7 風にたなびく砂煙(後篇)
「襲撃だ!」
絶叫が耳に入り、タローは跳ねるように立ち上がった。
目と鼻の先のテントは、昼間だというのに煌々と紅く染まり、あたりからは何とも言えない焦げた匂いが漂い始めていた。たびたび金属同士のぶつかる音が響いて、激しい斬り結びを想像させる。時には風を切るようなひゅっという音が聞こえてくる。
タローは身を固くしながら、傍らのエラオを振り返る。
「……何かあったみたいだ」
「……襲撃って聞こえたけど?」
「盗賊かな?ここは国境からは遥かに遠いから、戦争ってことはないと思うけど……盗賊が騎士団の駐屯地をわざわざ襲うとは思えないしな……」
妙に冷静なタローの言葉に、強張った表情で立ち上がったエラオは、そのまま無言で首を縦に振った。
タローは腰に吊るした業物を手で押さえる。
すぐに天幕から数人の騎士とともにファレスが飛び出してきた。警護の見習い騎士にいくつかの指示を出して走らせ、自身はそのまま別方向に走り去っていく。去り際にこちらに振り向く。
「タロー!おぬしらは天幕に隠れてろ」
タローはファレスに手を上げて、聞こえたと合図すると、天幕に入ろうとしたが思い直して立ち止まると、すぐに天幕の側に身を寄せ、幕の皺の間に身を隠すようにした。エラオが転がるように駆け出して続く。
「天幕に入らないの?」
エラオが不安そうに聞く。
「天幕の中は見つかりにくいけど、火をかけられたり中に入られたら脱出が難しくなる気がする」
そんな間にも絶えず喚声は聞こえ、さらには風切り音とともに、少し離れたところに何本かの矢が飛来して地面に突き刺さった。側に身を寄せていたエラオの身体が固く強ばるのがわかり、彼女の手が伸びてきて、タローの手をきつく握る。
タローは自分が意外と落ち着いていることに自身でびっくりした。それは、エラオがいるから無理をしているのだろうか?それは違うとタローは思う。なにか、自分の中にあるなにかが、この雰囲気に惑わされずに彼の心を落ち着かせていた。それが何かはわからなかったが、漂っている焦げた匂いも、弾ける炎の音も、タローには何の影響も与えることはなかった。
埃をかぶっった白い天幕を身に巻きつけたまま、二人は身じろぎひとつせずに辺りを窺う。相変わらず喚声が上がり、悲鳴や絶叫空気を引き裂くように届く。獣のような咆哮とともに、バンという大きな金属音も響いた。
激しい戦闘だった。
敵も味方も入り乱れて、誰一人として駐屯地の全体を把握している者はいなかった。
最初は一か所で多数が闘っているようだったが、突破されたのか、防戦が成功して追撃に入ったのか、やがて、戦いの音が拡散していき、最初の煙が上がった辺りは静かになったと思ったタローは、思い切ってエラオの手を引く。
「移動しよう。たぶんあっちのテントの方はもう人はいないと思う」
「大丈夫かな」気丈にもエラオはタローの顔を見返す。
「たぶん……流れ矢だけは気を付けて」
「一応、旅装してきて正解だったわ」
「……なんか余裕でてきた?」
「まさか、余裕なんてないわよ……高ぶりすぎてるのかしらね?」
「そうかもしれない。走るよ!」
タローは駆け出しながら、エラオの背中を軽く押し出した。
風が強く吹きはじめ、テントや天幕があちらこちらでバタバタとはためいている。砂埃が舞い上がり、草花が揺れた。
二人はファレスが本部を置いていた天幕を離れると、最初に煙の上がっていたテントの方に向かって全力で駆けだした。低い生け垣をかき分け柵を飛び越えて走ると、テントの間を縫うようにできた轍にぶつかる。さらに轍に沿って走ると、すぐにT字路が見えてくる。そのT字路に飛び出した瞬間、タローは激しい衝撃に遭って大きく吹き飛ばされた。
手を曳かれていたエラオも巻き添えになって一緒に地面を転がる。タローはとっさに身体を丸め、受け身を取るように背中から落ちていたが、エラオはそうはいかない。タローは無意識に地面に投げ出されたエラオをの身体を下敷きになるように抱き取ると、頭を庇うようにゴロゴロと転がった。
身体の回転が止まると同時に身体を起こしながら、衝撃の原因を探す。
見るとタローたちが吹き飛ばされた方向と反対側に対するように、粗末な皮の胸当てを身に着けた長身の男が今まさに身体を起こすところだった。
つまるところ、走っていたタローと男とが、反対側から同時にT字路に飛び出しぶつかったということだ。タローは瞬時にそう見当をつけだが、問題は男が何者かということだった。騎士団の風体とはあまりにも違う以上、この騒ぎの原因を作った襲撃者と考えた方が妥当に思える。
