4 年老いた守護神
坩堝の中で塊のまま放り込まれた鋼が真っ赤に焼けて輝いている。工房の中は、ひどい暑さだった。
綿のシャツ一枚のタローは、頭からバケツの水をかぶったように汗をかき続けがら、坩堝のかけられている炉につながる鞴のペダルをリズムよく踏み続ける。タローが右足を踏み込むたびに、蛇腹を通じて炉の中の火が風で煽られて火力が増し、坩堝の鋼の輝きがより白さを持つのだ。
タローの横では、親方が腕組みをしたまま仁王立ちで坩堝を見つめ続けている。
普段はめられている戸板は外され、小さな部屋の四方の石壁に設けられた窓から光が射し込んでいる。そよそよとなびく外の風は、窓のところで部屋の熱気に弾かれるかのように中には届かず、炉からもうもうと立ち上がる熱が悪循環に陥って益々暑くなるのだった。
頃合を見計らって親方は槌を取出し、合図を出す。タローはすぐに鋏のような金具で焼けた鋼を挟むと、金床に載せて鋏で抑える。親方が角度を見ながら大きな槌を振り下ろすと、鋼は不純物を火花として散らしながら、純度を上げていくのだった。
二人は無言のまま、しばらく熱したり、叩いたりを繰り返していたが、やがてお店側に通じる扉が突然開いたところで動きを止めた。
「お店にお客さまよ。作業中だからって断ったんだけれど、閉店まで待つからなんて言われるから……」
いつものように長い髪を後ろに束ね、白いエプロンを掛けたおかみさんは、少し困ったような顔で戸口から覗き込んていた。今日は客足が少なかったので、おかみさんに店番をお願いして、タローは工房に入っていたのだった。
「誰が来たんだ?」
親方は怒っている風でもなく、普段と変わらぬ声音で言った。おかみさんは少しだけほっとしたようにつづける。
「若い剣士ね。アルコンさんってお名前だっておっしゃってたけど」
「ああ、わかった。ちょうどキリのいいところだったんだ、会おう」
金床の上では、さっきまで灼熱に輝いていた鋼が薄汚れた炭のように黒くなっていた。あたりには、火花となって激しく飛び散ったスラグが散らばっている。
「タロー、先に行ってくれ。鋼を処理したらすぐに行く」
「よろしくね」
片膝をついていたタローは、首に巻いていた手拭いで汗と煤まみれの顔を拭うと、短く返事をしてから立ち上がって戸口へ向かう。おかみさんは半身で道を譲ると、タローを見送った後に裏庭から母屋の方へ消えていった。
タローはそれを背後に感じながら、生け垣のそばを通って店の入口へと向かう。建物は居住部分とお店の部分が一緒になっているが、入り口は別々になっている。もちろん、中では廊下でつながっているが、建物の端と端なので、それぞれの入り口をを使う習慣になっていた。
タローは建物に入り、廊下のすぐ端にある戸を開いて店のカウンターの後ろに出た。
ギーッと扉の開く音が店内に鳴り響き、音を聞いてかこの間と変わらず灰色の外套を纏った男が振り返り片手を上げた。前回と違うのは、背中に長い包みを縦にして背負っていることだった
「この間はすみません。今、親方が来ますので」
タローは慇懃に頭を下げた。アルコンは遠慮するように手を振ってみせてから、「いや、こちらこそ急にすまないね。ちょっと見てもらいたいものがあってきたんだが……」と言った。
タローは半分は自分の為ながら、カウンターに置いてあったポットからカップに飲み物を注ぐ。ひとつはアルコンに差し出した後に、自分のものを飲みほした。おかみさんが店番のついで用意したのであろうお茶は、少し冷えていて苦味も少なく、生き返るような気分だった。
アルコンもそっとカップに口をつけて笑みをこぼす。
「すごい汗だ。何か作業でも?」
「ええ、ちょっと工房の方で材を焼いていたんです」
「なるほど、汗もかくはずだ。おまけに煤けてる」
「そりゃもう、炉の側ですから……このあいだの件ですよね?」
陳列台に寄りかかるようにしているアルコンにあわせるように、カップを持ったまま壁に身体を預けながら言う。
