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おとぎ話の時間です  作者: 小鳩子鈴
本編

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24/32

閑話

絢子視点(回想)

 

 どんなことを言われるだろうか、果たして受け入れてもらえるだろうか。

 常になく緊張していた私の前に現れた “義弟” となるべく歳上の男性は、ちらりとこちらに視線を向けただけですぐに興味なさそうに逸らした。


「――それで、目的はなんだ。知っているだろうが十和田の家にあいにく目ぼしい財産はない。ああ、死亡保険金か? それこそ今からかけても大した額ではないだろうが」

あきら

「兄さんも兄さんだ。ようやく結婚するかと思えば、こんな面倒ばかりの小娘……時間だけはたっぷりあったのだから、もう少し問題のない相手を探せたろうに。相変わらず厄介ばかり背負い込んで」


 まず座れ、と軽くため息をつく兄に勧められてソファーにようやく腰掛けた。彼がこちらを見ないのをいいことに、斜め向かいに座る姿をよくよく眺める。

 背はかおるさんと同じくらい高かった。身体つきは幾分がっしりとしてはいるが、やはり似ている。組んだ足の長さも。似ていないのは、顔。それぞれ父母に似たと聞いていた。確かに目鼻だちも違うが、何より違うのは表情だ。

 涼やかな目元を眇めるようにする義弟から視線を外し、隣に座るひとの方へ顔を向けると柔らかく微笑まれる。その温かい眼差しに私を気遣うものを感じて、紺色のスカートの上で固く握った手が少し緩んだ。

 ……そうだった。こういう言い方をするひとだと、前もって聞いていた。背中に回された手が暖かい。


「挨拶くらいさせてくれ。輝も忙しい身なのに訪ねてきてくれて礼を言う」

「あ、あの。はじめまして、小野木おのぎ絢子です」

「……弟の輝です。先日聞いた話の他に知らせるべきことがなければ、それ以上の紹介は結構」


 辛辣な物言いに返す言葉も無い。事前に聞いていなければ泣いてしまっていたかもしれないと、情けないことを思う……真綿で首を締められるようなのには慣れているけれど、直接刀を振り下ろされることはほとんど無かったから。


「先に言っておく。貴方がた二人の結婚は暫くは認められない。籍を入れるのはどんなに早くともそちらの卒業後だ」

「それは僕も異論はない。絢子にはまだ学んで欲しいしね」

「……はい」


 結婚の障害の一つが私の年齢と学生である身だということは分かっていた。想いが通じた時に真っ先に書いた退学届はあっという間に馨さんに見つかって、この家のこの居間で私の目の前で破かれた。私一人が退学して済む問題ではないと。

 学位を取って卒業する。さとされて、そう約束した。


「教え子と在学中に一緒になるなんてとんだ醜聞だ。兄さんが学長と懇意だったから見逃してもらえただけで、本来なら退職勧告ものだろう。今後の進退だってどうなるか。いままでの研究は、教え子たちのことは考えたのか?……しかも、地方の素封家の娘で婚約者付きときた。気は確かか」

「自分でも驚いているよ」


 肘掛に左腕を預け、胸の前で組んだ指の形はよく似ている。あくまで穏やかに返す馨さんに不満そうな吐息を漏らした。


「呑気な……」

「あの、婚約の方はもう、」

「ああ知っている。おかげで実家からも絶縁されたんだろう、それで本当によかったのか」

「もともと名ばかりでしたので。娘としても、婚約者としても」


 ふん、と面白くなさそうにしながら向けられるようになった眼は何かを確かめるようで、どうにも逸らせない。困って固まる私の視界に、ちらりと茶色いものがよぎった。

 ……この家にすむ、あやかし(・・・・)のようなもの。実家も古くから続く家だから、そういうものについての話は耳に挟んだことがあった。あったが信じてもいなかったし、この家に来るまでは当然見たこともなかった。それに、聞いていたのと違って悪い印象は感じられない。

 弾むように滑るように動き回る、茶色い毛玉。最近は少し縦長の楕円形になっていることが多い。馨さんには、ビスクドールに見えるという。お菓子を切らさなければ何かと手伝いをしてくれるよと、冗談ともつかない教えはどうやら本当のようで、まるで懐かない猫と一緒に暮らしている気分だった。


 この家に居ついてはいるが滅多に出てこない、それが輝さんの周りに集まってきている。その光景にあっけに取られて馨さんを見上げれば、面白そうに頷いてくれた。これがそうか、とようやく色々腑に落ちた。


『輝は、両親が海外にいる時に産まれてずっと向こうで暮らしていたから、母国語は日本語じゃない。向こうの言葉で考えて、それを日本語に訳して話しているんだ。だからか、日本語が遠慮のない直裁的な言い回しになってきつく感じる。建前や前置きがないのもそう。まあ、もとの性格もあるけれど』


 空気を読んで曖昧を通す日本とはまるで違う文化の国で過ごすうち、自分を守るために誤解されない言葉を選ぶ癖がついた。そういうものだと思って聞けば、今日これまでだって筋違いなことは言っていない。言い方さえ選べば受ける印象はいくらでも変えられるだろう……動かない表情筋の影響も大きいとは思うけど。


『行動だけ見れば、自分のことより身内や仲間を優先しているのがわかるよ。それと、あの子たちが好ましく思っている』


 あの者たちはひとの本質に刻まれたカケラを見るからね、と。

 たった一人の弟のことを話す時の馨さんは、いつも懐かしそうに心を込めてその名を呼ぶ。“見える” 血筋を厭んだ弟は、この家にも寄り付かない。だけどそれは、兄である自分を思ってのことだと言う。


『輝が来るとあの子達が余計に集まって来るんだ、それを見せたくないようだよ。非現実的なものをわざわざ確認させないで、あくまで普通の日常を過ごして欲しいらしい』


 僕は気にしないのにね、と馨さんは兄の顔で父親のように笑った。集まった毛玉たちに乗り上がられる輝さんのため息に、意識を今に引き戻す。そう、彼の言葉の裏には悪意は見えない。それよりどちらかと言うと感じるのは……同情。わかりにくいけど。


「……こんな言葉、これからいくらだって耳にするだろうに。いちいち傷付いてやるつもりか?」


 ほら、やっぱり。

 少しだけ空いていた馨さんとの距離を詰めてぴったりとくっつくと、真っ直ぐに輝さんを見た。先ほどまで纏っていた他人を寄せ付けないような雰囲気は、わさわさと茂る毛玉たちに隠されてつゆほども残っていない。

 冷たそうな瞳の奥の気遣いが、今なら分かる。


「私、馨さんと共に生きていけるなら、どんなことだって大丈夫です」

「口で言うのは簡単だな」

「そうですね……だからこれから見ていてくださいね。幸せに、なりますから」

「僕は既に幸せだけどね」


 満足そうな笑顔を私に向けてきっぱり言い切った兄に、呆れたように両手を上にする。その腕に楽しそうにぶら下がる毛玉に、手のようなものが見えた気がした。


「……お手並み拝見」


 微かに上がった口元にお茶も淹れていなかったことを思い出し、慌てて台所へ向かう私の背中に柔らかな笑い声が重なった。





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『Ayakashi and the Fairy Tales We Tell Ourselves』
イラスト/ Meij 先生
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