一瞬の間に相手も同じことを考えたのだろう。男は立ち上がりながら腰にぶら下げていた両刃の斧を手に取った。
タローはエラオと男の間に割って入るように、身体をひねりながら立ち上がった。片膝をつきながら剣を抜くが、盗賊の男の方が早かった。ビュッという重い音とともに、さっきまでタローの頭があった位置を、斧が横薙ぎに通り過ぎる。だが、タローの頭はその前に沈んでいて、髪の毛数本を切り飛ばされただけでかわしきった。
屈みこんだ膝をバネにして立ち上がりながら抜いた剣を突き出すが、男は横に振った斧に身体を預けるようにそのまま横に跳んでかわす。男は素早く身体を転がして受け身を取るとそのまま立ち上がった。
立ち尽くすエラオの肩を軽く押して、少し離れさせると改めて男との距離を測りながら剣を構える。鍛冶師たる者、自分の扱う得物の使い方ぐらいは習得せねばという祖父の方針で、多少なりの剣の稽古はしていたから型くらいは様になっている。けれども、実践は初めてだったし、最近は稽古もサボり気味だったので、タロー自身はパニックの一歩手前だった。ただ、エラオが一緒にいるせいか一撃目をかわせたという気持ちのせいか、徐々に感覚が研ぎ澄まされるように落ち着いていった。
今度は縦に振り下ろされた斧を剣で迎え撃つと、受け止めずに斜めに刃を滑らせて逸らすように受け流した。たまらず前のめりにつんのめる男の胸を蹴り上げるが、胸当てに阻まれて大したダメージは与えられない。男はそのまま頭を下げて低い体勢のまま突っ込んできた。斜め後ろに跳んで身をかわすタロー。
まさに一進一退の戦いだった。
盗賊と思しき男も、それほど戦い慣れしているようではなかった。だからこそ、タローがなんとか戦えたといえるだろう。
一合二合と刃を打ち合わせ、火花を散らしながらお互いの攻撃を受け流す。
「危ない!」
時折、タローが攻撃を受けるたびにエラオの悲鳴が上がり、そのたびにタローは苦笑いをする。まさか自分が女の子を庇いながら剣を振るう羽目になるとは思わなかったからだ。それでも、常に死の恐怖と隣り合わせに剣を動かす。
何合打ち合ったのだろうか。タローは重くなった腕をひたすら振り続けていたが、横薙ぎの斧の一撃をかわし損ね、左の肩口に刃をを浴びた。
ガチンという激しい音と飛び散る火花とともに鎧が破片となって飛び散った。幸いにも軽装とはいえ身に着けていた金属製の鎧がタローの肩を護ったのだ。しかも、斧が肩当の部分に食い込み、男の手を離れてしまった。だが、タローも衝撃による激痛に顔をしかめる。激痛に耐えながら、タローは鎧の肩に刺さった斧を抜いて、後ろの方へ投げ捨てた。さすがに少しだけ肩にも刃は食い込んでいて、切端がうっすらと朱く濡れていた。
男は一瞬ひるんだが様子だったが、失った斧の代わりに腰から短剣を抜いた。タローの持つ剣の半分の長さもない代物である。
タローは痛みをこらえながらも、再び構えて男の動きに備えた。左手はだらりと下げたまま、右手に握った剣をまっすぐ向ける。両者が対峙する。
しびれを切らした男が短剣を目の位置に構えまっすぐ突き出してきた。タローは後ずさりながら必死になって身をかわし、剣で払いのける。二撃三撃と繰り返し打ち込まれるがそれもすべて逃げ切った。
痛みに意識が飛びそうになりながらも、背中にエラオの気配を感じては踏ん張ることを繰り返した。 徐々に相手の動きがよく見え始め、相手が自分と変わらないか少し年下くらいの幼い顔立ちであることに気が付く。
タローは頭をひとつ振ると、不意に防戦から攻めに転じた。
短剣を大きく後ろに跳んでかわすと、右手に持った剣を左側から大きく振るう。タローは刃を相手の短剣の刃の根元にあてると、巻き取るようにして男の手から得物をもぎ取った。短剣が弧を描いて宙を飛ぶ間に、素早く相手の首筋に突き付けた。
二人の戦いはここで終わった。あとはその剣を振るうだけだ。
幼い顔立ちの男の顔が恐怖にゆがみ、タローはそこで躊躇する。剣を突き付けたまま、二人は微動だにせず向かい合った。エラオも少しも動かずに固唾をのんで見守っている。
先ほどまでのやりとりでは男から殺気を感じていたし、状況が少しでも違えばタローは殺されていたかもしれなかった。ここは、男の命を奪っても仕方のない場面ともいえるだろう。だが、タローの中で何かが引っ掛かった。
