青き春の終着点
私が送る慌ただしい毎日には、大きな差異などほぼ皆無であった。
故に何かに情熱を傾けることなど、考えもしなかった。多分に羞恥的なものとさえ思っていた。
なぜ私は生きているのだろうか。無意味に毎日を過ごしている様に思える。
今日も私はいつもの様に仕事を終え、身の回りを整え、床に就いた。
そして深い闇の中に溶けていった。
しかし、其処からはいつも通りとはいかなかった。
私は今、どこか部屋の戸の前に居た。
戸の表面の木の皮は少し剥がれていた。
数十個の机と椅子が規則的に並び、壁に丸時計が掛けられているのを見ると、何処かの学校の教室であると推測できた。
私は此の場所に見覚えがあった。
教室の隅に目を遣ると、学生服を着た青年が一人で立っていた。
左胸のポケットには造花の飾りを付けている。
恐らくこの日、卒業の時を迎えたのであろう。
一度彼から目を外し、絵画を鑑賞するかの如く教室全体を見渡すと、身体の中心から何か熱いものが放出され、全身に張り巡る血潮の中を駆け回った。
其れは確かに私の頭の中にも回り、目頭を熱くさせる。
ここは間違いなく我が母校だ。私の居た教室だ。
彼は窓の桟に腕を掛け、教室を照らす西日の方をぼんやりと見つめていた。
卒業を上手く実感できていないのだろう。確か私もそうであった。
彼の見る陽光には若干雲が掛かり、半分程は水平線に埋没していた。
其れは赤色と黄色と橙色とが混じり合った、此方を温かく鼓舞するような色合いをしている。
しかし同時に其れは、夕暮れの近隣にまで夜が来訪した事を示していた。
彼は涙を流しはじめた。
恐らく、これまでの日々に思いを馳せているのだろう。
青春であった日々を、焦燥と安寧とに挟まれたあの日々を思い返し、涙をこぼしているのだろう。
間違いない。今もはっきりと思い出せる。
彼は、昔の私そのものだ。
それは決して、あの学生に自らの過去を投影し、過去の自己と同一視しているという事ではない。
彼は紛れもなく、18年前の私であった。
こうして昔の自分を見ると、ひどく滑稽で痛々しく思えて恥ずかしくなる。
とうに捨て去った過去の姿を見るのはどうしようもなく気に障った。
ふと思う。
あの頃の私は何をしていたのだろう。
部活や勉学に狂熱を注ぎ込み、それでも見えてこない道標を求め常に走っていた。周囲の温かさに負け、一人だけ冷風に晒されていると感じることもあった。
それでも逃げなかった。風に立ち向かった。
今の私は何をしているのだろう。
熱くなることを避け、冷たく置かれることからも逃げている。
道標を探そうともせずぬるま湯に浸かり、無風の場にうずくまっている。
思考を深めている途中、私ははっとした。
そういえばこの時泣いた私は担任に慰められ、家に帰ったのだ。
悩みを深めた私は、自らを死の淵に追いやっていた。このまま飛び降りてしまおうか、と思いかけた時に担任に声を掛けられ、なんとか踏み止まったのだ。
しかし今の校舎に他に人がいる様子はない。
私は彼に声を掛けようと思い立った。彼の、自分の命を救うため。
がらりと引き戸を開ける。
「やあ」
と声を掛けた。
自分の他に誰も居ないと思い込んでいた彼は、涙も拭わず素っ頓狂な声を上げた。
「どなたですか?」
無理もない質問であった。
「未来の君だ」
これまた素っ頓狂な返答をしてしまった。
だが彼は何の疑問も呈さずにこの答えを受け止めたようだ。
この反応は明らかに違和感のあるものだが、私はそれに気付かぬまま質問した。
「なんで君は泣いているんだ?」
少し間を置いて彼は言った。
「僕には温かい仲間がいました。先輩がいました。後輩がいました。だから泣いているんです」
私は首を捻るような素振りをした。
「温かい空気が名残惜しいってことか?」
「違います」
彼は間髪入れず返事をした。
「僕には何も出来ません。何をしたらいいのか分かりません。そんな僕になんで優しくしてくれる人がいるんでしょう」
「それは…」
私には答えられなかった。無論私も昔、同じ疑念を抱いていたからだ。担任にも打ち明けず、卒業後は考えないようにしていた。
「そんな人達を僕は疑ってしまうんです。そして結局、今日この日までその疑いが晴れることはありませんでした」
沸々と熱さと苦味が頭の中に渦巻いてくる。忘れていた感情が舞い戻ってくる。
「僕は人を疑ってしまう時、泣くんです。情けなくて。何も出来なくて何も信用できない自分が嫌になるんです」
もういい、やめろ。自分を責めるな。
「強く熱く生きてきたつもりだった。それなのに何も変わらない。もう死んだ方が良いんじゃないかって、思うんですよ」
「やめろ!」
思わず、大きな声を出してしまった。しまった、と一瞬思ったものの、激昂した脳と心は止まらない。
「お前も人に優しくするだろう。それと同じ様に他の人もお前に優しくするんだ。簡単なことだ。割り切ってしまえばいいんだ。」
怒号空しく、彼の表情は全てを諦めていた。其れは、私が毎朝鏡で見る表情に酷似していた。
「ええ、割り切りました。もういいんです」
私は先程よりも強く、しまった、と思った。
割り切るとはなんだ、そんなことであの頃のお前は納得したのか?
必死で生きるその中に活路を見出だそうとしたんじゃないのか?
寂寥、焦燥、不安。
それらすべての感情をそんな簡単な言葉で終わらせて満足か?
あの日々の終着点はそんな単純な場所にあるのか?
彼は窓を開け桟の部分に飛び乗り、足を強く踏み出していた。
「待て!」
彼の足を掴んだ私の体は、地面まで真っ逆さまに落ちていった。
体に伝わる衝撃と共に、私は目を覚ました。
時計の針は朝七時を指している。
背中は冷や汗でじっとりと濡れていた。
私はいつもの様にベッドから抜け、洗面所に向かった。
洗面所に写る顔はどこか懐かしい表情をしていた。
ネクタイを締め、出勤する準備は整った。
いつも通りの手順ではあったが、心持ちは遥かに違う。
家のドアを開け外に飛び出た。一歩一歩を強く踏み締め歩む。
彼の背には、青い葉が少しずつ生え始めた木々が立ち並んでいる。
冬用の厚着をした彼をじりじりと熱くさせるほど、気温は上がりはじめていた。
春はもう、すぐ其処にまで来ている。
二作目です。
まだまだ至らぬ点があると思いますので、批評や採点のほど宜しくお願い致します。