「あ、まあ、それもあるんだが……別件だ。この店の評判を改めて聞いてね、少し相談を持ってきたんだ」
「相談ですか?」
タローは訝しげに首をかしげながら、カップをカウンターに置いた。カップが机に触れるコトリという音は、しかし、扉の開く音にかき消され、薄暗い廊下から親方が姿を現した。
「こんにちは。初めまして」
アルコンは気さくに手を差し出す。親方は無愛想なまま手を伸ばし、アルコンの手を握ってから、初めてにやりと笑って見せた。
「先日はすまなかったな。この店の主だ……なかなか鍛えているな。手のマメがすごい」
「ありがとう。親方こそ、筋肉隆々、鍛冶屋の見本みたいですね」
アルコンは怖気もせずに笑って見せた。
どうやら、お互いが第一印象は気に入ったらしいと検討をつけたところで、タローは身体を壁からはがし、親方に椅子を押し出した。
「親方、今日はご相談でお見えになったそうです。まだ内容は伺ってないんですが」
椅子をすすめながら親方に耳打ちする。それがアルコンの耳に届いたのか、アルコンは右肩から斜めにかけていたベルトの留金を外すと、背中に背負っていた包みをカウンターの上に下ろした。
タローが眉を上げ、包みに手を差し出しながら目配りすると、アルコンは「どうぞ」とばかりに包みを押し出した。タローは丁寧に巻かれた布きれを剥がしていく。
「うちに相談に来るくらいだから、中身は剣だよな?」
カップに茶を注ぐ親方が、包みに目もくれずに訊ねると、アルコンは快活に答えた。
「ええ。古い剣なんですがね。まあ、事情があって手に入れた物なんですが、結構ガタが来ているんです」
「そのようだな」
タローが包みを解くが早いか、親方は柄をつかみあげて検分していた。タローも横から覗き込む。鞘から抜かれた剣は、戸口のガラスから入る外の明かりを受けて、鈍い光を放った。タローが思わずため息を漏らす。
「かなりモノはいいですね。ガタガタだし刃こぼれもひどいし、古びてはいるけれど」
「そうだろう?」
アルコンがタローに聞くが、彼に答えたのは親方だった。
「ああ、こいつのいうとおり、作りもしっかりしているし材もいいものを使っちゃいるが……」
「でも、この状態じゃ直すよりは……」
両刃の中型の剣だった。表面にはいくつか錆が浮き、刃こぼれもひどく全体がくすんでいて、ずいぶんと年代物の剣だが、ただひとつ、柄の部分にこぶし大の大きな青い石が付いていた。両面から確認できるほどの大きさで、逆三角形の形をしたもとは銀であったであろう鍔の真ん中に納まっている。本来は透き通った石だったのかもしれなかったが、汚れかひびかまったくわからない白い濁りでその透明さを失っていた。
「これを修理したものかどうか悩んでいるんです。諦めればよさそうなものだが、なぜかこの石部分に惹かれて……それで、相談に来た次第で」
「そうだな……」
「これは、難しいんでは?直すにしてもかなり大がかりな修理になりますよ?」
タローが親方に呟くように言うが、親方は、剣を何度かひっくり返しながら、じっと考え込んでいる。タローはアルコンに言った。
「どこで手に入れたんです?」
「もともと、私が父から受け継いだものなんだがね、どうやら先祖代々に受け継いだものらしいんだ。実際にいつまで使っていたかはわからないけどね」
タローの問いに、アルコンはすぐに答える。
親方は少しの間、目を閉じて考えていたが、やがて眼を開くと、タローに言った。
「ちょいとカミさん呼んできてくれ」
「え?あ、はい」
「石を視てほしいと伝えてくれればいい。すぐ来るだろう」
「……わかりました」
タローは接客中の親方がおかみさんを呼ぶのは初めて見たが、弾かれたように立ち上がると、素早く廊下に向かって駆け出した。
親方はそれを見送ると、改めてアルコンに向いた。
「さて、すぐ戻ってくるだろうが、今のうちに聞きたいことがあるんだが……鷹の紋章の騎士さん?」
