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最期の電話

作者: 小雨川蛙

 

 時刻は18時47分だった。

 十月の後半ともなれば夜は重く、寒い。

 部屋の中を照らす明かりもどこか寂しいと感じる、そんな時。


「ありゃ」


 スマホの画面に映し出されたぬいぐるみのアイコン。

 十年近くも前にデートをした時に二人で買ったお揃いのもの。

 着信音は鳴らなかった。

 仕事終わりに直すのが面倒な性格だから、スマホはいつだってバイブで固定。

 君とは大違い。


「や。久しぶり」

「久しぶり。ごめんね。こんな時間に」

「こんな時間って。19時じゃん」

「19時じゃないよ。まだ」


 昔の恋人。

 今は友達。

 そして、今も昔も変わらない同類。


 電話の向こうからは何も聞こえない。

 私の部屋のテレビから流れる音は君に届いているだろうか。


 テレビを消す。

 ぷつんとロープが切れるみたいに呆気なく訪れる静寂。

 変化の余韻が肌をぴりつかせる中、君の声が聞こえた。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 二秒間の沈黙を君は破った。

 だけど、それで終わってしまう。

 昔から変わらないなぁ。


 ふふっと声に出して笑うと電話の向こうで布が擦れる音がした。

 布団に包まっているのだろうか。


 仕方ないね。

 どちらかが立ち止まったなら、どちらかが手を差し出すのが私達のルールだし。

 だから、聞いてあげる。


「死ぬんだ?」

「うん」


 質問の答えは予想通り。

 いつもと違うのは決意の色だけ。


「私達、まだ二十五だよ?」

「そうだね」

「楽しい事。これからあるかもしれないよ?」


 吹き出す音がした。

 君の癖だ。

 普段は仏頂面しているのに笑う時だけは勢いがいい。


「あると思うの?」

「ううん。思わない」

「それなのに生きるんだ」

「生きてるからねえ」


 普段通りの会話が心地良い。

 これが最後になるなんて思わないし思いたくもない。

 だけど、不思議と分かるもんなんだな。

 これでおしまいなんだって。


「あー、もう。死にたくないなぁ」

「じゃ、死ななきゃいいじゃん」

「ごめん。無理」


 私の家と君の家の距離はあまり遠くない。

 色々加味したところで精々が一時間半。

 シャワーを浴びて、お化粧もして、一緒に食べるお菓子を買いにコンビニに寄って……そんなことをしたって二時間もかからない。

 今すぐに飛び出せばもしかしたら一時間も切るかも。


 だけど、行かない。

 行ってやらない。

 だって、君が無理して生きているのは同類である私が一番よく知っているから。


「死んだら泣いてくれる?」

「そりゃ泣くよ」


 なんなら今だって少し泣いているよ。


「線香あげてくれる?」

「気が向いたらかな。だって、死後の世界なんて信じてないし」

「そっか。それじゃ、本当にお別れだ」

「そだね」


 止める言葉が浮かばない。

 だけど止める気持ちを抑えている。

 きっと、ずっと後悔するだろうなぁって確信もある。


 だけど。

 後悔するのは私だけだ。

 だから、これが一番正しいんだって分かる。


 ううん。

 確信がある。


「で、どうやって死ぬの?」

「秘密。見てからのお楽しみ」

「はいはい」


 あー。

 本当に普段通りの会話だなって思った。

 きっと、この日のことを私は生涯後悔することになるんだろうなって確信があった。


 だけど。

 同類として私は――。



 *



 他愛のない話が続いた。

 続いたけれど、終わった。


「それじゃ」


 君の言葉に私の返事が少しだけ遅れる。


「ん」

「ありがとう」


 君の感謝に私の気持ちが追い付かない。


「どういたしまして」


 響く機械音。

 テレビを消した時と同じだ。

 急な変化に肌がついていかない。


 電話を掛け直そう。

 そう思ったけれど、指は動かなかった。


「死なないで」


 心の全てを口にした言葉は今までに見たことも聞いたこともないほどに作り話染みていた。


 テレビを点ける。


 響くバラエティの笑い声。

 胸が驚く。


 真っ暗だった液晶に浮かぶ刺激色。

 脳が痛む。


 目を閉じる。

 暗くなった世界で虫の鳴き声が聞こえた。


 あぁ。

 十月が終わるのだ。


 小さな予感と共に私は強く、強く息を吐いた。

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― 新着の感想 ―
 淡々としてるようで、全然淡々としていない雰囲気がすごく良かったです。  ぷつんとロープが切れるみたいに  この一文が自殺を予感させて特に好きです。  ありがとうございました。  
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