第百四十話 孫とセイゴ
山中幸盛の孫・桃太郎は、夏休みに入ってもなかなか釣りに連れて行ってもらえないのでイライラしていたが、八月一日月曜日にやっと念願が叶い、名古屋港までセイゴ釣りに行くことになった。猛暑が続いているが、セイゴ釣りは夜釣りなので、なんとか凌げるだろうとの思惑だ。
場所は二年前に小学一年生だった桃太郎が四十センチのセイゴを釣った場所で、ここならば桃太郎の父親が仕事で行けなくても母親が知っているから、『現地集合』にすることができるという利点がある。
幸盛にとっても五月六日以来の釣行で、準備をしているうちに胸がときめいてくる。ウナギ釣りシーズンは終わっているが、居着きのウナギがいるかもしれないし、再び巨大なクロダイが釣れないとも限らない。いつ、何が起きるか分からないのが釣りなので、欲を出してサオ二本分の投げ仕掛けも用意する。シーズン中は品切れになるカメジャコも売っているはずと見越してのことだ。
桃太郎用のサオは、桃太郎の父親が中学時代に小遣いで買った二本つなぎのルアー用グラスザオが物置に無傷で残っていたので拝借することにした。浅い場所だから、ウキゴムを使っても足りるはずで、彼はまだ背が低く非力だから、この一・八メートルのサオの方が使いやすいだろう。
そして、桃太郎の母親のために、超軽量のクロダイのコスリ釣り専用竿をおよそ三十年ぶりに引っ張り出した。当時は活躍したがその後、堤防を歩き回って探る釣りは自分に向いていないと悟り、ずっと使用することのなかった竿だ。
夜のウキ釣りになるので電気ウキは必需品だが、これも二十年、三十年前に買った電気ウキが四個あったので、それぞれに新品のリチウム電池を入れて試したら全て赤く点灯したので、物持ちの良さと性能の優秀さに感動した。
幸盛が家を出たのは夕方四時半過ぎで、いつものようにコンビニでサンドイッチなどを買い、車を運転しながら腹の中に押し込む。エサ屋では、やはりカメジャコがあったので十匹と、青虫を一杯買う。
釣り場に早めに到着したので、まだ桃太郎と母親の車は来ていない。水を入れて凍らせた二リットルのペットボトルが入ったクーラーボックスと、リールなどの道具を詰めたリュックと、サオ五本と竿受け等の総重量は重いので、片道五分弱の距離を二回に分けて運ぶと汗だくになる。
しかし、堤防の階段を海に向かって下りると、堤防が西日を遮り、その影が足場のアスファルトを海面近くまで覆い、しかも風がそよいでいたので反射熱が吹き払われ、準備をしていても汗を掻かずに済むので有り難い。
サオ四本分の仕掛けを準備し終えた頃に、桃太郎とその母親がやってきた。予定ではあと一本、自分用に五・三メートルの中通しサオを使うつもりでいたが、母親の顔を見たら気が変わり、彼女には鈴をつけた投げサオ二本の見張り番を託すことにして、幸盛は超軽量のクロダイのコスリ釣り専用竿を使うことにした。
二本の投げ竿はそれぞれ二本針なので、一度にカメジャコを四匹使って大物を狙う。幸盛と桃太郎はウキ仕掛けにアオムシをつけてセイゴを狙うが、まだ明るいうちからサイズが十五センチ前後のセイゴがぼちぼち釣れるので、飽きることがない。もちろん最初の一匹が釣れた際は、
「ボーズのーがれーぇ」
とお決まりのセリフを唱える。
笑ったのは、エサをチェックするために投げサオのリールを巻くと、針にカメジャコと同じサイズの小さなハゼが釣れてきたことだ。おそらく、カニや魚が寄ってたかってカメジャコをつついていたところに急に針が動いたものだから、そのハゼのアゴに偶然針が突き刺さったものと思われる。
そして暗くなってきたので、電気ウキを点灯させる。セイゴがエサをくわえて走ると電気ウキが海中に沈み込み、赤い光が幻想的にゆらめく。この瞬間が夜のウキ釣りの醍醐味なのだ。潮は大潮の翌日の中潮だから悪くはない。この場所は、二年前に桃太郎が四十センチのセイゴを釣った実績があるので大いに期待できる。
一般的に、満潮や干潮の潮止まりに魚はよく釣れるという。この日の名古屋港の満潮は二十時三十二分だったので、なるほど八時頃から釣れる頻度が高まり、幸盛と桃太郎は交互にセイゴを釣り上げて行くが、そんな中、ついに幸盛がこの日最大の三十センチちょうどのセイゴを釣り上げた。
「くそー、次は僕の番だ」
と桃太郎は宣言したが、その十分後くらいに見事、二十七センチのセイゴを釣り上げた。
「クソー、三センチ負けたー」
と桃太郎は悔しがるが、嬉しそうでもある。
四十センチの記録更新こそならなかったものの、まずまずの釣果が得られ、九時を回ったので、幸盛は自分のサオを桃太郎に渡し、二本の投げサオから順に片付け始めた。その時、桃太郎が叫んだ。
「釣れたー、大きいよー」
幸盛は駆けつけ、メジャーでサイズを計ると三十センチちょうどだったので、桃太郎に言った。
「これで引き分けだな」