上-2:幸せな踊り子の願い
案内された幸の部屋・・・というより、離れと言った方が正しいだろう。彼はこの家の旦那にとりわけ愛されており、専用の部屋まで用意されていたのだ。
四畳半ほどの部屋は、簪やら着物やら綺麗なモノばかりで埋め尽くされていた。縁側に腰掛け見上げた空は、ぼんやり月光が見える程、薄雲になっていたようだ。
「あ、改めて・・・助けてくださり、ありがとうございます。僕は、幸と申します。あの旦那様、酔っぱらって、僕を女子だと勘違いして・・・それで、あんなことに」
「盗人にお礼なんて、変わり者だな」
「そ、それは・・・その・・・」
「まぁ、助けた俺も俺だけど。互いの利害一致だと思ってろ」
盗人でいるときは、優しさなどいらない。強く出ないと不利になると、必死に恐れられる人物を演じる燕。とはいえ、危ういのはこちらだけ。彼を取り込みつつ、この状況を乗り越えなければ。そんな燕の苦悩を知らず、踊り子の幸は嬉しそうだった。何故か、彼を見て目を輝かせているくらいに。
「・・・本当に、燕さん、なんですよね?」
「・・・?」
変な物言いに、思わず燕は反応してしまう。幸は翠玉色の瞳を見開き、燕にグッと近付いた。真正面からじっと顔を見られると、何だか変な気分になる。
「僕は、ここの主人のお気に入りの踊り子です。傷付いたり変なことを知ってはいけないと、主人からは外出を禁じられています。退屈しないようにと、主人はたくさんの飾りや書物などを置いてくれますが・・・僕は外の世界を知りません。この屋敷の中や、ここに来る人の話が、世界の全て。
要は、完璧な籠の鳥なんですよ。
ですが、その昔。ここに来る前、僕を踊り子として育ててくれた、名付け親の姉様が、こう言ったんです。
“あなたの名前は「幸」。たくさんの人に、幸せを贈るのよ”と。
この籠の中では、僅かな人にしか、幸せを贈ることが出来ません。それに、本当に幸せを必要とする人に、贈ることも出来ません。ですが・・・燕である貴方なら、それが出来るはずです!」
突然の言葉の羅列に、燕は目を丸くした。急にどうしたんだ?何を言っているんだ?と、驚くことしか出来ない。幸も一方的に話してしまったことに気付いたのか、「すみません、1人で熱くなっちゃって」と謝った。
「ここの屋敷に来る人は、皆幸せそうなんです。この中で生きられる僕は、本当に幸せな踊り子。でも外の世界では・・・僕が思っている以上に、不幸で苦しんでいる人がいる。貧しかったり、病気だったり、孤独だったり・・・そんな人たちに、僕は幸せを送りたい。
でも、この世界に閉じ込められる僕は、何も出来ない。誰か、自由に動ける人が欲しい。そんな時・・・貴方のことを知りました」
幸はスッと手を伸ばし、燕の手をギュッと握る。今までの無邪気な様子から一変して、必死の表情で、決意を込めた声で。
「自由に飛び回る燕なら、僕の元から幸せを・・・ここにある沢山の簪や着物を、本当に困っている人に届けられるはず。貴方が屋敷に侵入したことは内緒にしますし、誰にも正体を言いません。だから・・・僕のお願い、聞いてもらえませんか?」
なるほど、いわゆる鼠小僧かと燕は納得した。盗みの部分を除いた運び屋。お願いと言われているが、こちらに断る術はない。断れば自らの破滅が目に見えるからだ。
「お願いは、毎晩聞いてください」
「ま、毎晩!?」
「勿論、ずっとなんて言いません!期限は・・・」
丁度その時、薄雲は取り払われたようだ。幸はようやく顔を出した、完全な満月に目をやった。そして、呟く。
「あの月が・・・欠けて、消えて、現れて。今夜のように、再び満ちるまで」
つまり、おおよそ1ヶ月。だが毎晩活動することは、燕には未知の領域だった。正直不安しかない。難しい顔をしていたのか、幸はこう提示してくる。
「タダ働きにはさせません。このお願いを続けてもらえたら、この屋敷にある貴方が欲しいモノ、全部あげます」
「・・・良いのか?盗人にそんな条件を与えて」
「はい。僕は貴方の顔を見た以上、少し貴方に強く出られますからね」
最初の弱かった態度を忘れるくらいに、盗人相手に、幸は堂々としていた。まぁ彼が言っていることは事実だ、燕は彼の言う通りに動く他ない。忍として生き残るために、避けられない道なのだから。
「分かった。引き受ける」
「あ、ありがとうございます!」
ふと幸は、真っ白な右手の小指を出してくる。
「約束、ですよ」
ニコッとした笑みに、思わずほだされてしまいそうな燕。それでも彼は出来るだけ済ました顔で、なるべく短い指切りをしてやる。
だが、分かっている。これは約束と書いた契約だと。互いの利害一致で、お互い承諾したに過ぎない。顔を見られてしまった以上、生活や命の危機を背負っているのだ。さらなる弱みを握られないよう、注意しなければ。
こうして盗人と踊り子、2人の奇妙な関係が始まったのだった。
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「中」は明日夜に投稿する予定です。