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「悪役令嬢のくせに」と断罪されていた私ですが、攻略対象の外にいた騎士団長から正式に婚約を申し込まれました

掲載日:2026/03/19

私の噂は、だいたい三種類に分かれていた。

 一つ目は、乙女ゲームの悪役令嬢のようにヒロインを虐めている、というもの。二つ目は、攻略対象たちを手当たり次第に誑かしている、というもの。そして三つ目は、いずれ王太子殿下の婚約者候補からも外され、惨めに追放されるだろう、というものだった。

 どれも外れている。そもそも私は、攻略対象と呼ばれている殿方たちに一切興味がない。王立学院の廊下を歩いているだけで、向こうが勝手に噂の中心人物に仕立て上げてくるのだ。


「ルシアナ様、またアンネローゼ様を泣かせたそうですね」


 朝一番、教室に入るなりクラスメイトがそう言った。


 私は机に鞄を置きながら、視線だけを向ける。


「泣かせたのではなく、泣いたのでしょう。違いは大きいわ」


「でも、庭園で言い争っていたと……」


「言い争っていないわ。彼女が温室の鍵を無断で持ち出して、希少種の苗を日向に並べていたから、枯れると伝えただけ」


 実際、その日の午後には半分以上が萎れていた。けれど誰も、そこは気にしない。重要なのは、庶民出身で愛らしいアンネローゼ嬢が、侯爵令嬢である私の前で目を潤ませていた、という見た目だけなのだ。

 そして彼女の周囲には、決まって攻略対象と噂される面々が集まっている。


 第一王子。宰相子息。近衛騎士隊の若き副官。魔術科主席。華やかで、目立って、いかにも物語の中心に置かれそうな顔ぶれだ。

 私はその輪を見て、いつも思う。ああ、面倒くさい、と。


 しかも厄介なのは、彼らが自分たちのいる場所を「正しい物語の中心」だと本気で信じていることだった。

 アンネローゼ嬢が困った顔をすれば助ける。私が眉をひそめれば意地悪だと決めつける。彼らの中では、その単純な図式だけで十分に筋が通っているらしい。

 だから温室の件だけでは終わらない。

 先月は図書館で、蔵書の貸し出し札を戻さずに積み上げていたアンネローゼ嬢へ「次の利用者が困るわ」と言っただけで、魔術科主席から「彼女は慣れていないだけだ」と諭された。

 その前は会計室で、慈善祭の寄付帳簿へ確認印もないまま数字を書き足していたのを止めたら、近衛騎士隊の副官殿に「侯爵令嬢は庶民の善意を疑うのがお好きなんだな」と笑われた。

