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光の定刻  作者: 笹舟
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光の定刻【前】


 この公園を突っ切ると、家までの距離が大幅に短縮される。

 そのため、下校時の三嶋はいつもここを通っている。三嶋の足が向かう先、公園に点在する花壇の一つに腰掛けていた柳井が、こちらに気付いて眼を細めた。


「あ、新しいマフラーだ。もしかして誰かから貰ったとか?」

「残念ながら。母さんが買ってきてくれたんだよ、体調崩すといけないってさ」


 似合ってるじゃん、と柳井が笑い、元がいいからな、と三嶋も返した。

 柳井の隣、冷たいレンガに腰を下ろす。今月になって風にも冷たさを感じるようになってきた。ふるりと身体を震わせて、三嶋は前かがみに縮こまる。


「それにしても、ほんといきなり寒くなったよな」

「あー、三嶋は寒がりなんだ。あはは。それっぽい、それっぽい」


 ジャージ姿の男性が、こちらを怪訝そうに見やりながら走っていった。この寒空の下で雑談をするということが理解出来ないのかもしれない。去っていく男性の腰で跳ねるウエストポーチを眺めている柳井に、お前は寒くないかと尋ねる。


「前は秋と冬の変わり目になると必ず風邪ひいてたけどね」


 鼻をすする三嶋を笑い、今はもう平気と柳井は頷いた。


 推薦入試で大学の合格が決まってから、三嶋の中で張り詰めていたものが緩んだ。しかしクラスには未だ進路が確定していない生徒も多い。三嶋が一人浮かれていることは出来なかった。嬉しいのだけど、どこか気が抜けてしまった日々の中、三嶋が柳井と知り合ったのは二週間ほど前のことだ。

 枯れた植物が放ったらかしの花壇に腰掛け、何をしているでもない様子の柳井を、不思議に思って通りすがりに横目で見た。その時に偶然眼が合い、互いに照れるような笑みを浮かべると、次の日からは自然と会話をするようになっていた。自分も受験生だったという制服姿の柳井に進路は決まっているのかと尋ねれば、彼は何も言わずに笑みを浮かべて頷いた。


 手に息を吐きかける三嶋の隣で、柳井は両手を前に伸ばして空を仰ぐ。


「空はまだこんなに青いのに、それでも寒いってずるくない?」


 吐き出された言葉の内容はいつものように唐突なものだった。

 

 知り合ってからというもの、二人は互いの素性よりむしろ、ふとした疑問や今までしていた勘違いなど、どうでもいいような内容の話で盛り上がってきた。三嶋は未だに柳井の通っている学校さえ知らないし、柳井も三嶋が住んでいる地区さえ知らない。けれど、三嶋は柳井が本屋のレジでは必ず本にカバーをかけてもらうことを知っているし、柳井は三嶋が、煎餅は砕いてから食べるということを知っている。そして三嶋は、そんな少し妙な柳井との関係を至極気に入っていた。


「さっき寒いのは平気って言ったのは嘘なのか?」

「それとはまた別。だってほら、上だけ見てるとぽかぽかしてそう。なのに地上はそれに反して……、三嶋、寒いんでしょ? これはずるい、上下ちぐはぐだ」


 空を見上げたまま、視覚的裏切りだよと続けられる柳井の文句に、頭にぼんやりと何かが浮かんだ。既視感に似たその感じに眉を寄せる。


「あ、あれみたい、マグリットのやつ」


 柳井の何気ない言葉に、あぁそれだと三嶋はひとり納得した。 その絵は中学の時の美術教材に載っていた。一見するとただの穏やかな風景画のようで、しかしそれに気付けば絵に対する感想はがらりと変わる、どうにも不思議な絵だ。


「上が昼で、下が夜の絵だろ。そういえば今の感じ、ちょっと似てるよな」

 

