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子どもだった私には些細な苦しみにさえも耐えられなかったのだろう。すぐに楽になる方法を選んだのだ。
「好きな女の子にそんな選択をさせてしまった。俺が誰よりも島崎を優先しないといけなかったのに……」
そうやって後藤くん自分を許せずに生きてきたのだろう。
「高校はあえて別々のところに行って、それなりに恋愛して、けど、上手くいかなくて……、ずっと島崎が忘れられなかった。大学は島崎と一緒だって誰かから聞いて、チャンスだと思った。このタイミングを逃すわけにはいかないって。……もしかしたら、思い出してもらえるかもって愚かな希望抱いていたけど、そもそもカエル味の飴玉の呪いの解き方なんて知らねえんだよ。笑っちゃうよな」
誰にも本気にならないと思っていた後藤くんがそこまで必死だったということに私は少しだけ胸が熱くなった。
「入学式の時に失敗して、沙知と付き合った。同じバスケサークルに島崎が入ってくるなんて予想外だったよ。……沙知は俺が未だに誰かを引きずってるってことに気付いたんだろうな。しばらくして、それが島崎だと分かったんだと思う」
私は沙知を侮っていたかもしれない。沙知の観察力の鋭さがここまでとは思わなかった。常に明るくて何も考えていないと思われている子ほど周りを見ているのかもしれない。
「あと、俺もう一つ謝らないといけないことがある」
「……何?」
後藤くんの言葉に警戒してしまう。
「島崎、向日葵嫌いだろ?」
「…………うん」
「俺が嫌いにさせた。ごめん。向日葵好きの向日葵みたいな女の子だったのに、俺のせいで向日葵を見ると気持ち悪くなるようになったんだ。いくらでも殴ってくれていい。本当に悪かった」
頭を九十度に下げる後藤くんを見つめながら、当時の記憶を遡る。中学生のある時期から、私は向日葵を見る度、気分が悪くなっていた。涙が止まらなかったり、胸が尋常に締め付けられるような感覚。医者に診てもらったが、原因不明だった。
今思えば、私はそれほど後藤清一のことが好きだったのだろう。
「数年越しに原因が解明されて良かったよ」
別に向日葵を嫌いになったからと言って後藤くんを恨んだりなどしていない。むしろ、今原因を知れて良かった。これから、向日葵を好きになれるかもしれない。
怒りという感情はなく、ただ向日葵嫌いの理由が判明して良かったと心の底から思っていた。
彼はゆっくりと顔を上げ、「殴る?」と私に聞いた。
「後藤くんの自己満のために殴ってなんかあげない」
ちょっとした仕返し。これで当時の私の痛みも和らぐはず。
後藤くんの「じゃあ」と私の「その代わり」が被る。彼は口を閉ざす。
「私に向日葵をプレゼントしてね」
「……ああ、いくらでも」
彼は泣きそうな顔で嬉しそうに微笑む。ようやく、後藤清一がどういう人物なのかを知れた気がする。
「沖原と付き合ったって聞いた時、俺はもう島崎を取り戻すことを諦めたよ」
「…………諦めたんだ」
私がそう呟くと、後藤くんは「勝負に負けたから」と言葉を漏らす。
「島崎の幸せを奪いに行こうとは思わなかった。島崎には幸せでいてほしい。……俺は島崎を一度傷つけたし、きっと沙知も、他の女も傷つけてきたから、人のことを言える立場じゃねえのに、沖原には島崎を傷つけないでほしいと少しだけ牽制した」
「自分の手で私を幸せにしたいって思わなかったんだ」
意地悪なことを言ってしまう。普段ふざけたところしか見せない後藤くんがこんなにも真面目に私と向かっている。彼の新しい一面を見ることができた。……もしかしたら、かつて見ていたのかもしれないけど。
「俺が幸せにしたいと思ったのは生涯で島崎順子しかいない」
こんなにも嬉しい言葉を私は聞いたことがない。熱いものが静かに頬を伝った。
涙を流さないと決めていたのに、最高の化粧が崩れてしまっても良いと思えるぐらい私は自分の感情をこれ以上抑えることはできなかった。
「いつか、順子が俺のこと思い出すことをずっと願ってた」
…………後藤清一は私の最愛の人だったのだ。




