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早々と弱くなり始める冬の午後の日差しを背中に受けて、わたしは窓辺の席で宿題をしていた。みんなが下校するか部活をしている放課後のこの時間、中学校の図書室はまるで貸切のように人が少ない。貸し出しカウンターに図書委員が二人、わたしと反対に入り口近くの席についている男子生徒が一人。あとはたまに貸し出しや返却に訪れる生徒がちらほらいる程度だ。
時計を見上げ、ほぼ終わった宿題をまとめて帰り仕度をする。そろそろテニス部の部活も終わる時間……あの日から、わたしは十和田くんと一緒に下校している。
あの黒い靄のように感じたのは、おーちゃんとは別の、あちらの世界のものだった。時たま現れては消えて行くそれらのことを話してくれながら、十和田くんは何度もわたしに謝った。まるで、自分のせいであれが現れたかのように。平気だと言っても納得してくれない。
「だって向こうからは何もしてこないんでしょう?」
「何かされなくても、実際に体調おかしくなっただろ」
「あー……少し。で、でも、外に出たらすぐに治ったし」
「一人でいて倒れたりしたら? いつ遭うかも分からないのに」
大丈夫だからと言うわたしと、一人っきりは避けるべきと言う十和田くん。曰く、あの時に出たのが少々大物らしく、あのレベルのが出たあとは他のも出てきやすい、とのこと。話し合った結果、結局しばらくの間、部活が終わるのを待って一緒に下校することになってしまった。
本当は朝も心配だと言われたけれど、さすがに朝練について行くわけにも行かないし。登校時間は生徒もいっぱいいるから大丈夫だろう、ということで折れてもらった。朝から十和田くんに家まで迎えに来られたら、もう、どうしたらいいか分からない。だってそんなの、まるで……付き合ってるみたいで。
帰りだって、部活が終わる頃にわたしが昇降口まで行けば早いのに、十和田くんが図書室に迎えに来る。あれが出たのが階段だったから、校内も気にしているのだ。
心配性だな、と思う気持ちが半分と、ここまでしてくれることにそわそわする気持ちが半分。変な感じで自分でもよく分からない。
通学リュックにノートやなんかをしまっていると、からりと図書室の扉を引く音がする。ドアの方を振り向くと、すでに帰り仕度を済ませた十和田くんが静かに入って来るところだった。
わたしは慌てて荷物をまとめると、カウンターの図書委員とは目を合わせないようにして足早に出入り口の方へと向かうのだった。
帰り道の話題は、学校のことやおーちゃんたちのこと。十和田くんは自分からはあまり話さないけれど、聞けば大抵教えてくれる。
「十和田くんはよく見るの、学校でも?」
「中学の校内で見たのは初めて。大抵は、外」
「へえ……」
「絢子さんのあの家でも見ない。棲み分けでもしてるんじゃないかな」
「おーちゃんたちと?」
確かに、全く雰囲気が違った。おーちゃんからは好意のようなものを感じるけど、あの黒いのからはそういったものは無かったし……ものすごい違和感を纏いながら、漂わせる空気はどちらかというと無関心。
「ただ出てきたんだろう。何かする目的があるわけでないし」
「あ、そうなの」
「馨伯父さんがそう言ってた」
絢子さんの旦那さん。“見える” 家系の先輩だったひとは生前、同じ “見える” 目を持つ甥に色々教えてくれたという。
「じゃあ、なんで出てくるんだろうね」
「……姿を見せて『存在を確認するため』」
「え?」
十和田くんはちょうど通りかかった街路樹の上を指差して言った。つられて見上げ目を凝らす。
「鳥がいるのわかる?」
「ええと……見えない。いるの?」
鳴き声もしないし、枝も揺れていない。すっかり葉っぱが落ちて枝だけになった木は、それでも上の方まで目が届かない。十和田くんは幹に手を当てると一、二度と揺すった。とたん、飛び立つ二羽の小鳥。
