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カエル味のあめ玉  作者: 大木戸いずみ
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 母が死んだ。

 急性アルコール中毒だ。

 救急車に運ばれて、間もなくして死亡が確認された。僕は救急車に乗らなかった。「ご家族の方ですか」と聞かれた時に「違います」と答えた。

 僕は冷血なのだろうか。一度も母を家族だなんて思ったことはない。彼女の訃報を電話で聞いた時も何も思わなかった。

 母を失った悲しみなど全くなかった。かといって、別に嬉しいわけではない。ただ虚無感が僕の中で微かに生まれた。ようやく地獄から解放されたのだと思った。

 母との生活は苦しかった。お互いに大切にしたいという思いがない中での共同生活は息苦しくてしょうがなかった。

 自殺しようとした日のことを思い出す。

 オーバードーズなどでは意識が飛ぶだけだということを知っていた。だから、確実に死のうと縄で首を吊った。首吊り自殺は穴という穴から液体が出るという。排泄物まみれになって、汚いし、臭いし……。それでも良かった。

 死んだ後の世界のことなどどうでもいい。

 そんな思いで僕は自殺を決行した。遺書は書かなかった。僕の死体そのものが遺書だという意味を込めて。

 この世に未練があるとすれば、さゆりのことだけだったが、彼女は僕のことを忘れるのだから、何一つ悔いはない。

 キリスト教では自ら命を絶つことを悪だとされている。地獄に行くらしい。天国になど行けなくていい。今の地獄から抜け出すことだけを考えた。

 それなのに、母が僕の部屋に入って来たせいで自殺は見事に失敗した。首に少し痣が残るぐらいだった。後少しで死ねた、までもいけていない。呼吸をするのが困難になったレベルだった。

 走馬灯とか、大切な人が思い浮かぶとか、な話をよく聞くが、何もなかった。ようやくこの世から去ることができるという希望に近い歓喜がそこにはあった。

 母は怒鳴りながら僕を助け、救急車を呼んだ。サイレンと赤い光を覚えている。救急車を呼ぶほど大袈裟な状態になったわけでもない。

 今まで母に殴られた方がよっぽど痛かった。それに、救急車を呼べば、虐待の痕を見られるかもしれない。やっぱり母は馬鹿なのだと思った。

 意識が薄れていた僕を物凄い形相で見ながら「あんたが自ら命を絶つなんて絶対許さないから」と言い放った。

 その意味を僕は汲み取ることができなかった。

 母は僕のことを好きではなかった。それは確かだ。あの日から、母は僕を殴ることはなくなった。ただ罵詈雑言を浴びせるだけ。

 今更、僕を愛することなどできなかったのかもしれない。僕との向き合い方を知らなかっただけなのかもしれない。

 愛し方を知らないだけの不器用な人。それを確かめるすべはもうないけれど。

…………母は、他界したのだ。

 未だに実感がない。母がいなくなった世界を体感するまで、もう少し時間がかかりそうだ。

今すぐ病院に行った方がいいのかもしれないが、そんな気にもなれなかった。

 僕は母がカウンターに置いた酒瓶をぼんやりと見つめながら、母の人生は楽しかったのだろうか、と思った。

 どれぐらい酒瓶を眺めていたのだろう。ブブッと携帯電話のバイブレーションでハッと我に返る。ロック画面に島崎の通知が来ていた。それと同時にもう日付が変わっていることに気付いた。

 今、電話できる? という通知に僕から彼女に電話を掛けた。

 気が沈んでいる時は誰かと繋がっていた方が良い。島崎を利用するかたちになったとしても、僕は僕以外の声を聞きたかった。

『もっし~』

 明るい彼女の声に「もしもし」と答える。いつもの口調だろうか、と思いながら、島崎に「どうしたの?」と聞いた。

『沖原くんの声が聞きたくて』

 彼女のその言葉が僕の胸に刺さる。

 僕は誰でも良いから声が聞きたいと思っていたが、島崎は僕の声が良かったのだ。自分の邪心を恥じる。


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