一章① 初陣
遠藤肇は、たった今3年間学んできたアリタMIGの訓練学校の門をくぐり抜けた。
「ふぁーあ、どうすっかなぁ」
彼は今、とても暇である。何故なら、今日でこの学校を卒業してしまったからだ。
「学校、楽しかったんだけどなぁ」
これからは前線で働く陸上部隊兵士となることがすでに内定している肇は、とても退屈しやすい性格だった。何事にも楽しみを見つけるのだが、すぐに退屈してしまう。飽きるわけではないのだが、もっと刺激が欲しいと体がうずいてしまうのだ。
「早く戦場に出たいなぁ」
彼の今の希望はまさにそれだった。できるだけ早く戦場に行き、一兵士として戦いたい。そのために3年間学と校に通い続けてきたのだから。
彼は座学はそこそこ、実技面はトップクラスであった。特にアサルターとしての素養が高く、偵察にも才能を発揮した。
以上のことから、彼が配属される部隊は「トローン連隊第三中隊第一偵察小隊」。この部隊は精鋭として名高い。彼にとってはこれ以上ない配属先だった。
だが、そんなことも今の退屈をしのげない。何か刺激は無いものか。
「ああ~暇だ~」
と、後ろからドタドタと走ってくる足音。
「げっ」
肇は慌てて後ろを振り向いた。
振り向いた方向からエルシアの女性が走ってくる。身長は180センチくらいだろうか、長い金髪をポニーテールにしている。エルシアの女性らしい美しい顔立ちが、彼女を凛々しさを引き立てている。
「は~じ~め~!」
走ってきたそのままの勢いで、女性が抱き付いてきた。慌てて避けようとする肇だったが、よけきれず衝突する。走ってきた勢いを殺し切れずに、肇と女性は倒れこんでしまった。
「くそっ、セラーナどけ!」
肇は絶叫した。
セラーナと呼ばれた女性は、肇に頬ずりしている。
「ん~、肇可愛いよぉ肇」
「だからどけって!重い!重いって!」
ようやくセラーナがどいた。だが、今度は彼女が馬乗りになるような形になる。
「ねぇ肇」
「な、なんだよ」
「チューしよっか」
「やめろ!やめてくれ!俺の純潔を奪うなー!!」
セラーナはわめく肇を気にせずに自分の唇を肇のに押し当てた。
「む~!む~!」
「ん、むう、ちゅう」
セラーナが口を離した瞬間、ぷはぁっと息を思いっきりはく肇。
「くそ、これで何度目だセラーナ!いい加減離れやがれ畜生!」
「むぅ~、感動の再開なのに口が汚いぞ肇~」
「さっき卒業式であったばかりだろうが!どけ!どくんだ!!」
やっとセラーナが肇を解放する。それと同時にサッとセラーナから離れる肇。まるで猫のような動きだ。
「覚えてろよセラーナ。必ず仕返ししてやるからな」
「ふふふ、覚えておくよ肇」
セラーナ、つまりセラーナ・レイトバックはゲール合衆国からの移民である。ミザナギ国は一定の学力がある人物の移民を歓迎しているため、彼女の親のように他国から移住してくる人が多い。
彼女と肇は同じクラスであり、同じ配属先が決まったいわゆる同僚だった。そして、何かと肇に付きまとっていた。
「肇、それよりも…」
セラーナは周りを見渡す。それに気づいた肇もつられて周りを見渡した。
周りには数十人ぐらいの人だかりができていた。中にはスマホで写真を撮っている奴もいる。
「こらっ!写真を撮るなこの野郎!」
その言葉にパッと人だかりが散った。みんな笑いながら四方へと散っていく。
「くそ、あいつらの写真を削除させないと」
「私と肇の愛の写真が広まっちゃったね」
「呑気に言ってんじゃねぇよ!はぁ、まったく…」
肇は抵抗する気力を失った。セラーナといるといつもこうなる。
「で、今日は何の用だよ」
「え?肇に会いたかっただけだよ?」
「お前な…」
再び怒りがふつふつと湧いてくる。
「ははは、冗談だって。これ、連隊長からの手紙」
「連隊長から?」
今度配属される連隊の隊長からとは驚いた。何事だろうか。
「お前は読んだのか?」
「いいえ、まだよ」
「そうか…。先に読んでもいいか?」
「え~、一緒に読もうよぉ」
「断る」
肇は封筒の封を開けた。そこからA4サイズの紙が出てくる。
「え~なになに?拝啓、これから入隊する二人へ」
「あ、ちゃんと読んでくれるのね」
「うるさいわ。続き読むぞ。我が部隊はとある任務を受けたため、現在ベリジア社会主義連邦にいる。緊急の案件なので君たちを歓迎することはできない。すぐにベリジアに来てくれ。MIG専用空港に明朝9時に集合すること」