 疑うのではない。帳尻が合わなくなるから止めるだけだ。

 だがその種の話は、いつだって最後に「ルシアナ様は怖い」「アンネローゼ様は可哀想」という感想だけを残して終わる。


 その日も昼休み、庭園の東屋で書類を広げていた私の前に、アンネローゼ嬢が現れた。


「ルシアナ様、どうしてそんなに私を嫌うのですか?」


「嫌っていないわ」


「では、なぜいつも私のすることに口を出すのです?」


「学院の温室も、予算も、管理簿も、全部『皆のもの』だからよ」


 私が答えると、彼女は目を見開いた。その反応だけで、また後ろに誰かいるのだろうと分かった。案の定、茂みの向こうから足音がした。


「ルシアナ、またアンネローゼを責めているのか」


 第一王子アレクシス殿下である。


 隣には宰相子息のエドガーもいた。揃いも揃って、噂話にぴったりの登場だ。


「責めていません。管理の話をしていただけです」


「彼女は善意で世話をしていただけだ」


「善意で枯れた苗は戻りませんわ」


 ぴしゃりと言うと、アンネローゼ嬢はまた瞳を潤ませた。すると殿下は、いかにも私が非道であるかのような顔をする。


「君は言い方というものを学ぶべきだ」


「殿下も、記録簿というものをご覧になるべきです」


 私はそう言って、東屋の机に置いていた帳簿を閉じた。


 もう十分だった。これ以上この茶番に付き合っても、得るものがない。


「失礼します」


 その場を立ち去ろうとした瞬間、背後で小さく笑う気配がした。


 振り返ると、庭園の奥の木陰に、黒い外套の男が立っていた。


 学院に常駐する王都騎士団の責任者、騎士団長のレオンハルト卿だった。


 彼は何も言わず、ただ面白くもなさそうな顔でこちらを見ている。


 私は軽く会釈だけして、そのまま去った。


 あの人は、攻略対象の輪の中にはいない。


 だから逆に、余計なことを吹き込まれることも少ないのだろう。


 とはいえ、特に関わる理由もなかった。


 少なくとも、その時までは。


     ◇


 その翌日、私は舞踏会実行委員の控室で山のような書類に埋もれていた。

 春季舞踏会は学院最大の催事で、毎年かならず誰かが「華やかさ」だけを見て裏方の手順を壊す。

 座席表、給仕動線、控室の鍵、記念品の受け渡し、寄付者名簿、警備経路。ひとつ乱れれば次の乱れを呼ぶ。

 そしてなぜか毎年、その乱れを拾い集める役目が私に落ちてくる。


「ルシアナ様、こちらの席次ですが」


 委員の一人が青ざめた顔で紙束を差し出した。

 私は受け取り、数秒で問題箇所を見つける。


「第三列中央に伯爵家が二家重なっているわ。どちらかが来た時点で揉める」


「えっ」


「それから南側通路に給仕盆の待機台を置く案は却下。踊りが終わった後の人流とぶつかる」


 委員は目を白黒させた。

 私はその反応にため息を飲み込み、赤で修正を入れる。

 面倒ではある。だが誰かが見ないと破綻する。


 ちょうどその時、控室の扉が開いた。

 入ってきたのは警備確認に来た騎士団長レオンハルト卿だった。

 舞踏会では学院外からも高位貴族が来るため、王都騎士団が警備に入る。


「失礼する」


 短い声とともに彼は室内を見渡し、机の上の配置図に目を止めた。


「南側通路を空けるよう変更したのか」


 委員が答えるより先に、私は頷く。


「舞曲終了後に東側階段から人が流れ込むので、ここへ台を置くと詰まります」


「理由は」


「昨年、同じ位置でグラスが二度落ちました。今年は来場者が増えるので、もっと悪くなるでしょう」


