1
ハッピーエンドではありません。それをご理解のうえお読みください。
※以前別アカウントで連載していた話の、移行版です。
誤字脱字等の修正の他は、殆ど変わりありません。
R18該当部分があるとの指摘により、その箇所を修正しました。
これが夢ならいいのに。
心の中で何度も何度もくりかえした。
夢、だったらよかったのに。
「勝手なことを言わないで。どう言い繕っても、貴方たちは誘拐犯じゃない」
時間にして、どれくらいの間だっただろう。
目に映る全てが理解できなくて、茫然と突っ立っていたのだが、相手のひどく身勝手な言いざまに殆ど反射的に言葉が口から飛び出していた。
愛想の欠片もない声なんだから、もう少し角を立てない言い方をしないと誤解されるよ。
ごく親しい人からは、よく言われていたが……この時気にする余裕などなかった。
自分の声は、酷く冷たく……斬りつけるように響いたのだろう。
この場に集った人々の間から、瞬く間にざわめきが広がり、人垣の中からひどく憤慨した様子の男が自分の目の前に現れた。
派手な、としか言いようがない、見た事もない衣裳を身にまとっている。
「口を慎め!お前は自分の立場をわかっているのか!」
大声で怒鳴りつけられては、反射的に体が竦む。
大きな声は怖い。威圧するように見下ろしてくる自分よりも大柄な男も恐ろしい。
いつものわたしなら、震えながら体を縮めているしかなかっただろう。
それなのに。まるで夢でも見ているかのように、感覚はどこか鈍いままだった。
目の前の見知らぬ光景にも人々にも、薄い膜を隔てて眺めているような。
夢の中で、夢と自覚して見ているような。
だからこそ……自分よりはるかに体格のいい男に怒鳴られても。蔑むような目で見られても。
見知らぬ場に放り出され見知らぬ人間に取り囲まれても。
どこか平静でいられたのかも、しれない。
これを“現実”だと思ってしまえば、途端に立ちすくみ泣きだしてしまいそうで。
怒鳴りつけてきた男を静かに見返し、口を開いた。
「そんなの、わかるわけないでしょう。わたしはここの人間じゃないんでしょう?貴方たちの言葉を信じるなら、わたしはここへ攫われてきたわけでしょう?わたしが望んだわけじゃない。それなのに何故、貴方たちの言う事を聞かなければならないんですか」
誘拐犯の言い分を聞く必要なんてあるんですか。
そう言い放てば男は顔を真っ赤にして、そして太い腕を振り上げた。
ああ、殴られると思いながら、これが夢なら痛みなんてないはず。
もし、痛ければ……その先を考えたくなくて、ぼうっとそのまま突っ立っていた。
痛みはやって来なかった。
これが夢だからではなく、自分に振りおろされようとしていた男の腕は、他の人間によって阻まれたからだ。
「私が呼び出した人間を、傷付けさせるわけにはいきませんね」
「……っ、この女の暴言を許すというのかっ、そもそも何故こんな無礼な女を呼んだのだ!お前の力不足ではないか!」
「私が呼ぶ条件には、そもそも礼儀云々は入っていませんがね。まして私の力を疑われるとは心外です」
銀色の長い髪を束ねた男が、わたしを殴ろうとした男を冷たい目で見おろしている。
男は途端にうろたえ、何やら言い訳めいたことを口走ったあと、人々の輪の中に紛れてしまった。
銀髪の男はふ、と口の端だけで笑い、今度はわたしを見おろしてきた。
銀の髪に、冷え冷えとした青の瞳。それは、“ここ”で自分が一番初めに見たもの。
そして一番初めに自分に話しかけてきたのも、彼だった。
自分の日常では、まず目にする事のない彼の容姿と話す内容に、わたしはこれを夢だと思ったのだ。
そう、思っていたかった。
けれど、足元から這いのぼる冷気と、ぶつけられた怒気と、人々の視線が、無情にもこれを現実だと知らしめていた。
凍るような視線をわたしに寄こしながら、銀髪の男はわざとらしいため息をついた。
「貴女も自分の言動には気を付けた方がいいでしょう。ここで無事に過ごしたければ」
その、いかにもわたしが悪いというような言い草が癇に障り、尖った声が零れた。
「ひとを誘拐しておいて、脅すわけですか?品性が疑わしいのはわたしじゃなくて、そちらの方でしょう」
自分がさらに言い募るまえに、苦笑混じりの声が割り込んできた。
