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6 風にたなびく砂煙(前篇)

 南東に伸びるノトリ通りから、南に伸びるノトスス通りに入ったあたりで陽が昇り始めた。東の空は雲がなく紅色に燃える朝焼けが見えたが、頭の真上はどんよりとした厚い雲が漂っている。

 夜半まで降り注いでいた霧雨も、店を出るときには止んでいて、おかみさん曰く「陽が昇れば天気よくなるわよ」を信じて出発したタローは、いつもの荷車を曳きながら通りを進む。街角の街灯が少しずつ消えていき、隙間を埋めるように朝日があたりを茜色に染めていく。

 街の正門である南門に着いたタローは、住民証を見せて簡単な荷車の点検を受けると城外に出る。緩やかな曲線で作られた石造りの巨大な城門をくぐり、大きな川ほどはあろうかという堀を、跳ね橋を渡って超えると、目の前には大きな湖が広がっている。そして、木造の大きな橋が、海を割った聖人の伝説のごとく、湖の真ん中にまっすぐ伸びている。陸側だけが跳ね橋のように上げ下ろしができるようになっていて、石柱の間を抜けて橋に足をかけるのだった。

 タローは時々汗を拭いながら、ただひたすら橋の出口を目指す。ちょうど南側の対岸は湖に突き出た形になっていて、その先端からまっすぐと橋が伸びているが、この橋が架けられたのはわずか三年ばかり前で、それまでは舟だけが唯一の交通手段だった。

 汗だくになったタローが渡り終えるころには、真上の雲はぼんやりと太陽が見透かせるほどには薄くなり、その太陽もかなり高く昇っていて、タローはそろそろ開店時間かなと見当をつけた。

 湖を足で渡り終え、一息つくと正面には平原が広がっている。

 遠くに若干の砂煙が認められたとき、背後から突然声を掛けられた。

「タロー君?おはよう!」

 荷車を止めて振り返ると、旅装のエラオの姿があった。上下の一体化した灰色のローブに大きな麻のマントを巻き付けて、タローに比べると小型だが荷車を曳いている。

「おはよう。びっくりしたな」

「人の顔見て驚くなんて失礼ね」

 エラオは冗談めかして言うと、くすくすと笑った。

「お使いかしら?」

「ああ、うん。ちょっと出張だね」

「じゃあ、きっと行先は一緒ね」

 エラオはそう言って、小さな包みが満載された自分の荷車の荷台を指さす。

 二人は橋を渡り切って、大きな平らな石が敷き詰められた街道を歩いていた。街中の通と違って、軍隊が通れるように設計されているから、小型の荷車が二台、並走したところで邪魔にはならないので、遠慮なしに二人は車をに並べて歩みを進めていた。

「弁当?いい匂いがするなぁ」

「うん、三十人分の食事。うちはデリバリーもしてるからね」

「三十人?ああ、じゃあ一緒だ。駐屯地に向かってるんだ?」

 先ほど見えた砂煙。そこにあるのは王国騎士団の詰所であり、砂煙は訓練所も兼ねた建物から上がったものだった。そして、その場所こそ目的地でもある。タローは、数日前に訪れた騎士団長のファレスに呼ばれて、武器のメンテナンスに向かうところだったのだ。

