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「遥ちゃんとこはこのケーキ今晩食べて、クリスマスイブは何もしないのだった?」
「あ、はい、その予定です」
「ねえ、じゃあ24日はうちに来ない? 拓海と二人っきりだとケーキも減らないのよ。誰か来てくれた方が、ご馳走も作り甲斐があるし……あの子たちも遥ちゃんに会いたがっているみたいだし」
最後の一言をちょっと声を低めて楽しそうに言う絢子さん。絢子さんのお家のおーちゃんたちに挨拶をしてから、コロの散歩の途中で寄ってお庭で会ったりしている。最近はすぐ暗くなってしまうから絢子さんが心配して毎回十和田くんを一緒に行かせようとするから、なんか申し訳なくって、おーちゃんたちに会うのは楽しいけれどなるべく早く帰るようにしていた。
お誘いは素直に嬉しい、でも、いいのかな? クリスマスって家族団欒ってイメージなんだけど。
「あの、ええと、いいんですか? お邪魔じゃ……」
「ないない! よかった、来てくれる? 嬉しい、張り切って作っちゃおう。遥ちゃんアレルギーはなかったわよね、ピクルスやハーブとかも平気?」
「あ、大好きです。あの、よかったらお手伝いさせてもらえませんか? 終業式でちょうど午前授業ですし」
ぱあっと笑顔になった絢子さんは心から喜んでくれているみたい、よかった。
「本当? 嬉しいわあ、それじゃあ、拓海を迎えに行かせるから」
「だ、大丈夫ですよ、昼間ですし! もう迷いませんからっ」
そう? と小首を傾げる絢子さん……本当に、毎回毎回送迎付きって、わたしどれだけ心配されているんだろうか。来春には中三なんだけど、やっぱり子どもっぽく見えるんだろうなあ。
「じゃあ、僕もお邪魔しようかな〜」
「ひゃっ!?」
「隆君、また。遥ちゃんを驚かせないで」
急に背後から降って来た声に飛び上がりそうになった。少し呆れたような表情の絢子さんが私の後ろの人に言い聞かせるように話す。
「ごめんごめん、つい」
悪びれない笑顔を向けるこのイケメンさんは、神出鬼没で実に心臓に悪い。いや、わたしがぼんやりしていて気配に気付かないだけなんだろうけど。
それにしてもこの人、ちょくちょくテレビなんかに出ているような有名人なのに、とっても気さくで驚いた。生徒さんのちょっとした質問にも嫌な顔もしないで丁寧に答えるし、作り方やコツの説明も分かりやすいように例え話やジョークを交えて飽きずに聞かせてくれるし。うん、出演する番組やレシピ本が人気なのすごくよくわかる。
「隆君は仕事でしょう?」
「そうなんだよね、ものすごーく残念なことに。さすがにクリスマスは店が戦場だわ」
「おかげでスクールはお休みだけどね。お仕事はしっかりしないとね、お客さんが楽しみにしているのだし」
「はい、絢子さん。仰せのままに」
オーバーアクションで片手を前に曲げ、綺麗に礼を取るタカノリ先生に、ころころと笑う絢子さん。仲良しなんだな。
「ああもう、相変わらずねえ」
「そう? 成長したと思うけど」
「そうね、立派になったわ。もうポケットに山盛りのダンゴムシとか入れてないでしょう?」
「うわっ、さすがにしないよ! あ、ちょっと遥ちゃん引かないでっ」
つい、体が勝手に二歩下がった。ほら、無いからと両手を振ってみせるタカノリ先生に、わたしもつられて笑顔になる。
「手つきも慣れてるし、仕上がりも綺麗だった。もしかして将来はこっち方面希望?」
優しく問われたそれが自分に向けられた言葉だと理解するのに、数秒かかった。褒められた、と分かって顔が熱くなる。
「あ、あの、今日は、たくさん教えてもらったし、す、すごく素敵なデコレーションがあって特別上手に出来たと、思う…思いますが」
「あ、違うの? 可愛いパティシエールが後輩になってくれたら嬉しいと思ったんだけどな」
「っそ、そんな、わたし……好きなだけで」
「そう? 見込みありそうだけど。ま、でも、焦んなくていいよね。中学生でしょ、色々見つけるのはこれからだしね」
『焦らなくていい。これから』……つい最近聞いたばかりのと正反対の言葉に反応してしまう。