「わ、いた。雀かな」
「あれと一緒」
「うん?」
飛んで行った方向を見ながら、あまり興味なさそうに話す十和田くんの口元を見つめる。
「向こうは別に隠れてるわけでもない、ただ、いるところが少し違って俺らに見えないだけ」
「うん」
「でも、誰にも全く気づかれないと、元からいないものになってしまうだろ。『いない』ものは『無い』ものだから、存在が消えてしまうんだってさ。それで、たまに現れては俺らみたいなのに姿を見せて『いる』ものとしての存在を安定させる必要がある」
ううん? なんだかこんがらがった。ええと、要するに、
「……さみしがりやなの?」
「北沢さん、なんでそうなったかな」
「うーん、ひとりは嫌なのかなあって」
「そういう感情は持ってないと思うけど」
「ひとりで消えてしまうのは寂しいから出てくるのかなって」
思ったんだけど違うのかな、そう言ったわたしが顔を上げればフレームの向こうで眉間にしわを寄せた十和田くん。
「……だからあいつらにも好かれちゃうんじゃないの」
「え? ごめん、聞こえなかった」
ちょうど脇を通ったトラックに、十和田くんの呟き声は消されてしまった。聞き直したけど、なんて言ったのか教えてはくれなかった。
「はるちゃんは十和田くんにあげるんだよね、バレンタイン」
「えっ?」
ほのかちゃんが当然のように言ったひとことに、給食のサラダのミニトマトが箸からぽろりと落ちる。慌てるわたしに満足そうにするほのかちゃんの、その大きい目でロックオンされた。
「だって毎日一緒に帰ってるし。お家も行ったりしてるんでしょ? 」
「え、あ、それはそうだけど、そうじゃないっていうか、」
「やっぱり手作りするの? それともお店の買う? いいよね〜、悩むのも楽しいよねぇ……」
うっとりして斜め上を見ながら話すほのかちゃん。困ってしまって向かいの真央ちゃんに視線で助けを求めたけれど、面白そうにニヤリとかわされてしまった。
「十和田くんって甘いの平気? 苦手って聞くと、あげるのどうしようかと思うよね。でも年に一回だしせっかくの機会だから、」
「あ、あのね、ほのかちゃんっ、ほのかちゃんは先輩にあげるの?」
なんとか話題を逸らそうとすれば、効果てきめんだったみたいで、たちまちほのかちゃんはシュンとしてしまった。
「あげたいんだけどね、ほら、受験の時期だから。邪魔しちゃいけないなあって思って……」
「あ……そうだった。あの、なんか、ごめんね」
「ん、でも! その分、卒業式にかけるの!」
「吹奏楽部の花束告白は有名だもんね」
真央ちゃんの相槌に大きく頷くほのかちゃん。転入生のわたしはまだ卒業式を体験していなくて知らなかったけど、この中学ではよく知られた恒例行事らしい。
卒業の時に吹奏楽部で在校生から卒業生に送る花は、基本ガーベラかスイートピー。だけど、ほのかちゃんみたいに先輩に片思いの後輩は、赤いチューリップを渡して告白するのだそう。ずっと前の先輩が始めて、両思いになって、それ以来続く伝統行事となっているという。
「いつからそうなったのかはよく知らないけど。花言葉が元になってるんだって」
「へえ」
「ガーベラやスイートピーは『友情』とか『祝福』とかでね、赤いチューリップは『愛の告白』なんだって」
きゃあっと頬をおさえるほのかちゃん。なんか、キラキラと眩しく見えるのは背中にしょった窓ガラスのせいだけではないみたいだった。
「そっかあ……頑張ってね」
「うん! はるちゃんも頑張ろうねっ!」
「え、わたしは、いや、あ、真央ちゃんは境くんにあげるんだよね」
わたわたと話を向ければ、牛乳を飲んでいた真央ちゃんは盛大にむせてしまった。ほのかちゃんと二人して両側から背中をさすっていたら、ようやく落ち着いた真央ちゃんに涙目で睨まれてしまった。
「……遥ぁ」
「ご、ごめんねっ、でも境くんチョコ欲しいって言ってたよ」
「それは遥から欲しいってことでしょ」
わたしとほのかちゃんは顔を見合わせて首を振る。