よくわからない何かがタローの手を抑えていた。男は目を瞑り観念したように大人しかったが、それが余計にタローを戸惑わせる。
そのまま少しの間が流れた時、突然大声がとどろく。
「もうよい、そこまでだ。タロー!」
男の向こう、視界の奥から駆け込んできたのはファレス以下の数名の騎士だった。砂埃と煙で煤けたままの彼らは素早く駆け寄ってくると、剣を抜きざまに観念したままの男の胸板を突いた。
「!?」
タローは絶句し剣を取り落した。くるりと円を描いた剣は乾いた音を立てて地面に突き刺さった。別の騎士が素早く力尽きた男の身体を腰を抱くようにしながら突き飛ばした。
男はタローの方を見ながら倒れこむ。その目がタローと合った。
それはひどく悲しげな瞳だったが、一瞬だけ嬉々として光ったようにも見えた。
タローはそのまま脱力して崩れ落ちた。
「よくがんばったな」
駆け寄ってきたエラオの顔が視界いっぱいに広がり、ファレスの言葉が頭の中にこだました。タローはかろうじて意識をつなぐと、エラオにすがるようにしたままその場にへたり込んだ。
「……なんとか護れました」
「ああ、よくやった。あそこまでで充分。あとは我々の仕事だ」
「ありがとう、タロー」
エラオがタローの肩を抱く。ファレスは屈みこむとタローとエラオの頭を静かに撫でた。
騎士たちは油断なく周囲に目を配りながら遠巻きに三人を囲んでいた。
「正直、びっくりしました」
その晩、騎士たちに街まで送り届けられたタローはいろいろと落ち着いた夕方になってから親方に言った。
「そりゃ、そうだろう。よくやったよお前は」
結局、騎士団には何人か軽傷を負った者はいたものの、天幕や設備が炎上したり壊れたりしただけで、大きな被害はなかった。戦闘後に確認したところ、どうやら野盗の集まりに襲撃されたようで、背後関係は調査中とのことだが、食い詰めのならず者の襲撃という線で落ち着くようだった。
「野盗の群れがわざわざ騎士団の駐屯地を襲うものかがわからんが……」
親方は槌を握ったまま、タローが持って帰った剣の歪みを確認しながら言った。炉の中で燻る炎が、工房の中を波打つように紅く照らしている。
肩に大きな分厚い包帯を巻かれたタローは、空いた右手で矢じりの損傷をひとつひとつ確認しながら答える。
「よほどの食い詰めだったんですかね?」
「仮にも騎士団だからな……人数は多かったみたいだが」
「はい。よく生きて帰れたと思います」
「まあ、心持ちひとつなところはあるがな」
親方が槌を振るい、表面の不純物が火花となって飛び散った。
「小心者ですから……」
「小心者だから生き残れるんだよ」
「そうかもしれませんが……後ろにエラオがいて、気を抜いたら自分が殺されるかもしれない状況で、僕は相手に刃を突き立てられなかったんですよね……なにかが引っ掛かって」
親方は手を止めた。静かに槌を金床に置く。
「で、躊躇してたらファルスさんが駆けつけてきて、騎士の方がバッサリと。駆けつけてきたのが野盗の仲間だったら僕は今頃……」
「そりゃ、おまえ……お前が鍛冶屋だからだよ」
親方はにやりと笑う。タローは意味が分からず呆然としている。
「お前は守るために創るのが仕事。騎士ってのは守るために奪うのが仕事。どっちがいいとかじゃなくてな。役割としての話だ」
「そりゃ、そうですが」
「おまえは守るために戦ったが、最後で奪うことを躊躇した。その結果、逆に殺されていたかもしれん。それはわからんさ。でも、おまえは自分の分限の中で精いっぱいやったわけだ。だからよくやったって褒められてんだよ」
「じゃあ、騎士がバッサリやったのも?」
「そりゃ、連中の分限だな。俺たちは武具を作ることで間接的に守ってるわけだ」
「間接的に奪ってると?」
「まあ、そうも言えるな。けどな、俺たちはあくまで作るだけだ。使われ方までは決められねぇ。騎士に渡すか野盗に渡すか……だから、俺は作るときに相手をよく見るんだよ」
「見極め損ねたら?」
「そりゃ、おまえ。責任はとれねぇけど、自分で背負うしかねえよ。俺の背中は荷物でいっぱいだ」
親方は道具箱から先ほどとは違う金槌を取り出して握った。
「騎士の方も……」
「そりゃ、背負ってるさ。けど、奴らは戦うことをやめないし、俺は造ることをやめられない」
再び親方は槌を振るい始めた。
工房の中に規則正しい澄んだ金属音が響き始める。ただひたすら、いつもの音が繰り返される。