「えー、なんか歓迎されてなくない?」
「いや、これは…」
肇にはピンとくるものがあった。
「これはすぐに行きたい」
「でたよ、肇の死にたがり症状」
セラーナがげんなりした表情を見せる。彼女も肇が実戦に早く出たがっていたことを知っていた。
「そう言うなって。それに、お前だって戦闘部隊志願だったじゃないか」
「それはそうだけどさ、肇のはなんか過激なんだよね」
「過激、か」
肇もそれを自覚しているところはある。だが、本人は性分なので仕方ないと思っていた。
「あんまりいきり立ってるとすぐ死んじゃうよ?」
セラーナが心配そうに肇の顔を覗き込む。その目には本気で心配している色が映っていた。
「…そうだな。冷静に行かないとな」
「うん、分かってるならよろしい」
セラーナ満足げにうなずいた。
「それにしても、ベリジアとはまた…。やっぱりツァイホン民主主義国との国境争いかな」
「だろうな」
ベリジア社会主義連邦は穏健派共産主義国だ。大戦後に共産主義へと路線を変更し、優れた為政者のおかげで最近はGDPの伸び率が著しい。いわゆる新興国だった。
それに対し、ツァイホン民主主義国は名前に民主主義とついている通り民主主義国だ。ただし、十年前まで強硬派共産主義国だったのだが。
この国はここ数年にGDP伸び率10%以上を記録している。世界中の企業がこの国の免税制度に活路を見出し工場を作ったためだ。しかし、最近ではこの工場らから技術を盗み出しているとも言われており、そのせいか撤退する企業が相次いでいる。そのため、今年のGDP伸び率は4・5%と急激にスピードダウンした。
この国のもう一つの特徴は、急激な軍拡だ。金に物を言わせ、大量に装備を整えている。これが周辺諸国を刺激し、西のウェデル大陸では軍拡競争が起きていた。
もっとも、今の海軍装備では空母6隻、潜水艦60隻、水上戦闘艦90隻を誇るミザナギ国艦隊には量も質も遠く及ばない。そのため、この国では特に関係が悪化するというようなことは起きてなかった。
余談だが、アリタMIGが保有している艦船もこの数字に含まれている。傭兵制度のため、有事の際にはアリタMIGもミザナギ国軍の指揮下に入るためだ。内訳は空母2隻、潜水艦10隻、水上戦闘艦25隻と、小国ならMIG海上部隊のみでつぶせる規模を誇る。
話を戻そう。ベリジアとツァイホンがもめているのは、接している陸上国境の未確定部分がどちらに属するかということだ。どちらも自らの領土の方が大きいと主張しており、それが最近紛争一歩手前まで発展していた。
ベリジア、ツァイホンともに陸軍国だが、昔ならいざ知らず今はツァイホンの方が圧倒的な戦力を誇る。ベリジアの軍部が精強で名高いアリタMIGに泣きついてくるのは当然の結果なのだろう。
「出ているのはトローン連隊だけなのかな」
セラーナが聞く。その言葉に肇は首を横に振った。
「おそらく他の部隊も出ているだろうね。航空部隊とか、海上部隊とかもそうだし、陸上部隊だけでも特科部隊、工兵部隊、機甲部隊とかも出ているだろうから」
「相変わらず戦術眼だけは鋭いわね肇は。それをもっとほかの分野に活かせないの?」
「活かせたら苦労してないよ。それより早く寮に帰ろうぜ。荷造りしないと」
肇は目を輝かせながらセラーナに言う。こうなると相手がセラーナでも全く持って気にしない。
「はいはい。さっさと行きましょうか」
そういうと、2人は寮の方へと歩き出した。
†
翌日、午前8時半。
二人はアリタMIG専用空港の中にいた。
「今日君たちをベリジアに連れていく操縦者二人だ」
二人はフライトに関しての注意事項を聞いていた。小さな会議室には2人と教官1人、そしてパイロットの二人がいるのみだ。
「田島公康です。今日のフライトのパイロットを務めます。どうぞよろしく」
「同じく今日のフライトの副パイロットの三島恵子です。よろしく」
「「よろしくお願いします」」
二人は同時に挨拶する。田島はフリダートの男性。三島はセラーナと同じエルシアの女性だ。
「さて、今日のフライトは特に説明することはないと思う。ただ席がエコノミークラスというだけだな」
「まあ輸送機ならそんなもんでしょう。それより到着はいつぐらいです」
