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 少しの間過ごしたとはいえ、まるで馴染みのない王宮の一室で、わたしは椅子に腰かけていた。

 少し離れた場所には、神官も同じように椅子に腰かけている。


 旅からの帰還の挨拶をするために、一度神官の屋敷に戻り、身形を整えたあと、王宮を訪れたのだ。

 王は謁見中と言う事で、しばらくの間別室で待たされていた。


 お互い口もきかない。どうにも気づまりで仕方ないが、後少しの辛抱だと自分に言い聞かせていた。

 どれくらい待っただろう。侍従が王の訪れを告げ、間をおかず王がやってきた。


「待たせたな。巡回の旅、ご苦労だった」

 立ち上がりかけたわたしと神官を手で制し、神官とわたしをねぎらった。

 王が椅子に腰かけた後、神官が立ち上がり礼をとり、口上を述べた。


「ありがとうございます。こうして無事すべての神殿への巡回も終えました。恙無くすべてあるべき形におさまり、均衡に危ういところはございません」

「そうか……それは何よりだ。貴女にも色々不自由をかけただろう。重ねて礼を言う」

 王はわたしに頭を下げてみせる。わたしも立ち上がった方がいいのかとちらと頭を過りはしたが、この国の住人でもないしとすぐに思い直した。

 いえ、と短く答え、目を伏せるにとどめる。


「それで……貴女の役割は一応終わったわけだが、何か望むものがあれば言ってくれ。どのようなことでも叶えよう」


「それなら、初めに約束したとおり、わたしを帰して下さい。それだけが望みです」


 王は帰せると言った。

 その言葉に縋る思いで王を見れば、彼は難しい顔つきでわたしを見返している。

 嫌な予感が胸の中に落ちてくる。


 王は、実は……と口を開く。その先を聞きたくないと思った。




 王は言った。


「いささか事情が変わってね……貴女を帰せなくなったんだ」


 嘘でしょう、と呟くわたしに、王は神官を指す。

「詳しくは彼から説明がある」

 神官は変わらぬ冷たい視線でわたしを見、淡々と話しはじめた。


「貴女を帰す道を繋ぐのに、いささか障りがあるようでして。無理に繋げば貴女の身の安全は保障できません。道を安全に繋げるようになるまで、しばらくこちらに居るのがよいでしょう」


 その言葉を理解するのに、少し時間が必要だった。

 はっきりわかったのは、今すぐ戻れないということ。


「酷い話ですね。勝手に連れてきておいて、帰せないというのですね。それで?もうわたしに用はないんでしょう?帰れるようになるまでどこに居ればいいんです?出来るなら貴方たちの顔を見ない所がいいんですけど」

 どこか遠くの、静かな場所を用意して下さい。吐き捨てるように言う。

 我ながら酷く冷淡な声だとぼんやり思った。泣けるものなら泣きたかったが、胸の中が重く塞ぐだけで、大きな塊がつかえるような気がするばかりで、一粒も涙など零れなかった。

 泣き崩れてみせれば哀れだと思ってくれるのだろうが、出来るはずもない。


 王は苦い顔をしながらも、首を横に振った。

「貴女自身は気付いていないんだろうけどね、貴女は重要人物なんだよ。僻地に行かれては守るのもままならなくなるから、その要望は聞けない。そして、私たちの顔を見ないという所、というのも叶えられないんだ」


 眉をひそめ王の顔を見ると、王はわたしと神官の顔を交互に見た後、ため息をつきながら言った。

「貴女は彼と結婚してもらう」

 信じられない言葉に、目を見開くしか出来ない。

 これはもう決定したことだからと、王は揺るがない声で続けた。

「本当にね、貴女は自分が思うより、この世界においては重要人物なんだよ。もとの世界に帰ってしまえば誰も手出しが出来ないけど、この地にいるなら誰かの保護が必要になる。婚姻、という手段を使ってしまえば、法的にも立場的にも誰も手出しが出来なくなる。とくに彼は最高位の神官だし、王族でもあるからね」


 わたしは神官を見た。彼はわたしを嫌っている。この婚姻に反対するに違いない。

 しかし彼はわたしの視線に気付くと、気難しい顔を崩さず、尋ねてきた。

「貴女はこの婚姻を断るつもりなんですか」

「……当たり前でしょう!わたしは嫌です。保護する必要があるというなら大人しく保護されます。何故、わざわざ結婚する必要があるんですか」

「ものわかりの悪い人ですね、保護するのに、それが一番効果的だからですよ。手っ取り早くて確実だからです。ああ、貴女がどんなに拒んだ所で覆りませんからそのつもりでいて下さい。逃げ出そうとしても無駄ですからね」