今月のはじめに、三者面談があった。もう来年は三年生、受験生だ。今の中学校は成績や希望進路ごとにクラスを分けたりすることはないとのことだが、進路指導の関係でそろそろ志望校を決めないといけないらしい。わたしは困っていた。
『春からの転入で半年経ったし、方向性は決まったかな』
具体的な校名はさておき、と切り出した先生。今の学校でも前の中学でもわたしの成績は中の上というか上の下というか、その辺。何が困ったと言って、今住んでいるところは交通の便と学区の関係で通える高校が多すぎるのだ。
ランクもあるので全部が狙えるかといえばそんなことはないが、わたしの成績で合格圏内の高校が近場の公立だけで八校、電車の乗り換えや私立なんかを入れるとそれこそ数え切れないほどの数になる。普通科の高校が多いが、授業内容や特色にはやはり差があり評判もそれぞれ。
『どんな大学に行きたいか、将来はどうなりたいのか。そういうビジョンを持って選んで、向かって行ったらいい』
高校も大学も通過点だと言い切る先生。それは確かにそうかもしれない。けれど、わたしはその先を見ることが出来ていない。高校を出て大学を出て社会人になって……わたしはいったい、どういう大人になりたいんだろう。みんなが言う『自分らしく』って、なんだろう。わたしはわたしだと思っているけれど、“みんなが思うわたし” と “わたしの思うわたし” は違うことも多くて、何が本当なのか、何がしたいのか、何をするべきなのか、分からなくなる。
決めなさいと言う。決められないと迷う。自分のことなのに。
将来というものを考えると、そわりと言い知れない冷たい風が心を抜ける気がする。考えて、分からなくて、時間だけが過ぎる。
無難と思える高校名を二つほどあげたわたしに頷いて、先生はお母さんの方と話を始める。書き込む手元を見ていられなくて窓の外に目をやると、すっかり葉を落とした桜の樹の枝が冬の風に揺れていた。
「……これから、でいいんでしょうか……?」
「ん? だってまだ中二でしょ、僕はその頃なーんも考えてなかったしね」
考えが口に出てしまっていたらしい。耳ざとく拾ってこちらを見る目は、やっぱり優しい。
「え……最初から、パティシエになりたかったんじゃないんですか?」
「あははっ、ぜーんぜん。この道に進もうと決めたのは高三だよー、周りには大学行くと思われてたし。姉ちゃんが店継ぐことに決まってたから、親父は何も言わなかったしね」
「そうなん、ですか……」
意外。勝手に、小さい頃からの夢を叶えたと思っていた。きらきらと輝いているのは、まっすぐな道を進んで来たからだと。
「ただ、そうだねえ、将来的に何するにしても、今を目一杯やっとけばなんとかなるよ。特に決まってないなら尚更ね、選択肢は多いほうがいい。まあ、この世界は学力はあんまり関係ないけれど、でもやっぱりいろんな事知っていて損はないね」
「……高校とか大学、とか?」
「うん、そう。僕の友達ではね、教職とって営業やってる奴もいるし、すっげーいいとこ就職したのに辞めてコーヒーの自家焙煎の店してる奴もいる。でもねえ、それまでにやったことで意味ないことなんてないんだよ。だから、なんでもいいから今できることを思いっきりやったらいいよ」
高い背を少し屈んで、わたしとしっかり目を合わせて言ってくれた言葉は、つきりと刺さる……迷っていいと、言われた気がした。
どうしよう、泣きそう。
「……って、うーん、ちょっと偉そうだったかな。どう、どう? 絢子さん、今の大人っぽくなかった?」
「隆君、その照れで台無しよ」
はっと我に返ったように目の縁を赤くさせたイケメンは、誤魔化すようにわたしの頭をわしゃわしゃと撫でで目を逸らす。楽しそうにこちらを見る絢子さんと代わりに目が合った。
「ねえ、遥ちゃん。私いまはこんな仕事してるけどね」
「はい」
「結婚するまで料理したことなかったのよ」
え? そんな馬鹿な。朗らかに笑う絢子さんに、冗談を言っている様子は全く無くて。
「そうそう、うちの親父に習いに来た時酷かったもんね。小学生の俺より下手なの、リンゴも剥けないし」
「だってやったことなかったもの。馨さんと円堂先生がお友達で助かったわ」
驚いて涙も引っ込んだ。ものすごく意外な事実を初めて聞いて、絢子さんに対する認識までも新たにしたのだった。