「……だろうと思ってましたよ。なんなりと」
親方はにやりと笑い、アルコンは答えるように肩をすくめた。
「おまえさんは……」
おかみさんは、店に行ってくるなり楽しそうに声を上げた。
「まあ、面白そうな石があるわね。変なものじゃなさそうだから心配はないわね」
親方が少しだけほっとしたように息を漏らす。後ろからタローがついて入ってくる。
おかみさんは洗濯の途中だったが、タローが呼びに行くと、理由も問わずにエプロンを外し、いつもの束ねた髪をほどいて、すぐに店に駆けつけたのだった。
「悪いが、視てくれるか?俺の力じゃ見当はつくが、確信が持てん」
「わかったわ。さっきも言ったけど変なものじゃないから」
二人の会話に、まったく様子のわからないタローとアルコンは呆気にとられている。
「ちょちょ、待ってください。今から何が起きるんですか?」
「何って、石を視るのよ?」
おかみさんは、タローの言葉にむしろ不思議そうに答える。見かねた親方が口を挟んだ。
「おまえに言ったことなかったんだっけな。こいつは……なんというか……魔女だ。まあ、正確に言うなら魔導士とでもいうのかな」
おかみさんを指さして言うと、指されたほうは少し得意げに胸をそらして見せたが、タローはさらに混乱して、ため息をつく。
「はあ……?」
「説明するとだな、石っていうのは人の心や出来事を問わず、いろんなものを記録するんだ。こいつは術の力でそれを読み取れるんだよ。それで、この剣がどんなものか調べようと思ったんだ。どうにも、この剣はただならないものがある気がするんでな。諦める前に確認してみたかったんだ」
アルコンは親方の話を聞き終えると、感心したように言った。
「ほんとに?すごい奥方ですね。今現在、この国に魔導士は十人といない筈ですが……」
「らしいな。俺も一緒になってから知ったんだ」
この国も、二百年ばかり前まではたくさんの魔導士がいて、生活のあちらこちらに魔術や魔法がありふれていたが、ある時を境に徐々に魔力の血を持つものが減り、今ではほとんど見かけなくなっている。むしろ、魔力を持つ者はその力と希少価値のために、発見されると王宮などに高給で召し抱えられることが多いらしい、と親方は語った。
「隠してるとかではないんですか?」
「わたしは大した力もないのよ。隠すほどのことはないわ。積極的に広める気もないけれど」
魔術と一言でいってもその中身は多岐にわたる。大昔には戦争の道具としても使われ、魔導士だけの部隊が創設されることもあった。炎や雷など自然と同じ力を生み出したり、失せ物や尋ね人を占うところから、怪我を治したりといった分野まで、能力などに応じて得手不得手も出てくるのだ。
そんなことをタローとアルコンに説明しながら、おかみさんは親方から剣を受け取った。
「そのなかでも、一応、『探知』は得意な方だから……」
前にも経験があるのだろう。親方は何も言わずに剣を握り、抜身のまま目の前に垂直に掲げた。おかみさんは、向かい合って立つと両手を包み込むように石に当てて、目を瞑った。親方が静かに言う。
「少しの間だけ静かにしてろよ。集中させてやれ」
二人は頷いて、そのまま固唾をのんで見守る。
おかみさんは、両手で石を挟んだまま、口の中でもごもごと何事かを唱え始めた。両手がぼんやりと青く輝き始める。よく見ると、石自体が、おかみさんの言葉と両手に共鳴するように輝きを増していた。
「……剣とともに過ごしし名もなき石よ。そなたの輝きを解き放ち、その記憶を蘇らさん」
言葉とともに大きく光が弾け、部屋中を碧い光で満たすと、潮が引くように輝きは消え失せた。ほんの一瞬の出来事だったが、タローはその輝きの渦に溺れながら圧倒され、茫然と我を失ったように天井を見つめていた。
「大丈夫?」
我に返ったときには、おかみさんが両手はさっきのままで、覗き込むように顔を近づけていて、開かれた眼が視界いっぱいになったタローは、少し仰け反った。
