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 出来るだけさりげなく、自分にも出来そうな仕事は何かを探していた。

 この国のいわゆる平民の女性がどのような暮らしをしているのか、本で読んだり、ちょっと興味があるの、わたしももとの場所ではそうだったからと言って、侍女に話を聞いたりしていた。


 この屋敷を出たら、わたしだって仕事をしなければ食べていけない。

 子どもが産まれるまで……産まれてからしばらくは働けないだろうけど、その間についてはある算段をしていた。

 あれから彼の顔は見ていない。屋敷に帰ってすらいないようだった。

 執事は何も言わないし、侍女は、旦那さまはお仕事が忙しいらしくと言葉を濁して伝えてきたが、ようやくわたしに飽きてくれたのだろうと安堵ばかりが広がった。


 考えてみれば、名目上とはいえ“妻”と“愛人”を同じ屋敷に住まわせるのは外聞が悪いのだろうから、わたしがいなくなった後に彼女を連れてくるつもりなのかもしれない。それならそれでいいと思う。


 医師はあれから何度も訪れてくれる。

 体調を尋ねるほかは、他愛ない話をしてお茶を飲んで帰ってゆく。

 ことさら彼の話をすることはない。あれこれ詮索されるのも嫌だったし、とりなすような発言をされるのはもっと気分が悪かったから、敢えて話題として触れない医師の態度に安堵していた。


 先日訪ねてきた医師は、陛下と会えることになったと言った。遅くなってすみませんねと苦笑いをして、その日は一緒に王宮に行ってくれるとのこと。


 それならちょうどいいと思った。

 その日を、この屋敷から出ていく日にしてしまおう、と。医師には事後承諾になるが。


 もともと、わたしのモノはここには無い。

 ドレスも装飾品もわたしが望まないまま与えられたものだ。

 最低限の幾つかの身の回りのもの以外はもち出すものはなかった。殆ど身一つで出ていける。


 誰にも何も言わないつもりだが、よくしてくれた侍女や執事や、屋敷のひとたちには、手紙を残していこうと思っていた。顔をあわせては何も言えそうになかったから。


 感謝の気持ちはあっても、そもそもわたしがここに連れて来られなければよかったのだから……その気持ちの前にどうしても、抑えきれない気持ちがにじみ出てしまいそうで。


 手紙一つで去った、薄情な人間と思われるだろうか。

 それも仕方ないと思った。


 体調がすぐれず、手紙もいっぺんには書けそうになかったから、一人のときに少しずつ書いていた。

 そんな時だった。彼女が再び屋敷を訪れたのは。


「奥さま、お客様がお見えですが……お会いになりますか」

 歯切れのわるい侍女の言葉は、以前にも聞いたもので、わたしはすぐに誰が訪れたのかわかった。

 読んでいた本を閉じて、答えた。

「会いましょう。ただ、あまり気分がすぐれないから、あまり長くはお話出来ないと伝えておいてください」



 

 二度目に会った彼女は、やはり美しい人だと感嘆する。

 立ち居振る舞いも容貌も、全てが完璧のように見えた。

 本来、“妻”であれば、夫にこのような女性が居る事に……嫉妬なりの感情を抱くのだろうが、生憎わたしは便宜上の妻であったから、彼女に対してそのような思いを持つことはない。

 前回とおなじように、小さめの居間で彼女と対面する。 

彼女はわたしを見て、うつくしい目をみはった。

 視線の先には、丸みを帯び張り出しはじめた、わたしのお腹がある。


「お子様が……?」

「ええ。そのせいで体調があまり良くなくて。だから長くはお話できません。今回はどのようなご用事でしょうか」

「彼は、奥さまが妊娠されているなんて、一言も言っていなかったわ」

 思わずといった様子で彼女は呟いた。

 おや、とわたしは首を傾げる。特段可笑しなことではないだろう。

 わざわざ、快くおもっていない人間のことなど、話題にはするまい。

「やはり、旦那さまは貴女の所へ過ごされているんですね。わたしの身体がこのようではろくなお相手も出来ませんし、そもそも子どもは望んでいなかったようですから」

 

 すると彼女は酷く驚いた様子で首を振った。

「奥さま、何を仰っているんです?だって彼は……」

 何故だか彼女は焦っているようにみえるが、わたしにはその理由がわからない。

「……この前お会いした時に、遠からず貴女の望みが叶うでしょうと言いましたね。それが近いうちになりそうですよ」

 楽しみにしていて下さいね。

 そうわたしが言うと、彼女は……体調のわるいわたしよりも青い顔をして、挨拶もそこそこに去っていった。


 



