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おとぎ話の時間です  作者: 小鳩子鈴
本編

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22/32

15

 

 十和田くんが笑ってくれていたから、思い切って前から気にかかっていたことを口にした。できるだけ、自然に。なんていうことはない風に。


「あ、そういえばね、タカノリ先生が『何かあったら協力するから』って」

「協力?」

「うん。この前の、お正月明けにお家にお邪魔した時に」

「……ああ」


 十和田くんの家族は海外にいる。ひとりで日本に残って、亡くなった伯父さんのところにいる十和田くんは、お父さんの一時帰国をどう思っているんだろう。立ち入ったことを聞くことは気が引けたけれど、タカノリ先生からの伝言だけは言わなくちゃと思っていた。

 あの日、家を飛び出した時の表情や雰囲気からはとても仲良し家族だとは思えないけれど、でも。


 ……すれ違っているだけ。そう言った絢子さんを信じたい気がする。

 十和田くんはあまり気にしていないような顔に、今は見えた。


「あの、それだけ。ごめんね急に」

「いや別に」


 伝えたことで肩の荷が下りた気がする。それ以上はこの話を続けるつもりはなくて別の話題を探していたら、珍しく十和田くんの方から話しかけてきた。


「北沢さん、今日塾? 」

「え、ううん。ないけど」

「じゃあちょっと時間いい?」


 頷くと、いつも前を通る児童公園の入り口で立ち止まった。手前に広場と砂場、奥にブランコや鉄棒などの遊具がある公園は、夏休みにこの辺りの小学生がラジオ体操をするところでもある。さすがに夕方のこの時間、遊具で遊ぶような小さい子はいなくて、早々に点り始めた街灯の下で小学生の大きい子たちが元気にサッカーをしていた。

 公園の中には入らず、銀色のパイプを曲げた車止めに寄りかかるようにして話し始める十和田くん。その隣のパイプを握りながら視線を合わせず向かい合って立った。


「……俺さ、“見える” だろ」

「うん」

「生まれつきだから当然と言えば当然なんだけど、小さい頃は見えていいものとそうでないものの区別がつかなくて。見えない気味の悪いもののことばかり話す俺に、母親はひとりで悩んでてさ」


 お父さんが十和田家の体質、というか “見える” 子が生まれる家系だということをお母さんに話したのは後だった、と前に言っていた。

 どうやら今までは “見える” 目を持つ人は近い年代で生まれることは滅多になかったらしい。実際に伯父さんの前は曽祖父だったとのことで、自分の子どもの代では生まれない確率の方が高い。最初からその現象に懐疑的だった父親が口にするはずもなかった。


 生まれた時から何もないところをじっと見つめたり、まるでパントマイムのように何かを触っているような仕草をしたりと、気になることはあったという。赤ちゃんにはよく聞く話だと言われて安心はしていた。成長とともに次第にしなくなる、とのアドバイスは聞かなかったことにして自分を誤魔化した。

 しかし、話し出すのが遅かった言葉が出るようになると、これは違うとはっきり分かるようになる。母には見えないものと会話する息子。クレヨンを渡せば、さっき見たよと気味の悪い何かを描く。


 当時、父親は単身赴任中で仕事も忙しく、何も聞かされていなかった母親は内容が内容だけに誰にも相談もできないでいた。

 何を言いだすか分からない子を人の多い場所になど行かせられない。誰もいない隙を見て隠れるように公園へ行く。健診や通院の時は、はい、いいえの返事以外言わないようにきつく言い含めた。

 初めての子育てで近くに頼れる人もなく、逃げ場もなく、母親は心身ともに疲弊しきっていった。


「もともと、責任感は強いけどそんなに抱え込む性格ではないんだ。ひとこと言えば父親だってすぐに対応できたのに、心配かけたくなかったのか黙ってて。父親はその時向こうの現場主任か何かで週末だって帰って来られなくて、たまに帰ってきても寝てる顔見るくらいがせいぜい。産後うつもあったらしいけど、それでひとりで考えすぎて、ノイローゼみたいになった」

「……うん」

「父親が赴任先から戻ってようやく俺らの状態を知ったんだ。それで残ってる曾祖父さんの日記とか、馨伯父さんから話を聞いたりして情報集めて……その頃からこっちに預けられるようになった。父親は認めたくなかったみたいで、小学校に上がる前に俺の検査も徹底的にやった」


 あの病院で会ったのはそんな時だった。


「小学生になってからは平日は親と住んでたけど、週末や長期休みはこっちにいた。お互いのためにね」

「そうなんだ」

「ずっとそんな状況だったからかな、親子って感覚がわからない」


 己が産んだ小さな息子に戸惑い、不安を覚え、最初は理解できない自分を責めた。次第に、確かにあったはずの愛情は得体の知れない恐怖に置き換わった。

 そこからは坂を転げ落ちるよう。二人っきりの部屋で、愛せない、その目が怖いと泣いた母を子どもは黙って見ていた───その、見えないものが見える目で。


「別にネグレクトとかもなくって、世話はしてくれてたよ。まあ、元から料理は苦手だったみたいで外食や惣菜が多かったけど。理由が分かって、切り替えは早かったけど……でも俺と一緒にいると無理してるのが分かるんだ」