 地ではぽつぽつと街灯が灯されているが、空にはまだ青に映える白い雲が浮かんでいる。この僅かな時間帯の光景は、あの絵を切り取って貼り付けたかのようにも思えた。


 視線を空から戻した柳井が驚いたように笑った。予想外にも話が通じたというような笑い方だった。確かに実際のところは、画集を見るのが好きだという柳井と違い、数年前に担当教員の話を聞きながら教材に目を通していなければ知らないままでいたであろうものだが。馬鹿にしてただろと拗ねて見せれば、いやいやそんなとますます笑う。


「それより、ずるいっていうなら俺は校長室の暖房の方がずるいと思う。まだ教室の暖房はついてないのに、あっちは今月入る前からついてて」

「で、暖かいお茶でも飲んでるんだよね。確かにずるいよ」


 再び鼻をすすった三嶋の隣で、自分の手をぐーぱーしながら柳井もうんうんと強く調子で首を縦に振る。


 頷きあったり、時には反論したりして、今日も話題に花が咲く。

 ちょっといいことをしただけで良い人に見える不良もずるい。風邪を引いた時に見る健康な人には恨めしささえ感じてしまう。クイズ番組で答えの前に挟まれるCMはあざとすぎる。知り合ったのは最近だというのが自分でも不思議なほどに、柳井との会話はいつも弾む。


「えー、でも三嶋のそれは八つ当たりじゃない?」

「だったら柳井の『自分が貰い損ねた配布ティッシュを受け取った後続の人』ってのも、ずるいの先としては的外れだろ」

「だってポケットティッシュは大事でしょ。我が手に得られるはずだったものがちょっとしたタイミングのミスで他人に流れてしまった時の怒りたるや!」

「厳かに言ったところで内容はみみっちぃままだぞ」

「ふん。いくらみみっちくてもね、ずるいって気持ちもつもり積もれば怨念になるんだよ」

「お前、死んでから全国何ヶ所に出没するつもりだよ」


 その程度でも化けて出るほどの未練なのか、と三嶋は笑った。

 二人の間に言葉が途切れることは無く、次から次へといくらでも続く。


「そういや桂馬もずるいな。あの駒の動きのせいで投了するのは、ほんと悔しい」

「へえ。三嶋、将棋のルール分かるんだ?」


 意外だと眼を見張った相手に、やっぱり馬鹿にしてただろとじろりと目線を向けてやる。いやいやまさかと笑う柳井に、わざとらしく溜息を吐いてみせた。

 

 そもそも将棋に取り組んでいたのは兄だった。高校時代、将棋好きの友人に触発された兄は、使われていなかった将棋台を物置から引っ張り出してきた。そして友人に借りたという指導書を読みながら一人で将棋の勉強を始めたのだ。 

 三嶋はそれを呆れながら傍観していただけだったが、やがてルールを覚えて対戦相手が欲しくなったらしい兄に半ば無理やり教えられ、結局対戦らしい対戦も出来るまでにはなった。元々ルールを知っていた父も巻き込み、一時は三人でトーナメント試合もした。駒の動かし方さえ知らないのに、母はそれを横から面白そうに見ていた。

 そんな懐かしい話をすると、柳井は俯いたまま、いいねぇ、としみじみ零した。


「受験生になるまでは、たまに僕も妹とゲーム対戦したりしてたんだけどね」

「いや、でも、俺ももう将棋なんて随分やってないぞ。高校卒業してすぐ兄貴は県外に就職したし、兄貴が一人暮らしで家出てからは、父さんともやってないしな」

 

 それに多分、今後もしばらくは家族内で将棋をすることも無いだろうと、声には出さなかったが三嶋は思った。


 あたりが本格的に真っ暗になる前に、いつも柳井が腰をあげる。最近は物騒だからねという柳井に合わせて三嶋も立ち上がり、別れの挨拶をする。


「柳井もルール分かるなら、今度、将棋の対戦しようぜ」


 最後にかけた言葉に、ルールは分かるよと柳井は笑っていた。


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