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「はじめまして、円堂タカノリです。ENDOクッキングサロンの特別教室にようこそ!」
球技大会も文化祭もつつがなく済んだクリスマス少し前。わたしはエプロンをして、広く明るい「スタジオキッチン」と呼ばれるような所にいた。周りは主に年上のお姉さん……大学生とか、OLさんと呼ばれる年齢の人たちから、お母さんくらいの年代の人たち。親子で参加している人たちもいるが、子どもの方は高校生くらいだろう。どう見ても、いかにも中学生は私ひとりだ。
みんな目をきらきらさせて、前に立つ爽やかイケメンパティシエをガン見している。
「えー、本日は、クリスマス企画という事で、クリスマスケーキの定番中の定番『ブッシュドノエル』を作りましょう。まずは今日の流れを一通り説明しますね……」
事の次第はこうだ。すっかり仲良くなった絢子さんに誘われて『ENDOクッキングサロン 冬の特別スイーツ講座 講師:円堂タカノリ』に関係者枠で参加することになったのだ……お母さんが。そう、ここにいるのはわたしではないはずだった。お母さんも「今年のクリスマスケーキは豪華手作りね!」なんて言って、かなり楽しみにしていたのだけど。宮城に住むおばあちゃんが、転んで怪我をしてしまったのだ。
一緒に住まないか、という誘いを断ってずっと一人暮らしのおばあちゃん。左手首の骨折という大怪我で困った事態になってしまった。転んだ時に手をついたらグキッといってしまったらしい。
利き手の右手や、足の骨折じゃなかったのは不幸中の幸いだった、そう言って一人娘のお母さんは宮城に飛んで行ってしまった。おばあちゃんには大丈夫だからと断られたけれど、それにしたって少し慣れるまでは手伝ってくると。なんなら治るまでこっちにおいでとお父さんは電話で説得していたけれど、おばあちゃんは犬と猫と金魚も飼ってるし畑もあるし、あのお家が大好きだからそれは難しいんじゃないかな。
お母さんは、ついでに玄関やトイレに手摺をつけたりするようなリフォームを相談してくるそうで、もうそのまま冬休みになったらみんなで泊まりに行っちゃおう、という予定になっている。
そんなわけで、お母さんは先週から留守。この教室もキャンセルしようと思ったら、わたしが来ればいいじゃない、と絢子さんに軽く言われた。
『特に年齢制限はないのよ。流石に小学生一人だったら難しいけれど、遥ちゃんは大丈夫でしょ? クッキーもブラウニーも上手だし基礎は出来ているもの』
『え、でも』
『大丈夫、私もいるし。せっかくだから来て作って、お父さんやお兄さんに食べさせてあげて』
キャンセル待ちが二桁という大人気教室だ。それにわたしだって出来るなら一度本職の人から習ってみたい……そんなわけで、一人ここにいるのだけれど。イケメン先生の横でちゃきちゃきと器具を用意したり片付けたりしている絢子さんが時折よこしてくれる笑顔に随分心が軽くなった。まあ、生徒のみんなは先生に夢中だから、中学生で一人参加のわたしにもあまり興味がなくて何より。
「……というふうに進めていきます。では、早速始めましょうか!」
よろしくお願いしまーす、と声が合わさる。顔をあげれば同じ調理台を使う他の三人と目があった。二人がお母さんくらい、一人が若いOLさん。
「あ、あの、よろしくお願いします」
「こちらこそ。一人なのね、感心だわ」
「女の子はいいわね、うち男ばっかりで」
「あらウチも」
早くもお母さんズは意気投合して、OLさんはポーッとイケメンを見ながらも、手早く卵を割り始めている。おっと、わたしも頑張らなきゃ。今日は小さめとはいえ、一人一台作って持って帰れるのだ。
クリスマスには少し早いけれど、日曜日の今日、このケーキで我が家はクリスマスをすることになっている。イブと当日は平日でお父さんも帰りが遅いし、お兄ちゃんはデートだなんてはしゃいでるし。
切り株の形のブッシュドノエルは、スポンジ生地をプレーンなものかココアスポンジにするか選べたので、お父さんの好みでプレーンな方にした。ロールケーキを作って、チョコレートクリームでデコレーションするのだけれど、材料や器具はプロ向けの物だし計量まで済んである。工程はしっかり説明してくれて、泡だて加減の見極めもアドバイスしてくれる。よっぽどヘマをしない限り、成功は約束されたようなものだ。
