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カエル味のあめ玉  作者: 大木戸いずみ
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 眼鏡姿の彼女と目が合った。彼女は近くに車を止める。とりあえず、僕は助手席側の扉を開けて、島崎の車にお邪魔する。

「わざわざありがとう」

「どういたしまして」

 スウェット姿でそう微笑む島崎に癒される。この格好の島崎を見ることができるのは僕の特権なのかもしれないと思うと少し嬉しかった。

「すっぴん?」

「うん。急いで来たから……」

「可愛い」

 僕がそう言うと、彼女は「そう?」と誤魔化しつつ、頬を赤らめた。

 社交辞令などではなく、本当に可愛いと思った。化粧している時とは違った可愛さがある。少し幼くなったありのままの彼女の顔の方が好きだ。

「これ」

 さっきコンビニで買ったものを彼女に渡す。

「え、いいのに……」

「来てくれたから」

「ありがとう、嬉しい」

 彼女は本当に嬉しそうな表情をする。彼女にはずっとこの表情でいてほしい。そう心の底から思っているのに、どうして今だにさゆりに翻弄されているのだろう。

 こんな中途半端な気持ちで島崎に接するのは不誠実なのかもしれない。それでも、僕は彼女を手放す勇気などない。

「ねぇ、沖原くん」

「はい」

「好きだよ、本当に」

 迷いのないその視線に僕は思わず目を背けたくなった。

「……僕も好きだよ」

「うそつき」

 彼女はそう呟いて、僕の方へと顔を近付けた。僕の唇に彼女の唇が重なる。突然の出来事で何が起こったのか理解出来ずにいた。

 彼女は何度か僕を求めるような接吻を繰り返す。僕もそれに応えた。彼女からシャンプーの香りがした。その匂いが僕の性欲を刺激する。彼女がゆっくりと僕から唇を離す。

 まだ唇に柔らかい感触が残っている。

 順子、と彼女の名前を呼ぼうとした時だった。彼女が口を開く。

「まだ、琴、って呼んじゃだめ?」

 琴、それは呪いのような名前だった。名付け親の母がさっき死んだのだ。もう、その呪縛から解かれてもいいはずなのに……。

「琴って琴瑟相和す、って言葉からきてる?」

 ……初めて当てられた。

 僕は驚きの目を見開いて彼女を見る。彼女は「あたり?」と、はにかんだ。

 琴瑟相和す、夫婦の仲が睦まじいこと。

 母がかつて父とそうなりたかったらしい。

 母は馬鹿だ。学がない。勉強をしようとすらしてこなかった。それなのに、難しい言葉から僕の名をつけた。今思えば、それぐらい父を愛していたのだろう。

 本当に馬鹿で不器用な人だった。

「琴」

「うん」

「良い名前だね」

 そう言った島崎の声はとても優しさを帯びていた。

 彼女は「琴」と僕の名をもう一度読んだ。僕の名を呼ぶ柔らかな響きが心地よかった。僕はもう一度「うん」と返す。

「……琴には必ず幸せが訪れる。誰が何と言おうと、琴は幸せになる。……だから、生きてね」

「急にどうしたの?」

 僕は半笑いでそう言うと、彼女は胸が締め付けられたような顔で僕を見る。

「死にたそうな顔をしていたから」

「…………そうかな」

 僕は自分の感情をまだよく理解出来ていないのかもしれない。母が亡くなったことを島崎に伝えようか迷う。 

 伝えても伝えなくても、僕の気持ちは変わらない。悲しみも切なさも辛さも、何一つない。

 そんな僕を島崎は冷酷だと捉えることなく接してくれるだろう。そう分かっているのに、何故か言葉にできなかった。

「おひつじ座は貴方の味方だから」

 彼女は静かに確かな声でそう言った。

 なにかあったのか、と深く掘り下げられるより、断然僕の心の支えになる言葉だった。

「それは心強い」

 僕はそう言って笑った。

 きっと、うまく笑えていたはずだ。


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