3
「こんにちは。私のこと覚えているかな? えっと、琴くん」
突然、自分の名前を呼ばれて、反応に困ってしまう。僕が少し言葉に詰まっていると、清一が瞬時に助け舟を出してくれた。
「こいつ下の名前で呼ばれるの苦手なんだ。沖原って呼んでやって」
「あ、そうなんだ、ごめんね」
申し訳なさそうにする島崎を見て、僕も申し訳なくなってしまう。
「琴」
僕の隣で透き通った声が鮮明に響いた。心臓が止まるかと思った。
彼女が僕の名前を呼んでくれる時だけ、僕は自分の名前を好きになれた。僕を特別にしてくれるのはいつも君だったんだ。
「って名前珍しいね」
「……うん、珍しいんだ。親が馬頭琴が好きで」
「沖原くんってモンゴルの人なの?」
彼女は僕を見て、楽しそうに笑った。
……ああ、やっぱり、彼女だ。
笑い方も、話し方も。このやりとりも全く同じだ。
僕らが高校の時に初めて会った時も、この会話をした。
初対面と話す時は必ず目を逸らし、興味を持てば視線をこっちに向ける。
そんな彼女の癖をまた思い出すことになるとは……。
「え、沖原くんってモンゴルの人なの?」
島崎の驚いた声に清一が「純ジャポネーゼだよ」と突っ込む。
「沖原くんも冗談とか言うんだね」
「こいつ、普段女子と全然喋らないけど、男同士になったら結構馬鹿なことばっかり言うよ。ちなみに、親が、馬頭琴が好きっていうのも嘘だから。てか、島崎の友達の……えっと、名前は……」
「岡峰さゆり」
もう一度、僕の人生でこの名を聞くことになるとは……。
「さゆり、ちゃん」
彼女の名前に清一は少し目を丸くした。
清一は僕がさっき彼女の名前を呼んでいたこと不思議に思っているのだろう。
けど、今ここで清一は「知り合いだったのか?」なんて言葉を僕に聞いてこない。そこが、彼の賢いところだ。だからこそ、僕は彼と一緒にいる。
むやみやたらに干渉しないこの距離感が一番楽で心地いい。
「さゆりちゃんも面白いね。沖原のボケにちゃんと反応してくれるんだもん」
清一はこういう時、場を回すのが上手い。彼はさらに会話を広げていく。
「さゆりちゃんも島崎も別嬪だよな~」
「そんなこと言ってると、また沙知に怒られるよ」
「俺のことはいいんだよ」
清一は、バツが悪そうに軽く笑う。
「そう、今は後藤くんのことはどうでもいいの」
島崎の言葉に「おい」と清一はツッコむが、彼女は清一を無視して俺の方へと視線を向けた。
これほどまでに真っ直ぐ見つめられると、少し緊張する。
鳶色の大きな瞳に吸い込まれそうだった。
……こんな風に人と目を合わすのか。島崎順子が人気な理由が分かった気がする。確かに彼女は魅力的だ。
「沖原くん、彼女いる?」
「いないけど」
「私と付き合ってみない?」
島崎は口角を微かにあげて、余裕のある笑みを浮かべた。
……こんな単刀直入な告白のされ方ってあるんだ。今までにいない。新しいパターン。
それに僕は島崎とはほとんど絡んだことがない。ちゃんと話したのはこれが初めてだ。
彼女の突然の告白に清一もさゆりも目を丸くしている。もちろん、俺も目を見開いたまま、彼女を見ていた。
そもそも、島崎順子が僕を好きだという話は清一が俺のことをからかっているだけだと思っていた。