キャンパスが赤く染まる秋
11月、すっかり紅く染まったキャンパス内を薫と紅葉が肩を並べて歩く。
「うちの大学って何も取り得が無いけど、秋のこの時期だけは綺麗よね」
紅葉は赤く色付いた木々を眺めながら、ほぅとため息をつく。
「たしかにな。まだ次の講義まで時間あるし、紅葉でも眺めながら紅茶でも飲むか?」
「良いね」
二人は自販機で熱い紅茶を買って、近くのベンチに腰掛ける。
絶好の秋晴れ、空は高く空気は澄んでどこまでも見通せるほど続いている。風は爽やかで、まるで赤く染まった葉が散らないように労わり優しくそよいでいる。
「ふう……紅葉を眺めながらの茶は最高だな」
「何よ年寄り臭いこと言って。でも同意するわ、たしかに贅沢な感じがするし」
わざわざ観光名所や山に行かなくとも、日常にだって素晴らしい景色は存在する。そんなことに気が付いて二人は言葉も忘れてしばし紅葉を眺めるのだった。
「ところでさ、この木って何の種類なのかな?」
「……お前、名前が紅葉なのに知らないのかよ?」
「名前とか関係なくない? 何よ、天才っていう名前だったら天才じゃなきゃいけないわけ?」
紅葉のように真っ赤になって怒り出す紅葉。
「悪かったよ、これはイロハモミジ、ほら、葉に七つの切れ目が入っているだろ?」
落ちている葉を手に取り紅葉に見せる薫。
「本当だ」
「昔の人はこの切れ込みの数を数えるのに、いろはにほへとって数えたんだって。そこからイロハモミジって名前が付いたらしいよ」
「へえ、何か素敵ね……あいうえおだと全然なのに、いろはにほへとっていう響きには風情があるのはなんでなんだろう?」
「たしかに、なんでなんだろうね」
二人でいろはにほへとと言いながら切込みの数を数えてみる。
「なんだか私の中の歌人が和歌を詠みたいと言ってきた!! 出来ないけど!!」
「ははは、知っているか、万葉集には紅葉について詠んだ歌が百三十八首もあるんだぞ」
「そうなんだ。例えばどんなのがあるの?」
「そうだな……我が宿に もみつ蝦手見るごとに 妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし とか有名だよ」
「……ごめん、どういう意味か教えて?」
「庭の紅葉した楓を見るたびあなたのことが気にかかり、恋しく思わない日はありません って感じかな」
「ロマンチックね。ところで、カエルデって何?」
「蝦手っていうのは、カエデの昔の言い方だね。カエルの手に似ているからそう呼んでいたんだ」
「なるほどね……あれ? でもこの歌、楓の歌だよね? 紅葉じゃないじゃん」
ぷくっと頬を膨らませる紅葉。
「いやいや紅葉と楓って同じ植物なんだよ」
「ええっ!? そうなの?」
「あくまで日本独特の文化的な分類で植物学的には同じ。英語だと全部ひっくるめてメープルになる。歌の中に、もみつって言葉があるだろ、これは葉が紅や黄色に色付くことを意味している古語で、本来は紅葉するすべてのものに使われていたのが、いつの間にか楓の中の数種類の呼び名に変わって行ったらしい」
「……いつも思うけどアンタ、本当無駄に詳しいわね。でもそれなら紅葉もメープルってことよね? この木からもメープルシロップが採れるのかな?」
甘いモノが大好きな紅葉が瞳を輝かせる。
「残念だけどこの種類は無理だね。同じ楓でもメープルシロップが採れる種類は決まっているんだ。カナダで有名なのはサトウカエデ。日本固有種でも、イタヤカエデとかウリハダカエデなんかだったら採れるけど、このキャンパスには無いね」
「そっか……残念」
落ち込む紅葉に慌てる薫。
「そうだ、ほら、前に行った駅前のカフェ、メープルシロップがたっぷりとかかったパフェ好きだったろ? 講義終わったら食べに行こうぜ。イロハモミジの花言葉は『大切な思い出』なんだし、また新しい思い出作ろうぜ」
良い笑顔で紅葉の機嫌を取ろうとする薫だったが――――
「大切な思い出……ね。駅前のカフェ、メープルシロップがたっぷりとかかったパフェ、まったく記憶に無いんですけど? どこかの誰かさんと勘違いしてません?」
ゴゴゴゴゴゴゴと音がしてきそうなほどの怒気を纏う紅葉。
「へ? あ!? あれは楓と行ったんだったっけ……ごめんごめん、でもさ、ほら、楓と紅葉は同じだろ双子なんだし――――へぶしっ!?」
言い終える前にぶん殴られる薫。
「そんなわけあるかああああ!!!」
「それで? そのカフェ楓とは何回行ったの?」
「……五回です」
土下座させられて問い詰められる薫。
「ふーん、ねえ薫、カナダの国旗になってる楓の切れ込みっていくつあるんだっけ?」
「……十です」
「じゃあ十回そのカフェに連れて行ってくれたら許してあげる。もちろん奢りだからね?」
「あの……イロハモミジにちなんで七回になったりは……?」
「しません」
なんだかんだ薫には甘い紅葉と、バイト増やさないとな、と思う薫であった。