それだけ言うと、神官は王に礼をし、部屋から出て行った。


 茫然と椅子に座りこんだわたしに、王が躊躇いがちに声をかけてきた。

「……何か望むことはあるか。どんなことでも叶えるから」

「なら、わたしを帰して下さい」

「それは出来ない」

 それなら、とわたしは口にする。

「それなら……今は何も望みません。いつかわたしに望みが出来たら、どんなことでも叶えてくれますか」

 約束しよう、と王は頷いた。


 その望みもまた反故にされるのかもと思いながら、わたしは震える息を吐き出したのだった。





 王族である神官との婚姻である。

 本来であれば盛大な式典が催されるらしかったが、わたしとの婚姻は言ってみれば便宜的なもの。

 婚礼衣装を着せつけられ、その上で婚姻証明書に署名をして終わりの簡素なものだった。 


 立会人もごくわずかで、婚礼をつかさどる神官の他は王と医師のみだった。

 こちらへ初めて来た時のように、大勢に取り囲まれなかったことには安堵した。


 便宜的なものなのだから、婚礼衣装も不要と言ったわたしに、侍女は……これまでどおり、彼女はわたしに付いていてくれるらしい……にっこりと微笑みながらも有無を言わせぬ強引さで衣装の算段をし、もう少し時間があればと婚礼衣装を着たわたしを見ながら些か悔しげだった。


 婚姻を言い渡されて、実際に婚姻を結ぶまでの時間は、本当に短いものだった。便宜的なものだから、時間をかける必要もないのだろうと思った。嫌な事なら早く済ませたい、その一心なのだろうと。


 だから、どんなに時間があり、衣装を整えた所で無駄にしかならない。

 わたしはどう着飾ったところで見苦しいのだろうから。

 ドレスの型をあれこれ示し、どこか浮かれた様子でわたしに話しかけていた侍女にそう告げると、彼女は絶句したあとどこか疲れたようなため息を零していた。

 何か不穏な言葉を呟いていたようだったが、わたしには聞き取れなかった。

 それから気を取り直したように、衣裳の型やら布地やらを決めていったのだが、鬼気迫る様子にわたしは首を傾げるしかなかった。


 そうして、婚姻の日。

 婚礼の手順にのっとり、わたしのヴェールを持ち上げた神官は、わたしの顔を見るなり眉間に皺をよせた。そしてヴェールをもとに戻した。

 わたしが聞いた手順によると、ヴェールをあげたところで誓いの口づけを交わし、そして婚姻証明書に署名をするのだという。

 手順を無視して署名を始めた彼に、立ち会いの神官は困惑していた。

 おろおろと視線をさ迷わせる彼に、医師がそのまま続けるようにと目配せを送っていた。

 わたしは特別思う所はなかった。同じく署名をする。


 こちらの人には読めない、自分の国の文字で。

 それらを確認し、立ち会いの神官は婚姻の成立を宣言した。

 わたしはため息しか零れない。とんだ茶番だとしか思えなかった。


 王と部屋の隅で話をしている神官をぼんやり眺めていると、医師に声をかけられた。

「その衣裳、よく似合っていますね。とても綺麗ですよ」

「綺麗なのは衣裳ですから……本当にここまでする必要があるんですか?あなたもつきあわされていい迷惑でしょう」


 勿論一番迷惑を被っているのはわたしですが、とわたしが言うと、医師は貴女の言葉は尤もですがと呟きながら神官に目を向け、それからわたしに視線を戻した。

「……それでも貴女には、少しでも穏やかに過ごして欲しいと思っていますよ。もし、何か困ったことがあれば、些細な事でもいいですから相談して下さいね。力になりますから」

 はい、と頷きながら、どうせ婚姻しなければならないのなら、彼のように穏やかそうな人であればよかったのにと思っていた。





 わたしはこの婚姻をあくまでも便宜上のものと思っていたし、神官もまたそう認識しているものと思って疑わなかった。一つ屋敷に暮らすと言っても、広い屋敷の事、これまでのように顔を会わせないでいることも可能だと思っていた。

 いつまでこの茶番は続くのだろう、わたしが帰る時までか、もしくは神官が、本当に結婚したい誰かが出来た時なのかと、ぼんやり考えながら眠りにつこうとしたわたしを揺さぶったのは、苛立たしそうな低い声だった。


「初夜だというのに、夫を放って眠るつもりですか」

 大きな身体で囲われ、気付けば腕も足も動かせなかった。

 侍女に薄物の夜着を着せられたが、薄すぎて落ち着かないため、早々に普段の夜着に着替えていた。


 ご夫婦の寝室ですと広い寝室に案内されたものの悪い冗談にしか思えず、そこを抜けだして以前使っていた部屋へと戻ったのだ。

 その部屋も、以前と同じくわたしが使ってよいと聞いていたから、今後もそこで休むつもりだった。

 神官にしても自分の部屋で休んでいるに違いないと思ったのだ。

 一瞬自分の身に起きていることがわからず、しかし彼の重みと体温を感じるにつれ、ぞっと背筋が冷えた。

「……この婚姻はあくまで便宜上のものでしょう。婚姻は無事成立して、わたしはこの屋敷に居ます。それで充分なのでは?」

 いいえ、と神官は笑った。初めて見る笑みは、ぞっとするほど暗く冷たいものだった。

「充分ではありませんね。貴女は私の“妻”なのですから。“妻”の役目も果たしてもらいますよ」


 拒絶の言葉は聞き入れられなかった。やめて欲しいと叫んだ声も。



 その時のことは、二度と思い出したくない。





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