3 半妖の“願い”
影が、ゆっくりとこちらを向いた。
真っ白な顔に、口元だけが、浮かび上がる。
「ねえ、半分妖の女の子」
ぞくり、とした。
「君も、“要らないと思ってるもの”、あるよね?」
喉がひゅっと鳴る。
「……どういう意味ですか」
「簡単だよ」
影は、階段の一段下に降りる。
それだけで、甘さが一段と濃くなる。
「“捨てられた記憶”とか。
“母親の言葉”とか。
“これから先また捨てられるかもしれないっていう怖さ”とか」
心の中身を、そのまますくい上げられたような感覚。
息が止まりそうになる。
(やめて。そこは、触らないでほしい)
「それ、本当は全部抱えて生きていくの、しんどいでしょ?」
影が、囁く。
「ボクに預けてくれたら、代わりに“願い”を叶えて上げるよ」
一歩。
また一歩。
影が近づくたびに、階段の段差が遠くなる。
「君の“お父さん”の居場所。
教えてあげようか?」
心臓が、ばくん、と跳ねた。
(――会いたい)
思ってしまった。
分かり切っていた願い。
祖父には会えない。
でも、父はどこかで生きているかもしれない。
どんな顔をしているのか
私をどう思っているのか。
知りたい。
その気持ちが、甘さに絡め取られかける。
“いらない記憶”と、“父の居場所”。
天秤にかけられたような錯覚がする。
「美千流」
名前を呼ばれて、はっとした。
朧の声は、いつもより低く、鋭い。
「考えるな」
「……別に、願うなんて――」
「嘘だな」
一瞬で断ち切られる。
「お前の霊気は分かりやすい。
“欲”に揺れた瞬間、霊気が甘く濁る」
「……味見しないでください」
思わず反射で返してしまうけど、足はもう一段上がりかけていた。
その瞬間。
がしっ。
手首を掴まれた。
「っ……!」
強く、でも乱暴じゃない力で、ぐい、っと引き寄せられる。
気づけば私は、朧の胸元に抱き寄せられていた。
間近で見る氷色の瞳は、怒りと焦りで細められている。
「言ったはずだ」
朧の声は、低く、震えていた。
「ここで、何も願うなと」
「で、でも……」
「“でも”ではない」
掴まれた手首が、少し痛い。
でも、その痛みのおかげで、さっきまでの甘い霧が少し晴れた。
「ボクは、ただの階段だよ?」
影が、くすくすと笑う。
「“捨てたい”って言ってたものを預かってあげて、代わりにほんの少しだけ“叶えた現実”をあげるだけ」
「その“捨てたい”が、どれほど大事かも分からん子どもたちからか」
朧の声が、氷の刃みたいに冷える。
「お前のやっていることは、“甘く装った収奪”だ」
「収奪なんて難しい言葉、この学校では習わないよ」
「皮肉だ」
朧は一段、階段を上がる。
影との距離が縮まる。
「……ねえ、半分妖の子」
影は、まだ私を見ていた。
「君は、本当はわかってるでしょ?」
その声は、妙に優しい。
「“捨てたい”って思ったものも、本当は捨てたくないってこと」
喉の奥に、何かがつかえた。
「だったらさ」
影が、手を差し出す。
「“捨てない”って選択をした君は、ボクは何もしてあげられない」
甘さから、ざらつきが抜けていく。
それは、寂しそうな声だった。
「それでも、願わない?」
階段の上で問われているのは、ただの怪談の選択肢じゃない。
“自分がどう生きたいか”という、もっと厄介なものだ。
私は、ゆっくり息を吸い込んだ。
「……はい」
自分でも驚くほど、声ははっきり出た。
「わたしは、何も預けません。願いもしません」
影が、わずかに目を細めたように見えた。
「……そっか」
次の瞬間。
朧の影が、一気に広がった。
階段の隙間からあふれ出た黒が、踊り場の床を覆う。
壁を這い、天井を染めていく。
「な――」
影の声に、初めて焦りが混ざった。
「やめて。
ボク、まだ……
あの子たちの願い、叶え終わってないのに」
「叶える必要はない」
朧の声は淡々としている。
「“叶えてもらえなかったあと”を人間は自分で生きるしかない。
それが本来の在り方だ」
黒が、さらに濃くなる。
踊り場の甘さが、少しずつ剝がれていく。
影が、最後にもう一度だけ私を見た。
「……ねえ」
一瞬だけ、輪郭が柔らかくなった気がした。
「君が“捨てない”ってきめたそれ、すごく重くて、すごく綺麗だよ」
「……そう、ですかね」
「うん。
だから、ちゃんと自分で持っててね」
その言葉とともに、影は黒に飲み込まれた。
ぱん、と小さな音がする。
甘い匂いが、綿あめみたいにしぼんでいった。
気が付けば、踊り場はただのコンクリートの空間に戻っている。
案内板は静かに壁に掛かり、蛍光灯は、何事もなかったみたいに白い光を落としていた。
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