空気がおんなじだから。あ、骨格はよく似てるね。僕 “見る” 力は弱いけど目はいいんだ」
シルエットと雰囲気が似てるっていうことだろうか。十和田くんは微妙な顔をして話を聞いている。
近藤さんのところも “見える” 家系だそうだけど、自分の前にいた “見える人” というのがもうずっと昔にいたっきりで、そのことに関してはなんとなくしか伝わっていなかったのだそう。近藤さん自身も、ごくたまに妙なものを見るくらいだったから特に不便はなかったと言う。
「家にはそいつがいるから、まあ、そういう家系なんだろうっていうくらい。良くも悪くも大雑把でさ、ウチは。見えることに関しても、霊感の一種かなっていうくらいなものでね。今思えば呑気にしていられたのも、十和田教授や君がいてくれたおかげだったんだけど」
疑問が顔に出ていたんだろう、説明するね、と近藤さんはわたしたちにも飲み物を勧める。近藤さんがそうと知らずに入学したのは、実は十和田くんの伯父さんが教鞭をとっていた大学だったそう。
「それまで年に一、二回くらいしか見なかったのに、大学に入ってから頻繁に遭遇するようになったんだ。その日はいつもと違って大物が出て、そんなん遭うの初めてでどうしたらいいか分かんなくって固まってたら、どこからともなく十和田教授が来て助けてくれて」
あの時の学校でのわたしのような感じだろうか。近藤さんは思い出すように上を見ながら話す。
「いや〜、あの時は持っていかれそうになって参った。拓海くんは小さい頃からだろ? キッついな、アレ」
「……」
十和田くんは答えない……答えようがないんだと、思う。
「それでお互い『お仲間』だって分かって色々教えてもらった。学部は違ったんだけど、なにかと研究室やゼミにも顔だしたりして。学生の頃は家にも何度かお邪魔したことがあるんだよ。
一見、取っつきにくいけどいい人だよね。授業やレポートには厳しい先生だったから、学生たちからは結構怖がられてたけど、なんだかんだ面倒見もいいし」
僕、せっかく第二外国語仏語にしたのに評価低かったなあ、なんて懐かしそうに言う。
「まあ、それで……なんて言うかな。分かると思うけど、教授は、向こうの世界との親和性がすごく高い人だっただろ。だから向こうの奴もみんな教授の方に行くんだ」
“見える人” は一人しかいないというわけではない。でもそれぞれの能力、というか個差のようなものがあって、見える人の中でも “遭遇しやすい人・しにくい人・回数は少ないけど大物にばかり当たる人” など様々らしい。それは主に血筋によるみたいだけど、十和田家は元来、能力的に高いそうだ。その中でも教授は桁違いだったと近藤さんは言う。
「僕の前に十回出てくるより、教授に一度見てもらえればいいのだから、そりゃあ当然そっちに行くよね。大学で遭ったのは、教授のとこに行こうとして間違って僕のとこに来ちゃったヤツだったんじゃないかな」
でもさ、と近藤さんの声のトーンが少し落ちた。
「教授が亡くなって、僕が見るのも増えるだろうって覚悟してたんだ。確かに一時期は増えたけど、そこまで激増じゃなかったし、その増えた分も少しずつ減ってきて」
「減って?」
「そう、秋くらいからかなあ。僕は教授と拓海くんの他に『見える』人って直接はあと一人しか知らないけど、その人も同じように言ってた」
ああ、他にもいるんだ。なんだろう、そういうコミュニティでもあるのかな。わたしが不思議そうにしたのが伝わったのか、近藤さんが説明してくれる……失礼ながら、細い糸目だけどよく見えてる。
「外国の人でね。偶然出会ってお仲間認定された。ちょっと変わってるけどいい奴だよ、おっさんだけど」
変わってるのは近藤さんもだと思う。どこがって言われると困るけど、何となく全体的にこの明るいんだか軽いんだかの掴みどころのない雰囲気が。
「だからさ、きっと拓海くんに負担がいってるんじゃないかと思って」
「……それが、今日来た理由ですか」
ちょっとぽかんとして尋ねる十和田くんに、うんうんと頷く近藤さん。
「“見る” のってさ、結構しんどいじゃないか。本当は、僕が引き受けることが出来ればと思ったんだ。一応歳上だし、教授には色々助けてもらったしね、恩返しの意味も込めて。でも、呼べば来るっていうものでもないし……だからせめて愚痴でも聞かせてもらおうかと。
僕、ちょうどこっちにいなくてお通夜にも告別式にも出られなくてさ、ようやくご挨拶に伺った時は拓海くん学校行ってたし」
まあ、だから、と近藤さんは細目を開いて十和田くんを見る。
「単純に会ってみたかったっていうのが一番かな。教授の自慢の甥っ子に」
「……そうですか」
口調はまだ硬かったけど、その返事は少しだけ嬉しそうだった。
膝の上の黒猫はいつの間にかウトウトしている。思い出したようにぱさりと動く尻尾がかわいい……どう見ても猫なのに、ドラゴンなんだ。
話が一段落して、再度勧められて少しぬるくなったペットボトルを手にする。
「で、どう実際は? やっぱり多いんでしょう」
「さあ……昔からそんなに変わりませんけど。他人とは比較しようもなかったし」
「クールだねえ。このお兄さんにいっぱい愚痴っちゃっていいんだよ」
「慣れましたから」
楽しそうな近藤さんと、あくまで普通の十和田くんに温度差を感じる。そっか逞しいねえと笑顔の近藤さんは、ふとわたしの方を見た。
「君は教授の家に棲んでるのも見えるんだよね」
その質問はどう聞いても確認だったので、大人しく頷く。だって、猫としてだけどこの膝の上の子も見えてるし。
「怖いとか思わない?」
「……わたしには、みんな可愛く見えるし、一人じゃないので」
ぴくりと小さく動く耳、ぱさんと揺れる尻尾。この子はおーちゃんと会ったらどういう態度を取るんだろう。コロみたいに仲良くなるのかな。手に触れる黒い毛の下には、確かに体温を感じる。
顔を上げたら近藤さんはじっとわたしを見ていてにっこりしてるのに、なぜかバーレッスンの姿勢をチェックする時の先生の目を思い出した。
「そっか。何か聞きたいこととかはある? 少しは答えられると思うよ」
「あ、あの、じゃあひとつだけ」
「うん、うん。なに?」
ちょうどよかった、さっきからすごく気になっていたことがあったんだ。
「この子の名前、“竜” だからリューなんですか?」
「そこっ?」
だって気になったから聞いたのに。近藤さんはやけに驚いたあと困ったような苦笑いの顔でうん、まあ多分そう、とはっきりしない返事だし、横を向いたら十和田くんまで声を殺して笑っていた。