 彼は無言で配置図を見下ろし、ややあってから言った。


「記録を読んでいるのか」


「使えるものは何でも読みます」


「賢明だ」


 それだけ言って、彼は次の確認に移った。

 相変わらず愛想は薄い。だが少なくとも、話を途中で感情論へ変える人ではない。

 私はそれだけで十分だった。


 ところが数刻後、その修正案を見たアンネローゼ嬢が、控室の前で唇を尖らせていた。


「せっかく可愛い花台を置こうとしたのに……」


「花台は可愛くても、人が転べば終わりです」


「でも、皆さま喜ぶと思ったのです」


「喜ぶ前に怪我をなさるかもしれません」


 そのやりとりを、よりにもよって第一王子殿下が聞いていた。


「ルシアナ、もう少し柔らかく言えないのか」


「柔らかくして通路が塞がるなら、意味がありません」


 するとアンネローゼ嬢は、また傷ついた顔を作る。

 私は本当に感心してしまう。あの表情を引き出す速度だけは、きっと学院一だ。


 結局、その日も「また侯爵令嬢が庶民の工夫を潰した」という噂だけが先に広まった。

 そして後日、南側通路は予定通り混雑し、もし花台を置いていたら事故になっていたと警備側から委員会へ報告が入った。

 それでも謝る者はいない。

 正しさよりも、分かりやすい役柄の方が愛されるのだ。


     ◇


 噂が決定的な形を取ったのは、一週間後の舞踏会だった。


 アンネローゼ嬢のブローチがなくなり、なぜか私の控室の近くで見つかったのである。


 しかも彼女は、震える声でこう言った。


「きっと、私が殿下に近づくのを良く思われなかったのです……」


 呆れて、怒る気力すら湧かなかった。温室の件でも、予算帳簿の件でも、いつだって最後に悪意だけを着せられるのは私だったからだ。


 殿下たちがこちらを睨み、周囲がざわめく。


 なんと分かりやすい展開だろう。私は会場の中央で、静かに息を吐いた。


「では確認いたしましょう」


「確認だと?」


「ええ。ブローチがいつ失われ、誰が最後に触れ、どこを通って控室に至ったのか」


 殿下は眉をひそめる。


「言い逃れか」


「記録と証言の照合です」


 私は給仕長を呼び、続いて控室前の配置表を持ってこさせた。


 舞踏会の運営には毎回、私は半ば強制的に携わらされている。


 誰がどこを通り、どこに何を置いたか。その程度の記録はすぐに出せる。

 加えて私は、今年から給仕の受け渡し刻限まで一覧に起こしていた。

 どうせ「誰もそんなところは見ない」と笑われると思っていたが、こういう時に役立つからやめられない。


 数分後、会場の空気は変わった。


 アンネローゼ嬢のブローチを最後に手にしていたのは、彼女付きの侍女。


 しかも侍女は、私の控室の近くを通るどころか、逆方向の保管室に一度入っていた。


 さらに、その侍女に「こちらへ」と声をかけていた生徒がいる。


 よりにもよって、宰相子息エドガーの従妹だった。


 加えて給仕長の証言では、その従妹は私の控室近くで「ルシアナ様なら、あの辺りをお使いになるはずです」と口にしていたらしい。

 ずいぶん丁寧に、私が犯人に見える道筋を整えてくれていたものだ。


「どういうことだ」


 アレクシス殿下の声が固くなる。


 私は肩をすくめた。


「少なくとも、私が盗んだという話ではなくなりましたわね」


 アンネローゼ嬢は青ざめ、侍女は膝を折った。


 どうやら彼女なりに、私を舞踏会から排除すれば、もっと分かりやすく殿下たちの注目を得られると思ったらしい。実に短絡的だ。そして、その短絡に簡単に乗る人間が周囲に多すぎる。


