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2 “願い”の溜まる踊り場

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北側の校舎の階段へ続く廊下は、他の場所よりもひんやりしていた。


足音が、やけに響く。


二階への途中に広めの踊り場があり、その壁には古い案内板が掛けられていた。


「……ここ?」


少女が言っていた場所だ。


女子トイレの並び。

旧図書館の近く。

“いかにもそれっぽい場所”。


生徒たちのあいだでは、この踊り場を――――

「満月の踊り場」と呼んでいるらしい。


踊り場に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


甘い。

甘すぎる。


「う……」


思わず眉をひそめる。


(……この匂い)


胸の奥が、きゅっと縮んだ。


あの子がカウンターに置いていった―――

黒く、ざらついた欠片と、同じ甘さ。


(やっぱり……)


あれは、ここから持ち帰ってしまったものだろう。


願いきれなかった感情の、行き場を失った欠片。


(綿あめ+カラメル+砂糖菓子の詰め合わせを全部一度に口の中に詰め込まれた感じ……)


「美千流」


朧の声が、少し低くなる。


「吐き気がしたらすぐ下がれ」


「大丈夫……ちょっと甘すぎるだけで」


冗談めかして返したとき――


「――来てくれたんだ」


耳の奥で、声がした。



男とも女ともつかない、年齢不詳の声。


それは廊下のどこからでもなく、“心のすぐそば”から聞こえてくる。


踊り場の中央、蛍光灯の下に、影が立ち上がった。


学生服のような輪郭。

背丈は中学生から高校生くらい。

顔だけが白くぼやけていて、目や口ははっきり見えない。


でも“笑っている”のが分かる。


「やっと来たね、“よく見える子”」


私を、まっすぐ指さしているのが分かった。


「やっぱり、君、他の子たちより“味が濃い”」


背筋がひんやりとした。


(……バレてる)


見えること。

味が分かること。


「お前が、“願いを叶えている”存在か」


朧が前に出た。


影の視線が、朧に移る。


一瞬で、空気の甘さがざらついた。


「へえ。妖、か」


影が首を傾げる。


「ここまで濃いのは久しぶりだな。

よく人間の学校なんかに来たね」


「仕事だ」


「つまんない答えだね」


影は、ひとりでにくすくす笑う。


その笑い声と一緒に、階段の壁に貼られた「避難経路図」がカタカタと揺れた。


「ボクは―――」


影が、踊り場の床に足を伸ばす。


「人間たちがそう呼ぶなら、『満月の踊り場』かな」


「ここに立つ人たちの“願い”が、一番こぼれやすい場所だから」


コンクリートの段差が、ほんの僅かに呼吸しているように見えた。


「ここに登る人たちの“願い”を聞いて、叶えてあげる役目の階段」


「願いの対価に、何を取っている」


朧の声が冷える。


影は、あっさり答えた。


「最初はね、小さいものだけだったんだ。

“今日だけ嫌なことを忘れたい”とか、“ちょっとだけゆっくり寝たい”とか」


影の足元に、薄い光の粒が集まる。


「そういうのを、“いらない”って言った子から少しだけもらって、その分、“叶う現実”をあげてた」


「……“いらない”と決めたのは」


「もちろん、その子たちだよ?」


影は、楽しげに首を揺らす。


「“こんな感情、持ってても意味ないから要らない”、“叶わない夢なら、いっそ捨てたい”ボクはただ、“そう言った部分”を片づけてあげただけ」


(片づけ、ね)


胸の奥が、じわりと冷える。


片づける。

捨てる。

なかったことにする。


それは、一番楽な選択だから。


「でも、人はね、すぐ慣れるんだ」


影の輪郭が、少しずつ大きくなっていく。


「一回叶うと、“もう一回”って言いに来る。

願いを叶えて、その代わりにちょっとだけ“何か”をもらうことに、段々怖さを感じなくなってくる」


甘い匂いが、粘つきを増す。


「だからボクも、最初より“ちょっとだけ大きいもの”をもらうようになった」


影は、楽し気に指を折った。


「“本当に好きだったことへの情熱”とか。

“自分を守るための怖さ”とか。

“誰かを大事に思う心の一部”とか」


胃がきゅっと縮む。


(それ、“いらない”ものじゃない)


本当にそれがなくてもよかったのか。

それは、“いらない”と決めていい類のものなのか。


「それを、“捨てたいって言ったのはあの子たちなんだよ”って言える?」


自分の胸の奥に、問いが刺さる。

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