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竜狩りの物語第四十七話  コルニクスの手記


  全ての市民が外出を控え、賑わいの消えうせた街路を定期的に巡回する獣人駐留軍兵士の足音だけが壁越しに小さな震動を伴って伝わり、通り過ぎていく。


 この着替えもままならない状況に置かれて自分の身体が臭っていないか気にしつつ、シオルは詰所地下の狭い個室にてベッドに腰かけた。元々この部屋が重傷を負った自警団員のための治療室だったおかげで、消毒薬の臭いが自分の身体に染み付いてくれそうなのは現状有難かった。


 ベッド脇のテーブルには、仄かな灯りを揺らすランプの隣に小さな金籠を伏せただけの急造りのケージが置かれ、その中を今日学院から連れ帰って来たネズミが鼻をひくつかせながらウロウロしている。


 疫病感染の恐れを案じたレナルドから飼育を禁じられる可能性もあったが、シオルからこのネズミを見せられた彼は何ら渋る様子も見せなかった。いつ心変わりを見せるとも知れないお嬢様が、気を紛らわせるものがあれば良いとでもレナルドは考えたのであろうか。


 立ち上がったシオルはそっとドアの方へ近づき、外の廊下に何者の気配もないことを確かめた。改めてベッドに腰かけた彼女はケージの中に手を差し伸べ、ランプの灯りを頼りにネズミを捕まえようとした。実験用に馴らされているのか、ネズミは人の手と見るや自ら這い上ってきて、大人しく待っている。


 エサを得られることを期待しての行為であろうが、先ほど与えたパン屑は多少齧られただけで机上に散らばっているばかりであった。今日の昼にポールソンから手渡されて以来、このネズミがマトモに餌を口にしている所を見ていない。せわしなく活動する小動物にしては随分と低い食事頻度だったが、シオルの関心事は別にあった。


 ネズミの前足に巻きつけてある細長い紙片は、簡単に取れないよう糊付けされていたのか片手の指先ではなかなか外せなかった。焦れたシオルは多少力を籠めて引っ張り、思いもよらぬ容易さでネズミの前足ごと引っこ抜いてしまった。


「あっ、ごめん……」


 思わずネズミに向かって謝罪の言葉を漏らすシオル。当然ながらただのネズミが返答するわけもなく、しかし悲鳴も上げず、痛がる様子のないその小動物は何事も無かったかのように鼻周りをひくつかせながら大人しくシオルの掌に収まっていた。


 えも言えぬ不気味さを覚えつつ、さりとてこの奇妙なネズミを敢えて逃がす手もなく、シオルは急造りのケージの中にネズミを戻す。ちぎれた前足を気にする様子もなく、再び金籠の中をチョロチョロし始めるネズミをわき目に、細長い紙片の糊付けを剥がし、小さく丸めてあったそれをシオルは広げていく。


 ネズミのちぎれた前足から血が一滴も出ていないのもまた奇妙なことであったが、この細かな字の書きつけられた紙片の中に答えは示されていた。



――――――――――


 敢えて伝える必要も無いだろうが、叡智の花弁を私の研究室から持ち出し、それを用いて自律人形たちを量産し、騒動を巻き起こした者のことを私は恨んでいる。そのような人形の運用は私の意図するところでは断じて無い。


 いずれエノに世間の光が当たれば、人形を戦闘に用いることを思いつく輩が居ないなどという保障も確かに無い。が、自律人形が論理的思考や優れた分析能力を有し、平和な社会の役に立つことを先んじて私は証明しておきたかったのだ。そうなれば彼ら人形を見る人間たちの眼差しも変わるはずだった。


 叡智の花弁によって知恵を宿した人形たちが、十分に学習の機会も得られず、知性の面において人間にも劣る存在として世に知られる形となったのは、あまりに口惜しい。当然、戦闘面においては獣人に遥か及ばないだろう。彼らを用いた反乱は確実に失敗する。


 私が大本であると獣人軍に突き止められれば、処刑される恐れもある。が、私は自らの研究が葬り去られる様を黙って眺めているつもりもない。私は自律人形エノの学習実験に並行し、叡智の花弁そのものについても研究を重ねてきた。