「それは、違うよ」
「うん、私も違うと思う。ねえ、まあちゃん顔赤いよ?」
「っ、これは、むせたせいっ」
ふふーん、と不敵に笑うほのかちゃん。この後、わたしと真央ちゃんの間で『ほのかちゃんの前でバレンタインの話は避ける』協定がこっそり結ばれたのは、内緒にしておこう。
おばあちゃんのところと比べると、温度はずっと暖かいはずなのに吹く風はこっちの方が冷たい気がする。だというのに、わたしにマフラーを返そうとする十和田くんの首元は相変わらずスカスカだった。
「……マフラーとかネックウォーマーとか持ってる?」
紺色のマフラーの入った紙袋を私の方に差し出したまま、十和田くんはふい、と目を逸らした。前の中学でもそうだったけど、寒くても男の子たちはどうしてか制服の上にコートを着てこない。その代わり、手袋やネックウォーマーなんかはしてるんだけど、十和田くんはいっつもそのまんま。運動部の子たちがするように、確かにテニス部のジャージを下に着てはいるし、女子と違ってスカートで足が出てるわけでもない。でも。
「見てるわたしの方が寒いよ。そのまま使って。あげる」
「平気だよ」
「あ、こっちの赤いのの方がいい?」
案外似合うかもしれない、そう言って自分が今しているマフラーを指差せば、十和田くんは口を開けたまま黙り込んでしまった。なんだかこんな表情は珍しい気がする。
「使って。お下がりでごめんねだけど……でなかったら、一人で帰る」
そう言えばようやく諦めて、わたしが頼むままにマフラーを身につけてくれた。ゆるく首元にマフラーを巻いた十和田くんを見て、ようやくほっとした。
「“首”ってつくところは暖めておきなさいって、おばあちゃんが言ってたよ」
「首?」
自分のマフラーを指差す。
「そう。ここの首と、手首と足首。冬は冷やしちゃダメだよって小さい頃からよく」
ふうん、という十和田くんと並んで歩く。今日は一日中どんよりとした曇り空で、今も西日なんだか夕陽なんだかよく分からない。建物の間からぴゅう、と吹き込む風はやっぱり冷たくて肩をすくめた。
十和田くんと一緒に帰るようになって今までより帰宅時間が遅くなったので、平日のコロの散歩はお母さんにバトンタッチした。帰りが今までより遅くなることを言えば、当たり前だけど理由を聞かれた。何故か言うのに抵抗があったけれど、今までずっと影で心配してくれていたことを思うと言わないわけにもいかない気がして、渋々と口を開く。
『放課後は図書室に寄ってから帰ろうと思って……』
『ひとりで?』
『……十和田くんが』
送ってくれるって、と告げるわたしに、それならと二つ返事で了承してくれたけど、目が興味津々だったのは隠せていなかった……お母さんてば。
そんなことを思いながら、わたしはおばあちゃんの事を話していた。十和田くんはあんまり喋らないから、いつもわたしばっかり話している。赤信号で止まった隙に、ふと思って聞いてみた。
「ね、いつもわたしばっかり話していて、うるさくない?」
「いや別に」
「そう? 少し黙った方がいい?」
「別に」
「十和田くんそればっかり」
なんだか不公平な気がして出した声は自分でもわかるくらい不満そうだった。高い位置からわたしを見下ろした十和田くんは、面白そうなものを見る顔をしている。
「……北沢さんは、最初の頃に比べて随分印象が変わった」
「え、そう?」
「よく話すし、笑うし、むくれるし」
やっぱりうるさかったのかな。ちょっと気まずい思いで顔を見上げたら、からかうような声とは裏腹にすごく……コロに向けるような、優しい目をしていて。喉の奥がぐっと詰まって声が出なくなってしまった。
きっとおかしな顔をしていたんだろうわたしを見て十和田くんは軽く笑う。
「人見知りはおしまい?」
「……慣れた人限定」
ははっと今度は声を出して笑う。それに気を取られたわたしは、青に変わった信号を渡り始めた十和田くんを慌てて追いかけた。




