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 屋敷での生活は、思ったよりも楽だった。

 以前過ごした時は体調も悪く、またわたしをどのように扱っていいかわかりかねていたのだろう、侍女以外と顔を会わせる機会がなかったが、今は違った。


 便宜上とはいえ屋敷の主人の妻になったわたしに、礼儀正しく接してくれる。

 料理長には食事の好みを尋ねられ、あまり重たいものは苦手だと答えれば、次の食事からは軽いものばかりになったし、執事にこの国のことを詳しく知りたいとお願いすれば、家庭教師を呼んでくれた。

 

 この屋敷の人たちにとって、わたしはどのような立ち位置にいるのか気にならないと言えば嘘だった。

 便宜的な妻で、預かりもの……と捉えてくれていればいいのにと思いながらも、それだけでないと気付かれているはずだから。

 妻としての役目を果たせと言いながら、神官は対外的には一度もその役目を求めてこなかった。

 正式な社交の場には、既婚者ならば夫妻で参加するのが正式なものだと聞く。


 それなのに一度も参加するよう神官が言ったことはない。

 未だわたしの、この国における常識は覚束ないし、知人も少ない状況では、なかなかそのことに気付かなかった。

 知っていたはずの侍女も、わたしには何も言わなかったから。

 侍女はわたしの身の回りの世話をしてくれ、そしてわたしが請うままにこの国の色んな話をしてくれた。

 先々を不安に思っていたわたしは、まずは色んなことを知らなければと考えたのだ。


 そんな折だった。いつものようにお茶を飲みながら、侍女にあれこれ尋ねていた時。

 ドアがノックされ、年若い侍女がやって来たのだ。手には大きな箱を抱えている。

「奥さま、お届けものでございます」

 今度は何だろうかとため息をつきたくなる。

 わたしに何かが届くような心当たりは、一つしかない。


 便宜上の夫は、これも義務だと思っているのか、ドレスや装飾品を贈って寄こすのだった。

 着て行く場所もないし、あまり装飾品は好きではないと言ったものの、相変わらずの冷たい視線を寄こして終わりだった。

 それからも贈り物はやまなかった。


 一度は身につけてさしあげませんと、物が可哀想でございましょう。

 侍女がそう言うので、贈られたものは一度は身につける事にしている。


 贈り主のためにか、神官が屋敷に居る時にそれらのものを身につけさせられるが、彼が特に何かを言った事はなかった。

 一度身に着けると、ドレスも装飾品もわたしの指示で仕舞いこまれ、わたしが普段身につけるのは侍女に言わせれば恐ろしく地味らしい、簡素なドレスだった。


 贈り物ばかりを仕舞う衣装棚も、そろそろ一杯になってきている。

 この辺りでもう一度言っておくべきだろうかと考えていた時。

 若い侍女は楽しげな声で告げた。


「今度、陛下主催の舞踏会がございますでしょう?きっとその時のためのドレスなんですよ!」

 きっと素晴らしいドレスでしょうねと、若い娘らしく浮かれた調子で話す侍女に、わたしの傍に控えていた侍女は咎めるような視線を向け、そしてぴしゃりと言った。

「なんですか、奥さまの前で浮かれるのはおやめさない。用事はそれだけですか」

「っ、はい、申し訳ございませんっ。失礼致します」

 年若い侍女は途端に慌てて、礼もそこそこに部屋を出ていった。

 テーブルの上には箱だけが残される。

 侍女が、礼儀のなっていない新参者が失礼しましたと頭を下げるのに、気にしていないわと答え、箱を開ける。


 中に入っていたのは、美しい青色のドレスだった。カードの一枚もないのは、いつもと同じ。

 ドレスは美しいと素直に思うが、贈られて嬉しいとは少しも思わない。

 まして自分が着ているところなど、想像したくもなかった。滑稽に決まっているからだ。


「今度舞踏会があるんですね。ちっとも知りませんでした」

「……ええ、旦那さまから、お聞きではございませんでしたか」

「ええ。ひょっとして今までも、こうした催しはあったのかしら」

「……ございました」

「ところで、こういう催しって、大抵夫婦同伴が原則ですよね。“旦那さま”はこれまでどうしていたのかしら」

 侍女はすぐに答えなかった。それが答えだとわたしは思い、うっすらと微笑んでみせた。

「ああ、単なる疑問です。あなたも知っているとおり、わたしは便宜上の妻ですから。他にその役目をしてくれる方が居るなら、その方が余程いいと思っているわ」

「奥さま!そんな便宜上などと仰らないで下さいまし!それにあの方と旦那さまは、けしてそのような間柄ではございません!」

「あの方、ね……そう、ちゃんと外で役割を果たしてくれる誰かは居るの、ね……」


 呟くわたしに、侍女は複雑そうな顔をしていた。




 神官が屋敷に帰って来ることは稀だった。

 神殿に詰めている事の方が多いらしく、またそうでなければ王宮に居るらしかった。

 それらは執事に聞かされたことだったが、わたしにとってはどうでもいいことだった。


 肝心なのは、神官が戻って来る日が少なければ少ないほど、わたしが安心するのだということ。

 便宜上の妻と言い、外ではその役目をしてくれる誰かがいるのに、神官はわたしに妻の役目を果たせと言う。

 矛盾していると指摘すれば、顔を歪めて吐き捨てた。不本意なのはお互いさまでしょう、と。

 そうしてわたしの身体を好き勝手に扱う。


 嬲る、という言葉が相応しいような扱いのため、大抵次の日は起きあがる事も困難だった。


 初めの時はかなり酷い有様だったらしく、医師まで呼ばれたらしい。


 その時の事すらわたしは覚えていなかった。診察は医師に同行した女性の医師がしたと聞いて、すこし安心した。医師とは言え顔見知りにあらぬ場所を見られたくはなかったし、おそらく……おぼろげな記憶ではあるが、あの時のわたしは情交の痕も生々しく晒していたのだろうから。