 叡智の花弁はおそらく、周辺環境の湿度や温度に反応して発芽する種子のようなものだ。尤も、伸びてくるのは植物の芽ではなく菌糸だが。この菌糸はエノの体内で働いている通り、筋繊維のように収縮と弛緩を行うことも、また神経細胞のごとく情報伝達を行うことも出来るらしい。


 そして一般的な他の生命体と同じく、生育環境において強いストレスを感じた際、自らの生息圏を拡大し繁殖するために花弁は増殖していく。これも、私が暴行を受けた様を目撃したエノの体内にて確認済みだ。あの夜、私の研究室に踏み入って来た暴漢に今は感謝せねばなるまい。


 しかし、増殖や繁殖には一定以上の水分や栄養源を要する。これについては確認ができていないが、憶測は立てられる。一般的な菌類の生活史においては、胞子嚢を立ち上げ、胞子を散布する段階があるはずだ。


 エノの知性を支えるほどに複雑な情報伝達を担い得る菌類が、無差別に生物が吸入しかねない規模で空中に胞子を散布した場合、世界にはどれほどの影響が及ぶだろうか。そもそも、叡智の花弁は我々人間を含んだ動物の身体に、どのような影響をもたらすのか。


 当然、私はその点についても研究を行った。実験用のネズミの体内へ叡智の花弁を埋め込むと、半日ほど経ってからその個体は次第に動きが鈍り、やがて眠りについた。数日間死んだように昏睡状態が続き、一時は息絶えてしまったかとも思えたが、微かな呼吸と、一定の体温は保たれていた。


 数日後目覚めたネズミは、叡智の花弁を埋め込まれる前と変わらず活動を再開した。身体の状態を調べるため採血を試みたが、血液は一滴も出なかった。身体構造の殆どは叡智の花弁が伸ばす菌糸に置換され、外観は元来の個体と同等ながら、解剖学的には全く異なる存在へと変貌していたのだ。


 ネズミが本来の記憶を残しているかどうかは知れないし、そも自我というものを有しているかどうかあやふやな小動物のことだ。叡智の花弁を埋め込まれて目覚めた後も、「自分」として行動しているかどうかも分からない。


 だが……もはや時間が無い。私は早晩、獣人軍によって連行されるだろう。その時がいよいよ迫れば、私は叡智の花弁を飲み込むつもりだ。私の腹の中で消化されることがなければ、私もこのネズミ同様、いずれ身体を叡智の花弁によって置き換えられ、生まれ変わるだろう。


 その先、どのような命運が私を待ち構えているとも知れない。が、少なくとも生き永らえれば、私の研究の向かう末を見届けることは出来るはずだ。これは偉大な研究なのだ、我々は世に新たなる種族を生み出す瞬間に立ち会えるかもしれないのだ。


 エノは、きっと私の死を悼んで嘆くだろう。あの子の体内には、さぞや多くの叡智の花弁が増殖することだろう。ことによっては、胞子を散布する状態にまで菌糸体を成長させるかもしれない。その散布規模によっては、胞子体を吸入する生物の量によっては、世界に変革をもたらし得るだろう。


 この書きつけを読んでいる者が、私の意を汲んでくれる存在であることを祈る。ついでに親愛なるポールソン君が、このネズミを渡す相手の選択においてヘマをやらかしていないことも。


 私の技術を盗み出した学生に心からの侮蔑を込めて コルニクス


――――――――――


 偏屈な科学者らしい乱雑な字が、細かくびっしりと書きつけられた紙片から目を上げ、シオルはしばらく目頭を押さえていた。間違っても感極まって涙が流れそうになっていたわけではなく、ただただ目が疲れたのだ。


 が、彼女の鼓動は熱く、そして興奮とともに強まっていった。ここに書かれていることが正しければ、叡智の花弁は胞子を広範囲に撒き散らすまで成長する可能性があるのだ。場合によっては、全世界に胞子が降り注ぐほどに。


 そして、成長した菌糸は生物本来の神経と自身を置換する……ことによれば、これまでも数多目撃してきた事例、すなわち叡智の花弁に触れた獣人たちが理性を失ってしまう現象も、この研究成果と無関係ではあるまい。


 シオルは未だ眠りにつく様子もなくゴソゴソし続けているネズミの音を聞きつつ、寝床に潜り込んだ。が、彼女の血走った眼は冴えて、中々寝付けそうにはなかった。

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