72
私は学校を飛び出して、ひたすら目的もなく歩き続けた。
莉子に託された思いを無下にしてしまったような罪悪感を抱く。……私も大概臆病者だ。
それに、どうせもうすぐここから離れるのだ。大切な人は作らない方がいい。
私は自分にそう言い聞かせる。それでも、棘が刺さった心は癒えることはない。心の傷は目に見えないから本当に厄介だ。
「まって、まつりん」
早足で歩く私を止めるように手を握られた。私は立ち止って、手を掴んでいる女子生徒へと目を向けた。
全力で追いかけて来てくれたのだと分かるぐらい、彼女は息を切らしている。
「宮川さん」
彼女は息を整えながら「徹とちゃんと話して」と言葉にする。
どうして彼女が私を追いかけて、谷沢くんはいないのだろう。やっぱり、期待しない方がいい。期待すれば傷つくのだ。
そんな私を察したのか「違うの、徹は」と言いかけた宮川さんの言葉を遮るように私は声を発した。
「もういいの。何も信じたくない」
陰鬱な女になりたくない。……けど、もう疲れてしまった。
「ダメだよ、まつりん」
そんな私を宮川さんは必死に否定する。俯こうとした私の肩を両手で掴み、私の目をしっかりと見る。
「逃げちゃだめ。その方が辛いから」
「……逃げることが正解な時もある。私はもう道を間違えないから」
「まだこの世界はまつりんの味方だから。お願い、ちゃんと徹と話し合って」
「じゃあ、私が世界を敵に回す」
私は真剣に私と向かってくれている宮川さんを馬鹿にするように笑みを浮かべた。それでも彼女は「そんなの私が許さない」と折れない。
「あの時、カラオケボックスで助けてもらった時、この世界も捨てたもんじゃないって思わなかった?」
清一という男子大学生を思い出す。
「あの人はヒーローだから」
はっきりとした声で彼女はそう言った。
彼のおかげで、確かにこの世界も悪くないかもしれない、と少し思えた。けれど、それとこれとは違う。恋愛は私の精神を容赦なく蝕むのだ。
こんな苦しい思いをするのならば、最初から恋など知らなければ良かった。谷沢くんと出会わなければ良かった。
「……カエル味の飴玉」
私の蚊の鳴くような声に宮川さんは反応する。
「あんなものになんて頼らないで」
彼女が私の肩を握る力が強くなる。宮川さんはカエル味の飴玉の威力を知っているのだろう。それでも、私はこの辛さから解放されたかった。
「もう、あれのせいで苦しんでいる人を見るのは嫌なの」
胸が張り裂けそうな宮川さんの表情を見ていると、何も言えなくなった。普段落ち着いている宮川さんがここまで感情的になるところを見たことがなかった。
「だから、まつりんを悲恋になんかさせない。絶対にハッピーエンド!」
彼女は優しく私に微笑んだ。その笑みは私の幸せを本当に望んでいるようだった。
私のヒーローは清一じゃない。宮川恵美だ。