 神官が屋敷に戻った次の日、わたしが起きあがれない理由を知っている侍女は、腹立たしげな顔で言う。


 これでは奥さまのお体に障ります、旦那さまには自重していただきましょう、と。


 体の奥が鈍く痛み、そして酷い倦怠感で起きあがれないわたしに、侍女は心配そうな顔をする。

 それには首を横に振った。

 おそらく、何を言っても無駄であろうと思っていた。そしてわたしはこうも思っていた。


 たぶん、彼には婚姻したい誰かが居て、わたしと婚姻する羽目になったことを恨んでいるのだろうと。

 たぶん、社交に連れている女性が、その誰かなのだろうと。


 そう奥さまは仰いますが、お体の調子もお悪いでしょう?最近あまり召しあがっておられませんし。ただでさえ細くていらっしゃるのに……。


 大丈夫よとわたしは答える。

 ちゃんと診察していただいてるわ。あまり沢山食べられないのはもとからだし。ところで、今度旦那さまが帰られるのはいつ頃かしら。


 わたしは神官の予定を何一つ知らない。もっとも、興味もないけれど。


 侍女は確か、と口を開く。

 他国の神殿へ行かれていますので、お戻りは半月後になるかと。


 そう、と小さく呟く。


 それなら、その頃にはもっとはっきりした事がわかっているかもしれない。





 半月後。屋敷に戻って来た神官は当然のようにわたしを組み敷いた。


 何度触れられていても行為の初めに身体は竦むし、触れられている間中、強張りはとけないままだった。思わず掠れた悲鳴が零れ……唇を引き結んで声を押し殺す。


 やがて熱は離れてゆき、それとともに細く長く息を吐き出す。

 体中が重だるく、気を抜けば眠りの中に沈みこんでしまいそうだった。

 以前ならとっくに意識を飛ばしている。幸か不幸か、耐性がついてしまっているのだろう。

 ただ今回に限っては幸いだ。


 神官に確かめたいことがあったから。

 二人だけになるのが、このような場しかなく、流石に他者が居る場所では外聞が悪かろうと思ったのだ。


 聞きたい事があるとわたしが言うと、神官は乱れた息を整えながら何ですかと答えた。

 汗もかかないような印象の男が、汗を滲ませ息を乱しているさまは、何度見ても不思議だと思っていた。

「社交にはいつも同じ女性を連れていかれていると聞きました。貴方が本来結婚したかったのは、その方なのでしょうか」

「そうだと言ったら、どうするつもりです」

「わたしはあくまで便宜上の妻です。その方が保護しやすいという理由だけです。便宜上というなら、わたしが死んだことにすればこの婚姻も解消できますし、貴方も望んだ方を妻に迎えられるでしょう。そう言う事に出来ませんか」


 そうして、わたしは別の人間としての名と立場を貰えたら、そう続けるはずだった言葉は喉の奥で凍りついた。


 神官が酷薄な笑みを浮かべてわたしを見おろしていたからだ。

 無言でわたしの両腕を掴み、片手で押さえつけると、再び体を重ねてきた。

 わたしは逃れようともがくが、もう片方の腕で腰を掴まれ逃れようがなかった。


 本当に聞き苦しいことばかりを言う。忌々しい口を塞いでしまおうか。


 身体全体で抑え込まれ、身動きできないでいるわたしを見おろしながら、神官は首筋を撫でてきた。

 とくとくと脈打つあたりを執拗に撫で、そして手のひらを拡げて圧迫してきた。

 呼吸を奪われる恐怖は何故か薄かった。体の中を苛む熱も苛烈さを増した。

 視界が薄暗くなっていくにつれ、このまま終わるのだろうかとぼんやり思ったところで。


 それは嫌だと自分の中で何かが囁いた。小さく……けれど、とても強く。

 そう感じた瞬間、喉の奥から叫び声が溢れた。


 いや、と何度も叫んで力の入らない手足でもがいた。

 狂ったように暴れるわたしに、神官は首から手を放し、戸惑ったような声を出す。

 わたしは、ただ拒絶の言葉を繰り返していた。それに苛立ったのか、彼は手を振り上げた。


 ぶたれると思い、咄嗟に腕で身体を庇う。


 しかししばらくしても恐れていた痛みは襲ってこなかった。

 苛立ちを静めるように大きく息をついた神官は、わたしから離れると寝台を降りた。


 そしてわたしに背を向けたまま、冷たい声で言い放つ。


 貴方は私の妻です。ああでも、もし子どもでも出来るような事があれば、貴方の望むように致しましょう。もし、そのようなことがあればですが。


 そしてわたしの答えは不要、と言わんばかりに部屋を出ていった。

 だから神官は知らない。わたしが零した安堵とも絶望とも……自分でもわからないため息のことを。












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