下:契約の終わり、約束の始まり
今夜は、満月。
契約が、終わる日。
幸は離れの縁側に腰掛けて、満月を見つめながら、燕が来るのを待っていた。彼に渡せる、最後の簪を握りながら。あれから燕に高価な簪や着物を渡し続けて、幸の元には最低限の物しか残っていない。それでも出会う前よりずっと、心は満たされていた。
雲1つない空に、あの日より綺麗な満月が浮かんでいる。燕と出会う前は、1人の夜を静かに過ごす間、綺麗だと感じながら見ていたというのに。今夜のものは、憎らしく見えてしまった。
満月にならなければ良かったのに、曇り空で曖昧にしてくれれば良かったのに。
自分で勝手に決めた期限なのだ、こんな考えは間違いだろう。だがそうでも思ってないと、今の幸は身が持ちそうになかった。どうせなら1ヶ月なんか言わずに、ずっとずっとここに来てもらおうか。
ここで関係を終わらせたくない、忘れられたくない。強すぎる彼への好意が、幸の心を埋め尽くしていく。
「燕さん、こんなワガママな僕でごめんなさい。こんなにも、貴方に惚れてしまったんです。僕をこの鳥籠から、攫ってほしいと思うくらいに。どうか、この思いを持つことは・・・許してください」
幸はそっと、持っていた簪に口付けをする。彼にとっては初恋だった、何よりも特別な思いだった。誰にも話せないほど重く、そして何よりも純粋な。
こうして幸は物思いにふけていて、月夜に気を取られていて・・・離れに近付いてくる足音に、全く気付いていなかった。
バン!と大きな音を立てて、開かれた戸。主人と別の男が、ドスドスと足音を立てて幸に近寄っていくではないか。
「幸・・・貴様は今、何を呟いた?」
「・・・・・・」
普段なら辿々しくも、主人の命令には従う幸。だが今だけは、口を閉ざす。
「燕とは何者だ?ソイツに惚れただと?攫ってほしいだと?何をふざけた戯言を言っている、お前は私が買ってやったんだぞ!!」
「・・・・・・」
「おい、何か言え!正直に全てを話せ!!」
バン!!と強く戸は閉ざされた。主人の後ろには、あの時自分を追っていた酔っ払いの客人。またここに呼ばれていたのか、この酒豪め。2人の大男に囲まれて、部屋の威圧感が強い。
それでも幸は怯えない、屈しない。それどころか鋭い目つきで、彼らを睨みつけた。ここで正直に話すのは、燕を裏切るコトを意味する。自分の好きな人を守るくらい、良いじゃないか。その思いが勝ったのだ。
「・・・なんだ、その目は。お前は甘やかしすぎたようだな。私に逆らう悪い奴は、痛いお仕置きが必要だ」
ガシッと強引に腕を引かれ、床の間に投げつけられた幸。主人は胸の方を客人に見せるように、倒れる幸を拘束した。
「お前は純潔なまま飾ってやろうと思ったが、気が変わった。コイツもそれなりの男色家でな。お前を可愛がってもらうことを餌に、ウチに金を落としてくれるそうだ。ちなみに既に何人か、お前で遊びたいと申し出てる奴もいてなぁ。いやぁ、いい金のなる木になるぞ」
「・・・っ!い、嫌だ!!」
幸は必死に抵抗した。フラッシュバックされていく、幼い頃に見た行為の一瞬。襲われかけた記憶。
「いやぁ、こんなに可愛い子の初めてを貰えるとは。やはり狙ってて良かったなぁ」
下卑た笑い声をあげ、客人は幸の着ているものを剥ぎ取っていく。パニックに陥る幸の口からは、言葉にならない悲鳴が漏れていた。恐怖と気持ち悪さで、涙が止まらない。
(あぁ・・・僕は馬鹿だなぁ。こんなの、分かりきってることなのに。
踊り子として主人に買われた以上、自由がない籠の中の鳥だってことも。こうして愛でられるのが生きる意味だってことも。逆らったらこうなることも、知ってたはずなのに。
これは罰だ。そして、運命なんだ・・・)
諦めた幸は、静かに目を閉じた。
バキィ!!