穏やかながらも人を従わせる、強制力のある声が。
「まあ、貴女の言う通り、どう取り繕っても私たちは誘拐犯と変わりないが……どうか話を聞いてはくれないか」
「……あなたは?」
視線をめぐらせると、人の輪の一番遠い所に、その人は居た。
穏やかそうな目には、面白いものを見るような光が浮かんでいた。
「貴女の言葉を借りるなら、“誘拐”の首謀者だな。実行したのはその男だ」
自分の隣に立つ、銀髪の男を目で示す。
「どうか詳しい話を聞いてほしい」
穏やかに下手に出られては、不承不承ながら頷くしかなかった。
ここでは落ち着かないからと、小さな部屋に移動させられる。
人目がなくなり、少し安心して小さく息をこぼす。
するとそれを見咎めるかのように青い目が見つめてくるから……途端に居心地が悪くなった。
部屋の中には自分を含め三人だけだった。
“誘拐”の首謀者と、銀髪の男と、わたし。
“誘拐”の首謀者は、なんとこの国の王だという。そして銀髪の男は神官であると。
王は言った。この世界はとても不安定だと。
世界に満ちる力の均衡が狂えば、世界は崩壊へと突き進む。
それを防ぐために、均衡を保つべく、要となる人間を他の世界から呼び寄せる。
呼ぶための力を持つのは、神殿の総本山がある、この国の神官だけであるらしい。
俄かには信じがたい話に口を引き結び彼らを見れば。
「確かに、君にとって信じられない話だろう。でも私たちにはきみが必要なんだ。力を貸して欲しい」
じっと目を見つめて真剣な面持ちで頼みこまれても、感じるのは戸惑いでしかなかった。
頭に浮かぶのは何故、という疑問。
大きな手に両手を取られ、握りこまれていても……確かに体温は伝わるのに、やはり現実味は、薄い。
いまだ、これは夢ではないのかと疑い、そして望む気持ちがあるからだ。
「……あの、手を……」
放して下さいと続ける前に、自分の声は刺すような声音に遮られた。
「みだりに女性に触れるものではありませんよ。王妃様に言いつけましょうか」
それは勘弁してくれと王は言い、あっさりとわたしの手を放した。
神官は感情の読めない声で続けた。
「彼女をここに呼んだ時点で、かなり状況は好転しています。ここに居てくれさえすれば、あとはどうとでもなりますよ」
「だが、それじゃ事態を収めるのに時間がかかるだろう。本来なら彼女にも一緒に行ってもらわないと、均衡を保つのが難しいんじゃないか?」
このとき、わたしには彼らの話の内容がさっぱりわからなかったが。
あとで聞いたことによれば、この世界には各地の要所に、特別な神殿が置かれているのだ。
そこを訪れることが、均衡を保つには必要なことらしかった。
それを省略しようとしたのだから、王が驚くのも当然だったのだろう。
神官は冷笑を浮かべてわたしを見た。
「そのような見苦しい人間を連れて行ったのでは、どんな騒動を起こすことやら。それくらいなら私が骨を折ったほうがましというものでしょう」
先程もさっそく騒ぎを起こしていましたしね、私は面倒事は御免ですよ。事が落ち着くまで神殿の奥にでも閉じこもっていただきましょう。
「勝手なこと言わないでください……!」
あまりの言われように怒りで身体が震えてくる。
「そうだぞ、その言い方はないだろう。それに彼女にも各地を巡ってもらわないと、結局困るのはお前だろう。彼女も各地を巡ってくれれば、帰るまでにかかる時間も短くて済むんだから」
王の言葉に、怒りも忘れ瞬きを繰り返した。
王は“帰るまで”と言った。
「あの、わたしはもとの所へ帰れるんですか?」
すると、当然だと王は頷いた。
「ああ、勿論。ちゃんと帰す方法はある。きみが協力してくれればその分早く帰せるんだが……」
「……わかりました」
ここでぶつけられた言葉と投げられた視線と……わたしが感じた苛立ちや怒り。
それらが頭の中で渦巻いたが、しばらく逡巡したあと、そう答えるよりわたしに道はなかった。
帰れるという言葉がどこまで信用できるかわからない。
それでも、わたしはその言葉に縋るしかなかったのだ。
王は安心したように笑い、神官は苦い顔つきでわたしを見ていた。
彼の青い目に浮かぶ光の意味がわからない。
何故そんな目で見るのだろう。凍るような何かを探るような視線に耐えられず、わたしは視線をそらした。