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さざなみ

 肌寒い朝を足早に掻き分ける。あの言葉から逃げるように。まだ耳の奥の方で響いている、悲しい事実。

  『青年期は、危機の時代。ですがみなさん安心してください。大人になれば、心が揺れることは少なくなり、動揺も取るに足らない問題となります。』

 授業で始めてその言葉を聞いた時、怖くなってしまった。今まで動揺と悩みを糧に生きてきたから。それを乗り越えることが人生だと思っていたから。動揺が取るに足らない存在になってしまったら、乗り越えるべき壁が無くなって、毎日がルーティンになって……。将来が怖い。

 私にはそんな生活がロボットのように思えて怖かった。


 いま、私は動揺している。そうでなければ薄暗いうちに歩かないから。そうでなければ桜も散って、花も建物もない海岸に一人で歩き出さないから。やっぱり私は動揺している。

 認めたくないのだ、いつかロボットのような無機質な人生を歩み始めることを。

 考えたくなかったのだ、すでにその一歩を踏み出している可能性を。


 頭の冷えぬまま、海岸についた。

 てくてく、てくてくと砂場に円を描いて歩いていると、ふと視線の端に、本来バス停にあるようなチープなベンチが滑り込んできた。刻印された炭酸飲料のロゴが所々剥げている。何週も回っていたはずなのに気づけ無かったのは黎明の暗さのせいだろうか。そのベンチは海岸を向いて居て、まるで朝日が昇るのを待っているかの様であった。

 座ってみると、しっとりした冷たさが腰を伝って身体全体に響く。それと同時に、じんわりと足が熱を帯びた。

さざあ、さざあ、だんだん海が遠退いて行く。海が明るくなって来る。数分後、ベンチの右端に見知らぬお爺さんが座った。

「お嬢さん、早いね。朝日を見に来たんだろう。ここからは良く見えるよ」

「……そうなんですか」

「あぁ、昔は初日の出の時なんか砂が見えない位に人間がわんさか来たもんだ。名所だったんだよ」

 へぇ、と流してしまったので会話は止まり、海から鳴る深い音に二人耳を傾けた。あのお爺さんもどうせそうなんだろう。脳みそロボット人間の一員なんだろう、と考えいた。過去の話ばっかり。話はぜんぶマイナス向き。私はロボットみたいな人間になるのがやはり怖い。もっと感じたい。生きてる実感を感じたい。楽しさを、嬉しさを、痛みを、痛烈に。切れそうなほど唇を噛んで、拳を握りしめた。手のひらに爪が食い込む。もうとっくに日は登り始めていた。

「お嬢さん、どうして下を見ているんだ。こんなに美しい朝日を見逃すと一生後悔しますぞ」

 はっと右を見るとお爺さんの顔は黄金色に輝いていて、両目はさぞ眩しそうに三日月のかたちをしている。

 

 お爺さんは、笑っていた。


 目尻いっぱいに深い皺を作り、満たされた様に暖かく微笑んでいた。その顔は何故か先程よりもずっと若く見えた。

「毎日この浜に通っていますがね、お嬢さん。私は毎朝、今日の朝日が一番美しいと思って居ます。今日もそうです。昨日体験したあの感動的な朝日とは違う。やはり今みたものが人生で一番美しいものと感じるのですよ。さあ、私はもう行きます。お嬢さんはきっと学校がおありでしょう? 今日は木曜日ですしね。貴女とこの朝日を共有できて良かった。それでは」

 私がその後、朝日を見ながら気づいたことは、あのお爺さんは「今」の話をしていたことと、私が朝日を見るまでずっと将来のことしか考えて居なかったことだった。


 ちょうどその放課後、いつも通り川沿いを歩いていると、私の前を歩く親子に気付いた。子供は幼稚園の帰りだろうか、エネルギッシュなその身体は地面がまるでトランポリンであるかの様に跳ねている。母親は子供の事を思いやってか少し左肩を下げている。数分歩くと、急にその子は空を指さしてこう言った。

「ねぇ、お母さん! おそらにくじらさんがいる!」

 興奮気味に伝えられたその言葉通り私は空を仰いだ。しかし私には空を泳ぐ鯨の姿を見ることが出来なかった。少し自分にがっかりしつつポケットへ手を入れる。指先が紙の束に触れた。はっと気付いて急いで取り出す。

「ポケット色見本」

 部活で使った物を持って帰ってきてしまった。手のなかでカサカサと音を立てるそれをじっと見詰めていると、ぼんやり今朝のお爺さんを思い出した。

「そうだ」

 ぼそっと呟いて色見本を挙げる。ぺらぺら捲って目当てのページを見つける。今、この時の空の色は、ちょうど#ec6d71、濁った朱だ。太陽から解き放たれた鮮やかな夕が感情的に瞳孔をノックしている。

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