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「奥さま、お客さまがお見えですが……」

「わたしに?どなたかしら……」


 わたしを訪ねてくる客人など、心当たりはない。

 医師ならば侍女はそう告げるはずである。

 社交に顔を出さないわたしのことを、詳しく知る人もいないだろうし、神官が指示しているのか、わたしにそういう社交上の誘いがかかることもなかった。


 侍女は複雑そうな顔をしている。

 余計怪訝に思い尋ねると、酷く言いづらそうに答えた。

「……旦那さまが、社交に同伴されておられる方です」


 お会いになりますか、それともお帰りいただきますか。

「お会いしましょう。衣装はこのままでいいかしら」

 着ているものは身体を締め付けないデザインのドレスで、簡素と言えば聞こえはいいが、味気ない地味なものだ。

 着替えを促されるのだろうと思っていたら、案の定“妻”に相応しいドレスに着替えさせられる。

 ただやはり身体をあまり締め付けないようにとお願いはしておいた。





「お待たせいたしました」

 彼女は比較的小さな居間に通されていた。

 椅子に腰かけず、窓辺に立ったまま外を眺めているようだった。

 均整のとれた体つきの、うつくしい人だった。わたしの声に振り返り、腰をかがめて優雅に礼をする。



「突然の訪問にもかかわらず、お会いくださりありがとうございます」

「いえ……どうぞお楽にして下さい」

 声をかけると、彼女は背筋をのばしてこちらに微笑んだ。赤い唇が綺麗に弧を描いている。

 うつくしい人だと再び思いながら、座るようにと促した。


 テーブルを挟み向かい合うように椅子に腰かけると、侍女がお茶を運んできた。

 彼女にお茶をすすめ、自分もカップを取り上げお茶を飲む。

 彼女は優雅な手つきでカップを持ち上げ、目を細めて香りを楽しみ、お茶を口に含んでいた。

 一つ一つの動作も、本当に優雅な人だと思う。


「……それで、今日はどのようなご用事で?」

 わたしが水を向けると、彼女は、ふふと笑いあまやかな声で答えた。

「ご存知でいらっしゃるでしょうが、わたくし、こちらの旦那さまのお世話を受けていますの。社交の場にもご一緒させていただいております。とてもよくして頂いておりますので、一度ちゃんと奥様にもご挨拶させていただきたく思いまして」


 そう、と吐息のように答えた。

 名ばかりで社交の場に出て来ない“妻”と、社交の場でそつなく振舞う美しい人、とを比べると、どちらが実の部分で“妻”に相応しいか、おわかりでしょう。

 彼女の目はそう言っているようだった。

 神官も非常に整った容姿の持ち主だが、彼女もまた並び立っても霞まないほどの容貌だ。

 見目よい二人が並んでいるさまは、絵画のように美しいのだろう。わたしは他人事のように考えた。


 他人事と思えるほどにしか、関心がないのだ。


「旦那さまが迎えられた“奥さま”がどのような方か……とても興味があったのですが……ふふ、このような方だったのですね」

 ああ、これは侮られているのだと気がついた。

 それとも、“名”の部分すら、いつか自分のものにするという、宣言なのだろうか。

 してみると今回の彼女の訪問の目的は、“名ばかりの妻”の顔を見ると同時に宣戦布告をすることだったのだろう。

 いくらでもどうぞ、と頭の隅で思う。けれどわたしはそれを受けることはない。


 そうよ、とわたしは答えた。ひどく淡々とした声だった。

「そうよ。だから貴女が、名実ともに奥方になる日も近いんじゃないかしら?待ってさえいれば、やがて貴女はそれを手にするでしょう」


 奥さま?彼女は一瞬瞳を揺らして怪訝そうに問いかける。

「まるで、妻の地位を望んでいなかったように聞こえますわ」

 そのとおりよと答えた。


「一度だって、望んだことなど、なかったわ」



 わたしが望んだのは、たったひとつ。






「やっと会えて嬉しいわ」


 教えられたとおりの礼をとるわたしに、いいのよ楽にして頂戴と気安く手招く人は、この国の王妃だった。

 緑あふれる王宮の庭。

 その一角にテーブルを持ちだし、ささやかなお茶会が開かれていた。

 招待客はわたしひとり。




 ある日屋敷に王宮から使いがやってきて、王妃さまからの招待状でございます、どうぞ王宮へ来て頂きたく、と恭しく言った。そこにはお茶を飲みながら話がしたい、そんな内容がしたためられていた。