 タローは荷車を曳きながらそう話すと、エラオは言った。

「すごいね。店番ばかりって言ってたのに、仕事するんじゃん」

「いや、まあ、もともと祖父さんに仕込まれてたから……それにメンテナンスなんて言っても、砥ぐか預かって帰るかだからさ。特別なことをするわけじゃないんだけどね」

「でも、正装してるじゃない?」

 タロー薄汚れた外套と黒くなっている皮の胸当てを指してエラオは言った。腰には短めの剣もぶら下がっている。

「そりゃ、騎士団の詰所だろ。それに短距離でも街の外だもの。自分だって旅装してるし」

「そりゃあ……だって、詰所だし……街の外だし……」

「一緒じゃないか」

 やり込められたエラオはほっぺたを膨らまし、タローは愉快そうに笑った。

「けど、駐屯地に弁当なんだ。輜重とかがあるんじゃないのかな?」

「そればかりじゃ飽きるからって。時々、注文が来るのよ、騎士団だけね。兵隊さんがいて数が多いときは無理だけど」

 どおりで香ばしいにおいが漂ってくるはずだと、タローは思った。

「ふうん。いつもの定食?」

「そうよ。特製の山賊弁当」

「いや、騎士団の駐屯地にそのネーミングは……」 

 実際、先日配達に行って以来、仕事が休みの日に何度か食事に行って、そのたびにエラオと言葉を交わしていた。その都度、鳥の丸焼きを添えた山賊定食を注文し、空腹を満たしながら、会話も楽しんでいる。

 エラオは、初対面の印象とはあまり違わずに、よく話し、よく笑う女の子だった。最初の頃こそ慎重に言葉を選んでいたが、いつの間にかつられて、テンポよく言葉を応酬するようになっている。

「今回のは特製なのよ」

 エラオは言った。タローは首をかしげたまま、視線で先を促す。エラオは悪戯っぽく笑うと先をつづけた。

「知っての通り、うちの看板メニューなんだけど、初めてわたしが焼かせてもらったの。味付けと仕込はマスターだけど」

「そりゃすごい。うちが修理した包丁は使わないけれど?」

「そう、包丁は使わないけれど、でも、肉を焼きました……つまり調理したのよね」

 タローは荷車を曳きながら、右手で荷車の取っ手をたたき、拍手を送った。同じく荷車を曳きながらエラオが誇らしげに頭を下げる。

「着実に進んでるのがうれしくてね」

 弾むようにエラオが言った。

「そうだろうね。僕も初めて槌を握って振り下ろしたときはうれしかったもの。充実感?っていうのかな……」

「そうそう、それそれ。あと、できることが少し広がったっていうか」

 遠くに上がっていた土煙は消え、代わりに同じ場所にテントや木材で組まれた簡単な櫓のようなものが姿を現し、大きくなっていた。いくつかの鎧を身に着けた人影も見えるようになり、目的地まではあと少しというところまで来たわけだ。

 小さく馬のいななきも聞こえ始め徐々に、騎士団の野営地らしく、騒然とした雰囲気が漂い始めていたが、二人はそれでも変わらず近況を話しながら、野営地に向かって荷車の轍を刻んでいった。

 やがて、草原の真ん中に築かれた砦に到着した二人は、木造の防壁に囲まれた正門前に荷車を停めると、歩哨に立っている騎士に声をかけた。

「すみません。『ヴァルカンの焔亭』の鍛冶師と『ブロディのまな板亭』の配達なんですが」

「ちょっと待って。確認するから」

 騎士というよりも見習いだろうか。歩哨に立っていた小柄な男はタローが予想していたよりも幼い声で答えると、懐から樹皮で作られた紙の束を取り出して、急いでページを繰っていく。

 背後には分厚そうな一枚板に、大きな鉄の鋲をたくさん打ち込んだ大きな門が、侵入者を拒むようにかっちりと閉じていた。門の上部は回廊のようになって、二人の男が直立不動で見下ろしている。

「……違う……違う……ああ。あった。武具の修理と弁当の配達だね?聞いてるよ」

 見習い騎士はようやく目当てのページを見つけると、名前と日付を確認するように、口の中でもごもごと呟いてから、門の閂に両手をかけて持ち上げると、門を開いた。

「ありがとうございます」

 エラオが元気よく礼を言うと、タローも頭を下げて、停めていた荷車を再び曳きながら順番に中に入った。

 門をくぐると、二百歩四方の広さの広場の中心に、大きな天幕が三つと、それらを囲むように小さなテントが七つばかり設営されていた。倉庫に使われているのだろうか、テントに混ざって木造の小屋も二つ建てられている。