 わたしが王に願ったこと。

 もとの場所に戻せないかわりに、何でも叶えよう。

 その言葉にわたしが願ったことは、王にかなりの衝撃を与えたらしい。



「いま、何と言った?」

 唖然としたあとに、問い返してきた。

 わたしの隣に腰かけている医師は、そうきましたか、徹底していますねと半笑いの表情で呟いている。

 わたしは先程の言葉を、一言一句違えずに繰り返した。


「わたしと彼との婚姻を解消して下さい。わたし、という存在のためにそれが出来ないなら、わたしは死んだことにしてください。それなら婚姻関係も終わらせる事が出来るでしょう。わたしと彼との婚姻は、貴方が命じたものです。ならば、貴方の命令なら解消も出来るでしょう?わたしはあの屋敷を出て行きます」

 王は天を仰ぐ仕草をし、その後疲れたような顔でわたしに尋ねた。

「あれは、婚姻解消については何か言っているのかな」

「いいえ。ただ、わたしに子どもが出来たら、望むとおりにしてやると言われています。彼には、約束どおりわたしの望むとおり、屋敷を出ると言っておりますので、問題はないと思います。けれど、それだけでは不安なので……陛下の後押しが欲しいのです」

 

 にこり、と半ば嫌がらせで微笑めば、王は居心地悪そうに肩を竦めた。

「確かに、何でも望みを叶えるとは言ったが……」

「あら、この望みも駄目だと言われるのですか?何でも叶えよう、と言われたのに?」

「それを言われると弱ったな……」

 王は深いため息をつく。すぐさま望みを承諾されるとは思っていなかったが、わたしもあとに引くつもりはなかった。

「一体、どんな望みなら叶えて下さるおつもりだったんです?地位です?それとも財産?」

「その方がよほどましだったな」

「それはわたしの望むところではありません。わたしを元の場所に戻せないというなら、こちらで結んだ関係を解いて下さい。……わたしはこちらで、わたしに望まれた役割を果たしたんでしょう?貴方がたの望みは叶えたはずです。それなのに何故、わたしの望みは少しも叶えられないんですか」


 王は再びため息をつく。

 傍で話を聞いていた医師は、彼女の望みを叶えてさしあげるしかないでしょうねと言った。

「いや、しかしな……」

「こうなった以上、彼女をあの屋敷に置いておく方がよくないと思いますよ。子どもが産まれるのですから、余計な心労は望ましくありませんし。アレには、まあ自業自得と言うしかありませんね」

 私はそもそも、性急に事を運ぶのはよくないと申し上げていたのですから、アレへの説明は陛下からお願いしますと医師はにこりと笑う。

 ますます渋い顔をした王だったが、わたしに向き直り、わかったと答えた。

「わかった、貴方の望むとおりにしよう。彼との婚姻は解消させる」

「死んだことにもしておいて下さい」

「それは……何もそこまでしなくとも」

「そうして下さい。そうであれば、誰もわたしを利用出来ないでしょう?いない人間なのですから」

「……わかった。そのように取り計らう。ところで、屋敷を出てどうするんだ?どこに行くかあてもなかろう」

「そうですね、これはお願いですけれど、子どもが産まれて体調がよくなるまで、静かな所に住む場所を手配していただけませんか。ご存知のとおりわたしは財などありませんので、いくらか援助もしていただきたく思います。働けるようになったら、少しずつ返していきますので」


「働くつもりなのか?いや、子どもは連れていくのか」

「彼は子どもが欲しくなかったようですしね、わたしが育てますよ。とはいえ、わたしはまだこちらの事には詳しくありませんから、わたしのような者でも出来る仕事があればいいんですが」


 あれこれ調べてはいるのですけどと呟いたわたしに、医師が、では私の所へ来てはどうでしょうかと提案した。

「私自身は都にいるんですけれど、妻は身体が弱いので、領地の方で暮らしているのですよ。静かで風景が美しいところです」

「ですが、それではご迷惑でしょうし……」

 何より神官と繋がりのある人の元で暮らすのは気がすすまなかった。

 それを読み取った医師は重ねて言う。

「田舎の屋敷ですので、あまり人もいません。貴女に滞在して貰った方が賑やかになって妻も喜ぶと思いますしね。それに、子どもが産まれて落ち着くまでは、貴女の事情を知っている人の所に居る方が、いいかと思いますよ。こちらとしても、貴女に何かあってはと心配になりますから」