 面識もない王妃が、なぜ自分に会いたいと言うのか疑問だったが、取りあえず執事に相談すると招待を受けて欲しいと言われたので、その旨を使者に伝えた。

 すると使者は、このまま来ていただけますかと言う。


 かくして、慌てて衣裳を着替え化粧をし、寄こされた馬車に乗って……少しの間過ごした場所へやって来たのだった。




 初めて会う王妃は、明るい色の髪に茶がかった緑の目の、溌剌とした人だった。

「もっと早く会いたかったのだけど、ちょっと私の方が色々あってね」

 聞くと、わたしがこちらへ来てまもなく、出産されたと言う。

「少し身体が落ち着くまでは、あまり人と会っていなかったのよ。やっとお許しが出たので、早速呼んじゃったわ。ごめんなさいね、急な招待で」

 いいえと答えながら、はて本当に王妃様がわたしに会いたがる理由がわからない。

 単なるもの珍しさかと思っていれば、王妃さまがにこりと笑って言った。



「実はね、私の曾祖母も、やはり呼ばれた人だったの」

「そう、なのですか」

 わたしのように帰れなかった人がいたのか。

 けれど王妃様の言葉で心が沈むのがわかった。


「そう。曾祖母はこちらに残る事に決めたのですって。曾祖父と結婚して子どもを産んで……呼ばれた人だから、こちらに慣れるまでは随分と大変だったそうよ」

 そうですか、と小さく呟いた。王妃様の曾祖母は、“帰らなかった”のだ。

 わたしのように“帰れない”のでは、ない。

 もとの場所に残したものを、考えはしなかったのだろうか。

 それとも、もとの場所を捨ててまでこちらを選んだのだろうか。



 どちらにせよ、わたしとは事情が違う。

 わたしは選ぶことすら出来ないのだから。

 王妃様は口数の少ないわたしを心配するように覗きこんだ。



「だから、何か困った事があったら、力になるわ。何でも言ってちょうだいね」

 一応、はいと頷いておいたが、本当に頼るつもりはなかった。

 しばらくお茶を楽しんだ後、わたしは王宮を辞した。






 誤魔化してはいたのだけど、やはり気付かれてしまった。

 いくぶんかひんやりする声で侍女は言った。

 奥さま、今日はおとなしく寝台でお過ごしください」

 抵抗する間もなく寝台に押し込められる。

 ただちに以前も世話になった女医がやってきて、診察されて。

 そこで、身体の状態を知られてしまった。


 女医はいくつか注意事項を話して、また診察に参りますからと帰っていった。



 そろそろ、気付かれる頃かとは思っていた。誤魔化せなくなるとも。

「奥さま、何故なにも話して下さらないのです。何かあったらどうなさるおつもりだったんですか」

もし奥さまに何かあれば、旦那さまだって悲しまれます。その言葉には苦い笑みしか浮かばない。

 執事はいつも通り冷静な顔で、旦那さまにご連絡いたします、遠方においでですが、用事が済み次第戻って来られるでしょうと話した。

 そうね、とわたしは頷いた。はやく話す方がいいわね、と。



 そうでございます、旦那さまもお喜びになられますよと笑顔で言う侍女に、内心で答えた。

 それだけはないわ、と。

 幸か不幸か、終わりに向けて動き出せる。それだけが救いだと思い、そしてちいさくごめんなさいねと呟いた。



 喜んであげられなくて、ごめんなさいと。






 女医から聞いたのだろうか、医師が屋敷を訪れた。

 花束を携えている。体調はどうですかと言いながら差し出してきた。

「ありがとうございます」

 受け取り、すぐ侍女に渡す。心得た彼女は、花を手に部屋を出ていった。 

 適当な花瓶に挿したあと、この部屋にもってきてくれるだろう。


 医師と向かい合ってお茶を飲んでいると、彼は「アレにはもう話したんですか」と尋ねてきた。

 アレ、とは神官のことだろう。

「執事が連絡してくれたはずです」