 門の内側に入るとすぐに別の騎士が立っていて、見習いから引き継ぎを受けると、そのまま先に立って歩き始めた。

「ご苦労さま。助かるよ。今日はいつもと違う人なんだね」

 朗らかな話し方で、柔和な表情をした騎士は、天幕の一つに向かって二人を案内しながら言った。

「今日は我々が伺いました。こちらこそいつもご贔屓にありがとうございます」

 タローも歩きながら慇懃に頭を下げる。

「いやいや、君んとこの親方はいい腕してるからね。いつも助かってる。もちろん、お弁当もね。腹が減っては戦はできない」

 騎士はにこりと笑う。エラオもつられて笑顔を返した。

 すぐに背丈の四倍はあろうかという大きな天幕に着くと、荷車を停めた二人は中に案内された。

 茶色の皮の敷物が広げられた天幕の中には、十人は囲めそうな大きなテーブルと、王国の国旗といくつもの巻き取られた洋紙皮が突っ込まれた壺があって、その間を数人の男が行き来していた。

 その中の一人の男が振り返ると、声を上げた。

「おお、このあいだは世話になったな。今日はおぬしが使いで来たか。お嬢さんもすまないな」

 しゃがれ声で迎えてくれたのは、王国騎士団副団長のファレスだった。タローは知らなかったが、言葉尻からすると、エラオとファレスも顔見知りらしかった。エラオが丁寧にお辞儀を返したので、タローもあわててそれに倣う。

 案内をしてくれた騎士が、先ほどと打って変ってきびきびとファレスに敬礼をすると、颯爽と天幕を出て行った。

「調子はどうだ?」

「いつもどおりです。ご注文の件も鋼は打ち終わりました。今から剣を打ち始めるところです」

「うむ。急かしはしない。いいものを頼むぞ」

「はい、伝えます」

「エラオも今日はよく来てくれた。時々、無性に食べたくなるのでな、無理を言った」

「光栄です。いつでもお持ちしますよ」

 ファレスは満足そうにうなずくと、ほほ笑みながら傍らにいた平服の男を手招きした。

「表の荷車の食料を受領してくれ。それから鍛冶屋が来てくれた。修理が必要な武具を集めろ」

文官らしい男はファレスから指示を受けると、小走りに天幕を出ていてった。

「そういえば、先日王子にお会いしたときに、武具を新調したい旨をおっしゃっておられた。紹介しておいたのでな。よろしく頼むよ」

「はい、親方にはお伝えしますが……」

「わかっておる。気まぐれさは伝えておいたさ」

 ファレスはそう言ってからからと笑った。まったく悪意は感じない、穏やかな声だった。タローも苦笑いで返す。

「承知しました。表をお借りします」

「では頼むよ」

 それで面会は終わり、ファレスは机にの上に広げられた地図に再び見入った。タローとエラオは連れ立って外に出ると、荷車のもとに戻った。

「わたしは今日は仕事はこれで終わり」

「いいね。こっちはまだこれから修理できるものはして、手のかかるものは積み込んで持って帰らなきゃ」

「手間がかかかるね」

 タローは肩をすくめると、荷台から取っ手のついた台座を下ろした。取っ手を持ってぐるぐる回すと、中の砥石が回り上に乗せられた剣の刃に砥石が当たって削れるというわけだ。他にも金床や槌を下ろす。

「さすがに火がいるものはできないけど、簡単な修理ならできる」

「へえ。面白そうね。見ていこうかしら?」

「……構わないけどいつ終わるかわんないよ?」

「今日はもう帰るだけだし、ひとりで帰るのも……ね?」

 タローはなぜかドキドキとする鼓動を抑えながら「わかったよ」とうなずくと、荷台に転がっていた木箱をを椅子代わりにエラオに差し出す。エラオは少し離れたところに木箱を引きずると腰を下ろした。