 アレの事ならご心配なく、貴女に何か言ってくるようなことはありませんからと言われ……少し考えたのちに頷いた。医師はほっとしたような笑顔を見せる。

「それでは、陛下。そういうことでアレにはご説明下さいね。いつこちらを発ちますか」

「わたしは今日すぐにでも。もうあちらの屋敷に戻るつもりはありませんので」

 医師は流石にこの言葉には驚いたようで、目を瞠っている。

「特段、荷物などは持っていらっしゃらないようですけど……」


 医師は、わたしが彼からたくさん贈り物をされたのを知っている。

 ドレスの一枚も、装飾品の一つも持って来ていないだろうと思っているようだった。

「身の回りの物は持ってきていますよ。ドレスや宝石類は要らないので、全部置いてきました」

 そうですか、と医師は答え、では取りあえず私の屋敷にお連れしましょうとわたしの手をとった。

「そうですね、明日にでも領地へ向かいましょうか。丁度そろそろ一度戻ろうかとは思っていましたのでね」

 ありがとうございます、よろしくお願いしますとわたしは頭を下げた。


 しばらくの間、医師と医師の妻には面倒をかけることになりそうだった。 

 立ち上がり、王へと退出の挨拶をする。

「それでは失礼致します。先ほどの事、よろしくお願いします」

 わかった、望むように取り計らうと王は答えた後、ところで、と口を開く。

「アレには何も言わないのか。……会っていかないのか」

 わたしは首を横に振った。何を言ってもわたしの言葉がまっすぐ伝わらないのは、過ごした時間の中でわかっていた。最後に不愉快な思いをしたくはない。


「もう、二度とお会いしたくありませんから」





 王宮へ来た時と同じように、医師の馬車に同乗する。


 動きだした馬車。王宮が遠ざかり、ここへはもう二度と来ることはないだろうと思った。

 身分制度のある社会で、いわゆる“雲の上の人々”がいる場所だ。


 今はまだ、関わり合いは切れないけれど、いずれ、わたしは彼らとは“関係ない”ひとになるのだから……王にも彼にももう会う事はないだろう。


 そしていつかは、隣にいる医師とも。

「寒いですか」

 不意に尋ねられ、答えを返す前に、ふわりとあたたかなショールが肩にかけられる。

 いいえと返事をしたのに、医師はどこかが痛むような表情でわたしを見た。


「本当に、私たちは貴女に無理ばかり強いてきたのですね……謝っても謝りきれるものではありませんが」

 せめて、これからは貴女が穏やかに過ごせるようにしますから。


 その言葉に、わたしは笑おうとしたのだと思う。

  医師の言葉は今更だった。


 こちらに来て、戻ることと引き換えに役割を受け入れて、その挙句望みは叶わず意に染まぬ立場を受け入れさせられた。

 そうして……今、ようやく望まぬ立場から離れることが出来た。

 今更だ、遅すぎると言って罵ってもよかったのに。

 何故か、わたしの口から零れたのは、引き攣ったような嗚咽。

 ほとほとと涙が頬を伝い落ちてゆく。

 それにわたし自身が驚いて茫然としているうちに、医師の腕がわたしを抱きよせた。


 他人の体温に反射的に身体が強張り、医師もそれに気付いているだろうに、腕の力は緩まなかった。

 離して下さいと途切れ途切れに言い、腕を突っ張っても、腕の囲いは外れない。

 医師の手は髪の毛をやわらかく梳き、わたしの強張った肩をただ抱いている。


 温かさを分けるように。

 じわじわと移る体温がわたしに気付かせた。

 ここへ来てから、わたしがずっと寒さで震えていたことを。

 さみしさも辛さも嘆きも……感じてしまえば、立ってはいられない。


 だからこそ、何も感じないように、感じる“心”を沈めてしまっていたことを。

 何が起きても何を聞いても、感じないからこそ、立っていられたのに。

 一度でも泣いてしまったら、わたしはもう立ち向かえない。


 わたしの弱さを、わたし自身がよく知っていたから。

 それを、今になって曝されてしまったのだ。

 酷い、と涙交じりに詰る声。あとからあとから零れる涙。


 もう抗う気も失せて、ただ泣き顔を見られたくない一心で医師の胸に顔を埋めた。

 酷い、貴方たちなんか嫌いです。そう呟くわたしを、医師はただそっと抱きしめてくれた。


 わたしが泣き疲れて眠ってしまうまで。





 夢だったらよかったのに。


 わたしの身に起きたこと、すべてが。


 目覚めて、ああ夢だったのねと安心できたらよかったのに。




 これが夢でないのなら。


 すべて“夢”だと思いましょうか。


 痛くても悲しくても辛くても淋しくても。




 何を感じても、本当じゃ、ない。


 “ 夢”なのだから。














                                                                                 END












本編完結。次より視点が変わります。

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