特に問題もなく作り進め、スポンジは焼きあがった……どうしよう、このしっとりとキメの整ったスポンジ生地、美しい焼き色、上品な甘い香り。デコレーションに使うチョコレートを湯煎にかけながら、うっとり見つめてしまう。まるで自分の腕が上がったと錯覚しそう。
「うん、綺麗に焼けてる」
「!っあ、ありがとうござい、ます」
「おっと、ごめんね、驚かせちゃった?」
わ! びっくりした! 焼きあがったスポンジに心奪われていたら、イケメン先生が近くにいたのに気付かなかった。ぐっと屈んで顔を近づけて生地を、チョコレートの溶け具合を確かめると、にっこり笑顔をこっちに向けた。落ち着いたダークブラウンの髪はすっきりと短めで整った顔立ちがより一層分かる……ううん、テレビで見るよりかっこいいかも。俳優さんにでもなれそうだなあ。
「こっちもそろそろいいね。チョコが溶けたら温度が上がりすぎないように。生地を冷ましている間にそのままデコレーションの準備ね。クリームとか向こうで冷蔵庫から出してもらって」
「は、はい」
わたしとの身長差から、タカノリ先生は膝に手をついて目線を合わせて教えてくれる。まるでお父さんが小さい子に話しかけるようなこの体勢は何だろう……やたら距離が近い気がするんですが。いやでも、別に、そんな特別ってわけでは、え、でも、やっぱりこれって近いよね? だって睫毛が数えられるよっ!? え、は、何でそんな満面の笑顔でこっちを見てるの? え、ど、どうしよ、近いちかいっ、
「あのぉ、せんせえ〜、このくらいでいいですかぁ?」
「うん、今行くね。じゃあ、遥ちゃん、続き頑張って」
「あ、の、はぃ……」
わたしの肩の後ろあたりを軽くポンと叩くと、タカノリ先生は声をかけてきたOLさんの方へ向かった……ナイスだOLさん! 自慢じゃないがイケメンにも男の人にも耐性がない! はああぁ、びっくりした。
自分のライフがずいぶん削られた気がしながらフラフラと冷蔵庫の方へ行くと、絢子さんが生クリームを出してくれた。
「隆君がはしゃいじゃってごめんね。遥ちゃんに会えるって随分楽しみにしていたのよ」
「え、ええ? な、何でですかっ? 」
「私が、可愛い女子中学生と仲良くなったって言ったら興味持っちゃって。教室ではおやめなさいって言ったんだけどね。後でペナルティーだわ」
ちらりとタカノリ先生の方に目をやりながら、ふふふと笑う絢子さん。珍しく、ちょっと遠慮のない物言いに、彼を小学校から見てきたという時間の長さがうかがえた。持っていったトレイにイチゴが積まさる。
「イチゴは洗ってあるから、上に乗せる飾りのカットはお好みでね。中に巻き込む方は指示通りに」
「はい、ありがとうございます」
調理台に戻ると、溶かしたチョコレートに生クリームを少しずつ入れてチョコクリームを作った後、今度は巻き込み用の普通の生クリームを泡立てる。土台となるロールケーキは白い生クリームでイチゴ入り、外側のデコレーションはチョコレートクリームという豪華クリーム二種類使いだ。家ではなかなかここまでしない。
用意されているデコレーション用の小物もさすが業務用、という感じの洒落たものが多い。よくある柊の葉っぱや、サンタさんのマジパン人形、メリークリスマスのプレートも市販のものよりかっこいい。
何より極め付けは、タカノリ先生が一つずつ手作りしてくれた飴細工とチョコレートの飾り。キラキラした赤いポインセチアのような飴細工、ビターチョコレートで作ったシックなバラ、ホワイトチョコの雪の結晶……綺麗すぎてため息が出そう。こんな素敵なのを飾って見劣りしないようにと、一生懸命丁寧に作ったわたしのブッシュドノエルは、我ながらなかなかの出来栄えだった。
「上手、頑張ったわねえ遥ちゃん」
「やっぱり飾りが綺麗だとすごく立派になりますね。お店のっぽくなりました」
出来上がったケーキは、絢子さんや他のアシスタントさんが崩れないように丁寧に箱に入れてくれた。この、箱に移したりするのが結構難しいのでやってもらえて助かった。他の人に順番を譲ったので、キッチンに残っている生徒はわたしが最後の一人だった。
使った器具を洗ったり、しまったり、「アシスタントは何でも屋さん」って絢子さんが前に言っていたけれど、本当にみんなキビキビ動いてあっという間に室内は整っていく。無駄のない動きは見ごたえがあった。
お読みいただきありがとうございます。
長くなったので分割しました。次話8-2も本日投稿しています。