「途中給油と君たちのトイレ休憩も含めて1日半と言ったところかな。君たちが乗るC─2輸送機は速いとはいえ、10トンの物資と共に動くから足が短いんだ」
田島の説明に二人は頷いた。
「まあ二日かからないだけでもマシですね」
セラーナが冗談半分に言う。
「護衛とかはつくんですか?ベリジアに行くとなるとツァイホンの近くを飛ばないといけませんけど」
「いや、相手も迂闊にこっちに手は出せない。名目上合同訓練のための機材の搬送なんだからな。それを撃ち落としたら世界中から非難される」
「そうですね」
三島の説明はその通りだった。相手は歯がゆい気持ちで見ているのではないか。
「さて、質問はこれくらいにして早速乗ろうじゃないか。準備はできてるんだよな」
「はい、できてます」
田島がにこやかに笑う。
「え、教官も行くんですか?」
セラーナの質問に教官は頷いた。
「君たちが初めての職場に行くわけだからな。先方に挨拶しておいて損はないだろう?」
「なるほど…。帰りはどうするんです?」
「なに、民間の飛行機に乗って帰るさ。その方が眠れるしな」
教官がウィンクする。前から思っていたが随分茶目っ気がある教官だ。
「じゃあ滑走路に移動だ。ほら、立った立った」
教官が先頭で部屋を出ていく。そのまま滑走路へと向かい、青い色の輸送機へと乗り込んだ。
C─2輸送機はつい最近登場した輸送機だ。鈍足だった輸送機を民間機と同じ高速機専用空路を通るために設計された。搭載量も前型のC─130よりも増加した。
青い色の迷彩は洋上迷彩と言い、海上で視認しづらくさせるための迷彩だ。普通の国では目立ってしまうためこんな色には塗らない。
既に格納庫には食料や様々な道具が載っていた。これはベリジアにいるアリタMIGの部隊に輸送するのであろう。
「シートベルトを締めて楽にしてください。機内食は出ませんのでご注意を。それでは出発します」
エンジンの音が高くなる。耳をつんざくような音と共に、輸送機は滑走路を離陸した。
†
同日、ミザナギ国よりもはるか西の洋上。
一隻の潜水艦が浮上して洋上を航海していた。船体は真っ黒く、まるで黒く塗ったシャチのような印象を受ける。大きな巨体で波を切って進むさまはまさしく鯨類だ。
艦内では、クルーが持ち場についていた。皆緊張の面持ちを浮かべている。
そんな中、一人のエルシアの女性が発令所の潜望鏡横に立っていた。肩章は中佐。れっきとしたこの間の館長である。
艦長が形の整った薄い唇を開いた。
「ベント開け。深度100」
「ベント開け!深度100!」
副長が号令を繰り返す。
その号令と共に担当員がベントを開いた。
メインタンクに海水が流れ込む音がする。そして、艦がゆっくりと傾いていく。
そのまま、龍型潜水艦3番艦潜龍はゆっくりと潜航していった。
「深度95」
「ベント閉め」
「ベント閉め!」
担当員がべントを閉じた。だんだんと水平になっていく。
「深度100」
というのとほぼ同じタイミングでほぼ水平となった。
「よし、よくやった」
艦長が発令所の皆を褒める。その言葉に少しだが安堵の空気が流れた。
「次は急速浮上だ。メインタンクブロー」
「メインタンクブロー!」
再び傾斜が突く。今度は艦首側が持ち上がるような傾斜のつき方だ。
「速度そのまま」
「速度そのまま!」
傾斜がきつくなる。
「深度50」
計器を見ている担当官が声を上げる。その顔には緊張のためか汗がびっしりだ。
「深度10!」
ゆっくりと水平に戻っていく。
「深度0!」
そして、潜水艦は再び水平に戻った。
「いいぞ」
艦長がクルーを激励する。
と、備え付けの艦内電話が鳴った。
艦長がそれを取る。
「どうした」
「司令部より入電!本艦にベリジア社会主義連邦海軍から協力要請ありということです」
「そうか、司令部は他に何を言っていた?」
「再び連絡するとのことです」
「…了解だ」
電話を切り、今度はヘッドセットの通信ボタンを押しマイクに話しかける。これは艦内通信用のもので、艦内の全てのクルーが装着している。
「総員注目!本艦はこれより作戦行動に入る。これからベリジア社会主義連邦へ加勢に向かう。各員臨戦態勢をとり、何事にも対応できるように」
ヘッドセット通信ボタンを再び押す。これで通信は終わる。
「高町副長」
「はっ」
呼ばれた高町隼人副長は艦長に向き直った。
「少し席を外す。指揮を頼む」
「了解」
