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カエル味のあめ玉  作者: 大木戸いずみ
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「ただいま」

 おかえり、と返してくれる人がいないのに、毎度家に着くなり「ただいま」と言う。

 もしかしたら、心のどこかでいつか「おかえり」と言ってくる日を待っているのかもしれない。……そんな日は絶対に来ないのに。 

 リビングに入るなり、酒臭さが僕の嗅覚を刺激した。キッチンの方で瓶ごと日本酒を口に注いでいる母を見つける。

 …………泣いていた。虚ろな目から静かに涙を流していた。

 その母を見た時に「女」と思った。今まで母ではなく女である彼女を何度も見てきたが、今日ほど彼女から「女」を感じた日はない。

 帰ってきた僕と目が合った。その瞬間、母は狂ったように僕に声を上げた。

「なんであんたが! 私の前にもう現れるじゃねえ!」

 こんなにも酔っている母は珍しい。

 母は僕を僕の父親と勘違いしているのだろうとすぐに分かった。これほどまでの憎悪と狂気を向けられる父は一体何をしたのだろう。

 母から父についてほとんど聞いたことがないし、母は話さなかった。ただ「あのクズ」とだけ呼ぶだけだった。

「お前なんかこの家に戻って来るな! あんたなんて私が殺してやる! 死んじまえ!」 

 黙って母の暴言を聞いた。

 今もなお母は僕の父親に苦しめられているのかと思うと、不憫に思えてきた。

「私の全てを捧げたのに!」

 その泣き叫ぶ言葉に僕は初めて母の痛みを知ったような気がした。

 彼女は空になった瓶を口につける。

 彼氏を作っては別れて、をいつも繰り返していた。どの彼氏とも長続きがしなかった理由は、ずっと忘れられない僕の父親に囚われているからかもしれない。

 母みたいな人のためにカエル味の飴玉が存在するのかもしれない。もし、彼女がカエル味の飴玉を食べていれば、僕にもっと優しかったのかもしれない。

 そんな「たられば」の話など考えたところで意味がない。それに、僕はカエル味の飴玉を食べればいい、とは彼女には言えない。

 あの飴玉の威力を知っているから……。

「どうして! なんで! 私と琴を捨てたのよ!」

 こんな女から逃げた父は正解だったと思っていたが、もしかしたら、違うのかもしれない。 

「あんたを殺して、私も死んでやる!」

 愛と憎しみは紙一重、とはよく言ったものだ。

 大粒の涙をひたすら流しながら、声を枯らす母をただ見守った。今までも荒れていたことは何度かあったが、自分の感情を吐露している姿は初めてだった。

「……ずっと、待ってた」

 母は疲れたのか、カウンターに酒瓶を置き、小さくそう呟いた。

 …………父を恋焦がれているせいで、僕のことが憎くて仕方がなかったのだろう。

 僕はその時、全てを理解したような気がした。母が露骨に僕を拒絶し続けた理由がようやく分かった。

「お願い、行かないで」

彼女の弱々しい声が耳に響いた瞬間、バタンッと大きな音を立てて彼女はその場に倒れた。

「母さん!」

 僕は急いで彼女の元へと駆け寄る。「母さん」と呼んだのなんていつぶりだろう。 

 ……呼吸がない。

 彼女の身体が段々冷たくなっていく。

 全身の血の気が引いた。母を抱えたまま僕は固まる。何をすべきか分かっているのに、恐怖で動けなくなってしまう。

 あれほど消えてしまえばいいのにと願っていた母がいざ死ぬのかと思うと、手が震えた。

 母ではなく、人が死んでしまうということに怯えたのかもしれない。自分の感情を上手く処理できないまま、僕はスマホを取り出す。

「きゅ、う、きゅう、しゃ、に連絡、しないと」

 慌てながらも、119と番号を押した。


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