 そこに先ほどの文官が、騎士たちの従者を連れて戻ってきた。

 従者は一見、騎士たちと同じ格好に見えるが、マントをしていないのと、鎧が軽装で紋章も入っていないので、すぐにそれとわかった。彼らは戦い以外では騎士の身の回りの世話をしながら学び、戦いとなれば騎士の側で替えの剣や槍を運び、馬の轡を取る。そして、経験を積んで一人前になれば、やがては騎士へと叙任されるのだ。

 従者は文官の男に促されると、持っていた大きな包みを降ろし、地面に広げた。中には十振りあまりの剣が並び、盾や槍先がいくも転がっている。

「お願いします」

 従者はそう言うと、文官とともにその場を離れていった。

 タローはその背中を見送ると、さっそく仕事にかかる。

 まず三つあった盾を手元に寄せると、丹念に表面を眺める。三つとも表面に大きなヒビがあり、持ち手のベルトを止める金具も破損していた。

 ヒビを埋めるだけの応急処置もできるが、強度は戻らない。本格的に傷を埋めて修復するためには工房に持って帰らなければならないから、三つとも荷台に乗せた。

 今度は槍先を手に取る。大きく欠けたりひび割れたものは同じように荷台に乗せ、欠けの小さいものや摩耗しているだけのものを選ると、荷台の背嚢から棒状のヤスリを取り出し丁寧に磨き始めた。

「結構直せるものなのね」

「まあね。全部が壊れた物ってわけでもないし、単純にメンテナンスのほうが多いから」

 錆を吹いて茶色くなっていた刃先が、徐々に輝きを取り戻し、鈍い輝きを放つ。刃先を軽く指で押さえて砥ぎ具合を確認してから、次の槍先に移る。タローはひたすらこれを繰りかえす。

「なんでもそうだと思うけど、反復って大事なんだよなぁ」

「そうね。料理だって一緒ね。理屈が頭に入ってた方がいいんだろうけど、ひとまず身体で覚えて、理屈で覚えて、理解したうえで工夫してく感じかな?」

「そうそう、昔、最初に仕事を覚えた時は、基礎なんか退屈だって思ってたけどなぁ」

 タローは話しながら、手は変わらずに動かし続ける。しばらく磨き続けてから、ようやく三十本ばかりあった槍先が片付き、剣に移る。

 量産品から一本物まで、いろいろな種類の剣があったが、やはり他と同じように丁寧に刀身を調べて、ヒビや破損がひどく難しい修理のものは荷台に跳ね、残りを修理する。ほとんどが刃の摩耗だったが、刀身のねじれや曲りも多かった。

 ねじれなどは水平になった金床に乗せて固定して、布で包んだ木片を当てるとその上から槌で叩く。

 トンカントンカン音を立て、時々チェックするように持ち上げてから調べてみる。

「……いい目つきしてるわね」

「ぶっ……」

 エラオの突然の言葉に、思わず吹き出すタロー。剣を金床に戻し、二、三度叩いてから、恨めしそうにエラオをの方を向いた。それを見たエラオは今度は笑い出した。

「危うく曲げちゃうところだったじゃないか」

「あはは……驚かしちゃったか……でも、まあ、仕事する人の真剣な目を見るのって好きよ」

 タローの顔が僅かに赤くなる。自分でもそれが分かるから思わず言い返す。

「まったくからかうなよな……そりゃ、言ってることはわかるけどさ」

「別にからかってはないんだけどね……いいなぁって」

「エラオだって厨房に入ってるときは同じじゃないか。遠目でしか見たことないけれど」

「そう?うれしいな、それ」

 再びタローが絶句したとき、天幕の後ろの倉庫の方で突然喚声があがった。それは、たんなる大声というよりも怒声や悲鳴に近い声だった。

 タローは背筋を伸ばし、声のした方を見ると、テントの後ろから一筋の煙が上がっていた。

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