幸の耳に届く、鈍くて低い、正直に言えば嫌な音。刹那、彼に触れようとしていた客人は吹き飛び、そのまま壁に激突したのだ。部屋に飾ってあった、大量の骨董品を壊しながら。「な、何だ!?」と主人が叫んだ直後、組み込まれていた幸の体は浮いていた。その影に抱きかかえられていたのだ。
幸は状況が読み込めないまま、ゆっくりと顔を上げる。ボンヤリとした視界には、満月を背に縁側に立つ、盗人・燕の姿が映されていた。顔は完全に隠れ、全身が宵闇とはいえ、この温もりは・・・間違いなく彼だ。
何かを言おうとした主人には、顔面への蹴りを入れた燕。主人は何も出来ぬまま、今度は掛け軸の方に突き飛ばされたのだった。ふぅ、と燕が息をつくと「燕さん・・・燕さん!!」と、名前を連呼しながら泣きじゃくる幸。
「危ねぇ・・・本当に間に合って良かった。コイツら、弱みを握った奴らを良いように使っては、汚れた金を生むからな」
燕はギュッと彼を抱きしめる。その熱はずっと欲しくて堪らなくて、思い焦がれていて。もっと欲しくて、彼ともっと共にいたくて・・・。幸はゆっくり・・・口を開く。
「・・・燕さん、僕を攫ってください。もう、ここにはいられません」
その言葉を待っていたのか、燕はニヤッと笑った。
「忘れたとは言わせねぇぞ。契約の終わりに“この屋敷から好きなモノ、持って行って良い”ことはな。だから持って行かせてもらう。これからは一緒だ、約束だぞ」
約束、その言葉を聞いた幸は微笑んだ。これからは上下関係などない、弱みも立場も関係ない。好きな者同士で、繋がっていられるんだ。ずっと一緒にいられる、本当の自分で。本当に好きな人と共に。
腕の中で泣き笑う幸を愛おしく思いつつ、燕は屋敷の混乱に乗じて、満月の夜へと消えていく。
ちなみに燕が客人や主人を突き飛ばした際、壊れた大量の骨董品や掛け軸。あれは主人が借金をしてまで集めていたらしく、財産の大半を占めていたそうだ。ついでに幸が消息不明となったため、彼ありきで得た関係も、全て消えたという。
数々の金銭問題が露出した上、元々危うかった財政はもはや火の車。奴らが落ちぶれるのに、そう時間はかからなかったそうだ。
●
●
●
「ちーちゃん、最近ハキハキ動けてるねぇ。少し前は寝不足そうだったけど、顔色も良さげだし。いやぁホッとしたよ」
「まぁおかげさまで・・・というか女将さん!いい加減、その呼び方はやめてくださいって」
「ハハハ!アタシは死ぬまで、この呼び名を貫いてやるからね」
小さな茶屋は、今日もそれなりに忙しかった。変な噂をするような客もおらず、明るい時間が流れている。
欠伸が減った理由、それはもう真夜中を飛ばなくなったから。あの満月の夜を最後に千鳥は、盗人・燕を捨てたのだ。忍への憧れよりも、大切なモノが出来たのだから。
「・・・で、さっちゃんとは上手くやれてるかい?」
「へ!?な、急に何を・・・」
「最近連れてきた子、そういう仲なんでしょ?あの子はちーちゃんが好きそうだからねぇ、でも結構狙われてるみたいよ」
ほらあそこ、と女将が指した先には、見習い店員として働く幸が・・・客の男に口説かれている様子が。千鳥が速攻で割って入り、幸を抱き寄せ「俺の恋人に何してんだ」状態になるのは言うまでもない。これが茶屋の新たな日常になるのは、ここだけの話。
ここは賑わう江戸の町。幸せを手に入れた盗人と踊り子は、今日も共に月を見るだろう。
fin.
読んでいただきありがとうございます!
楽しんでいただければ幸いです。
次回作は・・・絶賛作成中です。連続でボーイズラブものになる予定。