「そうですか。きっと、とても喜ぶと思いますよ」

 わたしは答えず、曖昧に笑った。その時だ、荒々しい足音が聞こえたかと思うと、それはこの部屋の前で立ち止まり、すぐに扉が乱暴に開けられた。


「……自分の妻に早く会いたいのはわかるけど、ちょっと騒々しいですね」

 医師の呆れた声も耳に入っていない様子で、神官はわたしを憎々しげに睨んだ。

 そして低い声で詰問した。

「……誰の子です」


 え、と尋ねたわたしに激昂して、彼は声を荒げた。

「私の子ではないでしょう!どこの男をくわえ込んだんです!」

 その言葉に顔を険しくしたのは医師だった。

 甥を見る目が普段の温和な彼らしくもなく、厳しいものになる。

「お前、言うにこと欠いてそれはないでしょう。自分が何を言っているのか、わかっているのですか」

「わかっていますよ。私の子が、こんなに早く出来る筈がない。なにせ、子がとても出来にくい血筋ですからね。それが、こうも短い期間で子が出来たと聞かされれば、疑うのが当然でしょう!」

「その口を閉じなさい。確かにお前の家系は子が出来にくいけれど、彼女はもともとこの世界のひとではない。同じように考えてはいけないでしょう」

「……それは……では、まさか、本当に」

「それを聞くべきは私にじゃなくて彼女にです。しかし、まずは彼女に謝罪をしなさい。お前は彼女を侮辱するような事を言いました」


わたしは医師の言葉を遮った。

「いえ、謝罪など要りません。貴方にとっては不本意でしょうが、たしかにこの子は貴方の子です。……前にしたお約束は、覚えておいでですよね」


 約束、と呟いて、神官は目を見開いた。

「まさか、あれを本気にしたのじゃないでしょうね」

 幾分か顔色がわるい気がする。しかしわたしに気遣われるのも嫌だろうと、敢えて指摘せずに言葉を続けた。

「勿論本気ですよ。位の高い神官ともあろう御方が、よもやご自分の発言に責任をもたない、なんてありえませんよね。こどもが出来たのですから、あの時わたしが言ったことを叶えていただけるのですよね?」

 怪訝そうにわたしと神官とを見やる医師には構わずに、わたしは続けた。

「まずは……そうですね、この体では貴方のお相手は出来ませんから、そのおつもりで。何でしたら、あの方をこちらにお呼びになってはいかがですか。わたしはちっとも気にしませんから。ああ、それと、お邪魔でしょうがしばらくこちらに居させて下さい。何分すぐには他に住む場所もありませんので」


 そう言うと、神官は何かを言いかけたが、苛立ったようなため息を吐き出し、勝手にしなさいと言い残して部屋を出ていった。

 救い難い莫迦ですねと医師が珍しくも吐き捨てるようにいい、神官のあとを追って部屋を出て行きかける。

 その背に、わたしは言った。

「まえに、力になっていただけると言って頂きました。あれはまだ有効でしょうか」

「勿論ですよ。たとえばアレの性根を叩き直す手伝いでも?」

 いいえ、と首を横に振る。それはどうでもいいと思った。

 神官の言葉は酷い暴言だっただろうが、それをぶつけられてももう対して何も感じていないのだ。


「そう遠くない先に、わたしはここを出て行きます。その時、住む場所を探す手伝いをしていただけませんか」

 彼の関係者である医師に頼むのも複雑だったが、わたしには頼れるひとがすくないし、それに医師には神官を諌める力があるからだ。

 医師は複雑そうな顔をしながらも、分かりました、力になりますよと言ってくれた。

「それと……陛下にもお話したいことがあるので、連絡を取っていただけませんか」


 すぐには会えないかもしれませんがと医師は言い、お忙しいでしょうから、出来るだけ早くで構いませんとわたしは答えたのだった。
























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