「ルシアナ」


 殿下が何か言いかけた時、低い声が割り込んだ。


「ここから先は、騎士団が預かります」


 会場の端から歩み出てきたのは、レオンハルト騎士団長だった。


 彼は侍女と関係者を淡々と引き渡しの列に並ばせ、最後に私へ視線を向けた。


「見事な整理でした、侯爵令嬢」


「事実を並べただけです」


「その『だけ』ができる者は少ない」


 その言葉に、会場が妙に静まった。


 王子でも宰相子息でもない、現場の責任者の一言は重い。


 しかもその時、彼は周囲にも聞こえるような声量で続けた。


「記録を残していた者の勝ちです。印象ではなく」


 わずかな一言だった。けれど会場のざわめきは、その直後に質を変えた。

 今まで私へ向けられていた好奇と嘲りが、ようやく少しだけ別の方向を向いたのである。


 私は礼だけして、その場を離れた。


 これで少しは静かになるだろう。


 そう思ったのだが、現実はいつも半歩ずれてくる。


     ◇


 三日後、我が家に王都騎士団の使者が来た。


 朝食後の応接間で父と母が顔を見合わせ、私は嫌な予感を覚えた。


 まさか舞踏会の件で、まだ何か面倒が残っているのではないか。


 そう身構えていた私の前に差し出されたのは、分厚い封書だった。


 封蝋には王都騎士団長家の紋章。


 中を開くと、形式ばった文面が整然と並んでいる。


「……婚約の申し込み?」


 思わず声に出た。


 父が咳払いをし、母が扇で口元を隠す。


「お相手は、レオンハルト卿ですって?」


 私も同じことを聞きたい。


 さらに封書には、別紙が添えられていた。そこには実に簡潔に、こう書かれている。


『貴女は盤面の見えない者たちの中心に置かれるには惜しい。正式な手順を踏んで申し込む』


 無駄がなさすぎて、かえって目が覚めた。


「どういう意味かしら」


 母が尋ねる。


「さあ……少なくとも、戯れではなさそうです」


 形式も、言葉も、あまりに真面目だった。しかもその日の午後には、本人が訪れた。


 黒の礼装に身を包んだ騎士団長は、舞踏会の時と同じ無駄のない顔で頭を下げた。


「先日の件で、貴女が噂通りの人物ではないことは確認しました」


「確認、ですか」


「ええ。そして以前から、学院の施設管理、予算調整、催事運営の記録に何度も貴女の筆跡があった」


 私は少しだけ目を見張った。そこまで見ていたのか。


「温室の鍵の件も、舞踏会の通路変更も、寄付帳簿の差し戻しも」


 彼は指を折るでもなく、淡々と並べた。


「どれもその場では煙たがられていたが、後で記録を読むと正しかった」


「ずいぶん細かくご存じなのですね」


「警備責任者は、混乱を起こしやすい人物と、起こしにくい人物を見分ける必要がある」


 なるほど、と私は思った。

 この人は私を「気になる令嬢」として見たのではない。まず最初に、盤面を壊す者と支える者を見分ける仕事として観察していたのだ。

 だからこそ逆に信用できる。


「攻略対象と呼ばれている方々より、よほど周囲を見ていらっしゃるのですね」


「仕事です」


 即答だった。


 けれど次の一言は、少しだけ仕事の範囲をはみ出していた。


「それに、誤解されても感情で盤面を崩さない方は貴重です」


「褒め言葉として受け取ってよろしいので?」


「もちろん」


 私は紅茶を一口飲み、彼を見返した。


「それで、婚約の申し込みというのは」


「言葉通りです。私は、感情より先に判断力を信頼します」


 普通なら、もっと甘い文句を並べる場面なのだろう。けれどこの人は、そういう人ではない。だからこそ、軽く聞こえなかった。


「攻略対象のおひとりでもないのに?」


「あの輪の中に入る気はありません」


 きっぱりとした返答に、思わず笑ってしまった。


 初めてこの数か月で、心から面白いと思えた。


「では、私も確認したいことがあります」


「どうぞ」


「私は、誰かに庇われるだけの婚約者になる気はありません」


「承知しています」


「盤面が見えている方がいいのです」


「だから申し込んでいます」


 あまりにも当然のように返されて、少しだけ頬が熱くなる。その視線は最初から揺れておらず、観察の延長でここにいるのだと分かるからこそ、軽く受け流せなかった。


「それに」と彼は続けた。


「貴女は誤解されても、誤解されたまま壊れない。訂正すべき時まで記録を持って待てる」


「褒められているのか、少し判断に困りますわね」


「最上級に」


 そこで初めて、彼の口元がほんのわずかに柔らいだ。

 大げさに笑う人ではない。だからこそ、その小さな変化は妙に印象へ残る。


 母が扇の陰でそっと笑みを深め、父が咳払いの回数を増やしている気配がした。

 どうやら両親の前でこれ以上続けるのは、私だけでなく彼にも居心地が悪いらしい。


「一点だけ、確認を」


 私は姿勢を崩さずに言った。


「もし私が今後も、目立つ方より帳簿や配置図ばかり見ている婚約者であったとしても?」


「むしろ望むところです」


「可愛げがないと評されますわよ」


「可愛げで警備も運営も回りません」


 あまりにも真顔で返されて、私はとうとう笑ってしまった。

 この数か月で浴びてきたどんな甘い台詞より、その一言の方がよほど心地よい。


 可愛らしさではなく、有用さでもなく、判断の確かさを見られている。

 それがこんなに胸を軽くするとは思わなかった。


 なるほど。


 確かにこの人は、最初から盤面を見ていたらしい。


 攻略対象だの、ヒロインだの、悪役令嬢だの。


 そんな分かりやすい札の外側で。


 舞踏会の花台も、温室の苗も、寄付帳簿の数字も。

 誰も見ていないようで、ひとりだけ見ていたのだ。


 私は封書を机の上に置き、姿勢を正した。


「では、前向きに検討いたします、騎士団長閣下」


「ありがとうございます、ルシアナ嬢」


 その返事までやけに実務的で、けれど妙に嬉しかった。


 数日後、学院ではまた大騒ぎになるだろう。


 悪役令嬢が攻略対象を奪ったのではなく、攻略対象たちの外にいた騎士団長から正式に選ばれたのだから。


 実際、その予感は半日もしないうちに当たった。

 午後にはもう、学院で「騎士団長が侯爵令嬢へ求婚したらしい」という噂が走り、ついでに「アンネローゼ様がお可哀想」という的外れな同情まで添えられていると侍女が教えてくれた。

 どこまでも変わらない人たちだ。


 けれどもう、どうでもよかった。

 盤面を見誤っていたのは、最初から向こうなのだ。

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