「ちょっと……びっくりしました」
「ごめんねぇ。ちょっと刺激が強すぎたかしら?」
「いえ、初めてだったんで……」
タローが視線を動かすと、椅子に座ったアルコンの姿が目に入った。さすがに騎士だけあって、彼も内心では驚いてはいたのだろうが、そんな素振りはまったく見えなかった。眉をひそめて、先ほどまで眩い輝きを放っていた剣を見つめている。
「それで?何かわかったか?様式からして、たぶん百年は昔のものだと思うが……」
親方が急かすように言いったが、おかみさんは気にかける風でもなく少し思案してからようやく口を開いた。
「そうね。ひいふうみい……百と八年ばかり前にこの国で作られたみたいね。石と一緒に打たれたんだと思う」
「……そんなことがわかるんですか?」
アルコンが呟くように言ったが、おかみさんには聞こえなかったのだろうか。彼女は言葉をつづけた。
「それから代々、ずっとひとつの家系に受け継がれていたみたいね。それが十六年前の大戦の時まで続いたみたいなんだけれど……」
「どうした?」
「うん、不思議なんだけれどそこから後がわからないのよね……」
おかみさんは剣から手を放すと、最初にタローが座っていた椅子に腰を下ろした。親方は剣を鞘に戻し、カウンターに置いた。
それを合図のようにおかみさんが続ける。
「これは魔法石なのよ。この国の偉大な魔導士の一人が慈愛と忠実の術を施した石で、剣を使う者はもちろんその周りにまで効果が及ぶの」
「つまり……?」
「護りの剣っといったところかしら。実際、幾度もの戦いでたくさんのものを護ってきた記憶が残ってるわね」」
タローははたと気が付くと、カップを手繰り寄せ、ポットの中身を注いでからおかみさんに差し出した。
「勇敢な騎士の手で、城門に殺到した盗賊を撃退したり、ある時は子供に振り下ろされる槌を払いのけたり、貴婦人を護衛中に襲いかかってきた敵将の鋼鉄の剣を真っ二つに折ってみせたり……本当にたくさんの人の命や財産をね……」
「……なるほどな。こいつも護り続ける剣か……」
親方が誰にともなく呟いた。
カップに口をつけたおかみさんが続ける。
「……護るためとはいえ、血を流しすぎたのか、それとも何か別の要因があるのか、とにかく石に澱のようななにか濁りがたまりすぎて、力を失ったみたいね」
「直せるか?」
「石はね。今すぐとはいかないけれど、少し時間をもらえれば、浄化できると思う」
「一種の魔法剣だったわけですか、これは」
アルコンが言う。親方とおかみさんが一緒に頷く。
「この商売をしていると今でもたまに見るさ。まあ、こいつと一緒に作ったこともあるしな。鍛冶の専門家として言わせてもらうと、このタイプはたぶん、持つ者にも力を与え、さらにフィードバックして切れ味や強さに力を増すんだろうよ」
親方はいとおしそうに鞘の表面を撫でた。
「で、どうするね?」
親方の言葉に、アルコンは剣に手を伸ばした。ほのかな輝きがまとわりついているかのような石の部分に静かに手を当てる。
「……あったかいですね」
「そうね。探知の術のせいで石の力が少し溢れてるからかしら」
それまで黙り込んでいたタローが静かに口を開いた。
「……それは、護ってきた命や人々の感謝なんじゃないでしょうか?相乗効果ってあるんでしょう?」
おかみさんは静かにうなずき、親方も少しだけ驚いたようにタローを見た。
「そのとおりかもな。おまえにしてはいいことを言う」
親方がからかうように言った。
「いや、君の言うとおりだよ。騎士としての存在意義そのものを具現化したような剣だね」
アルコンはカウンターに剣を置いたまま、手を放した。
「直していただけますか?」
「もちろん。ヴァルカンの槌と焔に誓って」
親方は破顔し、アルコンもつられて笑った。
いつの間にか午後の陽射しも傾き始め、窓ガラスからは暖かくも薄くなったオレンジが射し込み床を染め始めていた。