 血筋のことを知り、自分にも子どもにも非はないと知って踏ん切りはついた。しかし、そこに至るまでに深まってしまった溝は容易には変えられるものではなかった。

 父親は、息子の状態が他人に発覚することを忌避した。転勤が多く二年以上同じところにいなかったこともかえって助かったそうだ。

 妹という緩衝材もでき、表面上は普通の家庭として生活をしていたそんな中、父親の海外赴任が決まる。


「で、いい機会だから俺は日本に残ることにした。だから離れてるのは、お互い納得の上なんだ。ただ、出来るならあまり会いたくはない。いい思い出もないし父親はキツイし」


 母親は歩み寄ろうとの姿勢を見せた。しかし元から “見える” ことに否定的だった父親は、妻と子が苦しんだことでますます頑なになり、それが父子の間の亀裂になった。

 生まれ持った性質を否定されることは、自分を否定されることに等しい。能力と本人とを分けて考えられない子どもにとっては特に。


 何も言えずにただ聞くばかりのわたしの方を見ずに話す十和田くん。時々、思い出すように視線は彷徨うけれど声に迷いはなかった。


「小三の時。すごい仲良くなったヤツがいて、つい話したんだ」

「……“見える” って?」

「人並みに暮らしたいなら誰にも言うな、気取らせるなってずっと父親から言われてたんだけどね。こいつなら大丈夫かなって思ったんだ。いいやつだったし」

「うん」

「結果は、父親の言う通りでさ……噂を広められなかっただけ助かったし、すぐその後に転勤になってまた学校が変わったから。どちらにしろ、それっきりだったんだけど」


 信用できると思った担任にそれとなく匂わせればあからさまに異質なものを見る目を向けられ、つくり話だと慌てて取り繕った。検査に訪れた病院では貼り付けた笑顔の看護師が大変でしょうと言うその口で、同僚には虚言癖の子と耳打ちする。


 後ろ手にした手すりの上の拳が白くなるほどきつく握られているのが見えて、こんな時なのに、手袋してなくて冷たそうだ、とかそんなことを思った。

 思ったら、手を伸ばしていた。

 急に手を取られて、強張る指を一本ずつ開かれて。ようやく十和田くんは自分の爪が手のひらに跡を残していたことに気がついたみたいだった。不自然な形のまま上向きで固まった手のひらに、わたしは自分の指先を置く。深く残った跡がすぐなくなるとは思わないけれど、少しでも痛みが紛れればいい。


「それでも、十和田くんはわたしに教えてくれたんだね」

「……あいつが家に押しかけていたし、見えるみたいだったし」


 顔はあげられなくて、重なった手を見つめる。地上1メートル付近に浮かぶわたしの左手、十和田くんの右手、わたしの右手。


「この前も昇降口から引っ張り出して助けてくれた」

「顔色真っ青だったから」


 こわばったままの手の力が少し抜けて、なんとなく温かくなった。


「毎日送ってくれてるし」

「……」


 ふと、十和田くんが公園の中の方に気をやったのが分かった。視線を追いかけると、早い日暮れでボールが見えにくくなる中、まだサッカーを頑張っている男の子たち。その一団の斜め後方の植え込みに不思議な鳥がいた。


 大きな鳥。羽の色は夕闇に溶けそうな淡いブルーグレー、濃い緑のくちばし。こんなに遠いのに赤い目の色までわかる。わたしたちの方をじっと見て、静かに広げた片翼は予想以上に大きかった。その内側の発光するように輝く白い羽に目が奪われる。

 嫌な感じはしない。ただ、あれほど騒がしかったサッカーをする子たちの声も、道路を走る車の音も聞こえない。


 よく見ようと二、三度瞬きをしたら、消えていた。え、と戸惑うわたしの手が下からきゅっと握られて、十和田くんが側にいることを思い出した。


「い、今の?」

「珍しい。あんまり見ないタイプだ」

「へぇ……大きかったね、ハシビロコウみたい」

「は?」

「え、知らない? ハシビロコウだよ。ああ、でも、ハシビロコウなら羽も動かさないだろうけど」


 昔、動物園で見たハシビロコウはただひたすらじーっとしていて、まるでよく出来た置物のようだった。自分よりも大きいくらいのその鳥が少し怖くて、不思議で、檻の前から長い間動けなかったのを覚えている。

 十和田くんはちょっと呆気にとられたようだったけど、すぐにいつも通りになった。


「ハシビロコウに見えたの?」

「大きさとかがなんとなく似てるかなって。色はもっと綺麗だったでしょ……あれ、もしかして」


 十和田くんにとって、おーちゃんはゴブリンだったことを思い出した。案の定、同じようには見えていないと言う。


「北沢さんは基本、みんな動物に見えるんだ」

「そうなのかもしれない……」


 どう見えたのか聞こうとしたら、視線をそらされて話を変えられた。


「北沢さん、体調は?」

「あ、そういえばまた音が聞こえなかった。今はもう平気……うん、なんともない」


 風が木をさわさわいわせる音も、車のタイヤの音も、公園の楽しげな声も全部戻ってきた。この前みたいに膝の力が抜けたり、心臓もうるさくない……いや、胸はドキドキしてる。だってなんでわたし、十和田くんと手を繋いでいるんだろう。あ、わたしがやったんだ、あれ、でも、あの、


「あれは割と大丈夫なやつだから」

「っ、そ、そっか、あの、て」

「うん? あー、まあ、親とはそんな感じ。この前は聞いたばっかでちょっとあれだったけどもう平気だから、隆則さんの手を借りるほどでもないかな」

「え、う、うん。て、手ね」

「北沢さん、キョドッてる」


 明らかに面白がってる口調に誰のせいだと言いたかったけれど、元はと言えばわたしのせいでもあるわけで。

 帰ろうかと言われて自然と離れた手は、いつまでも温かかった。





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『Ayakashi and the Fairy Tales We Tell Ourselves』
イラスト/ Meij 先生
おとぎ書影

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