艦長──向島紗枝はその長い髪をかき上げた。すたすたと通信室へ向かう。
通信室にたどり着くと、通信士が驚いた顔をした。
「艦長、一体どういったご用件で?」
「いや、さっきの報告を司令部に問い合わせようと思ってな。物事は正確に知っておきたい」
「なるほど、艦長らしい」
通信士がにっこりと笑った。
「どうぞ、使い方は分かりますか?」
「ああ、大丈夫だ」
そういうと通信士は脇にどいた。紗枝が代わりに席に着く。
「こちら第1潜水艦隊3番艦潜龍」
「こちら司令部。どうしましたか?」
「こちら艦長の向島紗枝中佐だ。先ほどの通信の詳細が聞きたい」
向こうでガサガサと音がした。
「本艦はどこに向かえばいい?当初の計画にはなかったことだ。目的と目標を教えてほしい」
「こちら司令部総監の江藤健大将である。貴艦に新しい任務と目標を伝える」
「はっ」
まさか大将自らが出てくるとは思わなかった。すぐに口調を正す。
「任務はツァイホン民主主義国海軍戦力の撃滅、場所はベリジア社会主義連邦沖の海上だ。現在偵察衛星が当該国海軍の艦船5隻を補足している。正確な座標はGC625Xだ」
「了解です。質問よろしいですか」
「なんだ」
「対象国の艦船はすべて沈めてよろしいのでしょうか」
「構わん。ただし民間船は狙うなよ。こちらを非難する材料は与えたくない」
「了解しました。必ずや成功させて見せます」
「うむ、頼んだぞ」
そこで通信が切れた。相手側が切ったのだろう。
「なんて言われたんですか?」
通信士が聞いてくる。
「好きにやれ(kill them all)だ」
「なるほど、過激っすね」
「そうだな。ありがとう。これからも職務に励むように」
「了解」
通信士と少し雑談して、紗枝は発令所に戻る。
「副長、すまなかった。今戻った」
「お疲れ様です。司令部に連絡を入れていたのですか?」
流石に付き合いが長い副長には何をしていたかバレバレだったようである。
「そうだ。行先が決まったぞ。座標はGC625Xだ。記憶が確かなら、あそこには海底山脈が300メートルまでせりあがっているはず。十分航行には注意しろ」
「了解。取り舵いっぱい。方位202」
副長の号令に合わせて船が動く。
黒い海の猛禽は、目標を狩るために動き出した。
†
「そちらの要求はのめない」
ベリジア社会主義連邦外交官は険しい顔をしてツァイホン民主主義国の外交官の要求を突っぱねた。
「そうですか。それならこちらも用意がありますよ」
「構わない。お前らのことだ、どうせすぐにでも攻め込んでくるのだろう?」
「そのような物騒なことは致しませんよ」
にっこりと笑顔を作るツァイホンの外交官とは裏腹に、ベリジアの外交官はさらに顔を険しくした。
「そうか?ならば国境に展開している軍隊を引き揚げさせるといい」
「何のことだかさっぱりわかりませんな」
のっぺりとして笑みを崩さないツァイホンの外交官。
「私たちには経済制裁の用意があります。そちらが国境分割の提案に乗っていただけない場合は、そういうこともいたしますが?」
「勝手にしろ。我々の腹は決まっている」
ここで初めてツァイホンの外交官の笑みが消えた。
「交渉決裂ですね」
「ああ、そうだな」
「このことはすぐに報告させていただきます」
「勝手にしろ」
ツァイホンの外交官は席を立って部屋から出ていった。
しんとした部屋の中にベリジアの外交官が取り残される。
と、彼は電話を取り出し、あるところに電話をかけた。
「…私だ。交渉は決裂した」
「そうですか。我々はすでに準備万端です。いつでも対応できますよ」
「すまない。我々に力があれば頼ることもなかったのに」
「いえ、これはビジネスです。私たちは貴方たちに一時的とはいえ力を与える。そのかわりあなた達は私たちにお金を授ける。これで何事もうまくいきますよ」
「そうか…。頼んだぞ」
「ええ、お任せください」
電話が切れる。再びしんとした部屋に一人。
「頼んだぞ」
再び、外交官は呟いた。
同日、二時間後。
国境地帯に集結していたツァイホン民主主義国陸軍が移動を開始した。その数20万。
さらに、空軍が同時にベリジア領空を侵犯した。会場では5隻のツァイホン海軍が制海権を取らんと動き出していた。
かくて賽は投げられ、再びこの世に戦争が始まる。
のちに、第一次ベリジア・ツァイホン戦争と呼ばれる戦争の火ぶたが今、切られた。