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忘れられたころ第四十一話   悪意の礼拝

 パブロの引き起こした暴動が至る所へ波及していった街の騒々しさは礼拝所にまで届いていたが、司教は朝の礼拝を中断することなく常通りの説教を続けていた。落ち着かぬ様子の参拝者たちの中には、慌てた様子で自宅へと戻っていく者も多かったが。


 荒らされた後の商店や、街に立ち昇る黒煙を目撃してきたマディスからの報告を受けた修道士見習いたちは一様に浮足立った。聖堂に厳めしい声を響かせ続けている司教に対して中断を求めることは誰にも為し得なかったものの、彼等は掃除用具や椅子の脚など思い思いに手製の粗末な武器を持ち右往左往し始めた。


 礼拝所の裏口は早々に封鎖され、本来の閂に加えて宿舎内から運び出された椅子や机によってバリケードが築かれた……この光景はマディスにとって苦々しい過去を思い起こさせるものではあったが。


 正門についても彼らは封鎖を試みたが、それは修士クルフによって阻止された。マディスは街の様子を見に行く前に彼女へ警戒を促していたのだが、クルフに対しては十分な説得力を発揮できていなかった。


「司教が礼拝を続けておられるのです、勝手に門を閉ざすなど許されません。」


「そんなことを言ってる場合ではないでしょう、街で暴れている連中がここに押し掛けることを考えれば!」


 マディスは常々より修道士見習いとして心掛けている穏やか目の声色を演じることは忘れぬままに、多少語気を強くしてクルフに詰め寄る。が、開ききった門扉に手を掛けた彼女は頑として動かなかった。


「それに、街に混乱が起きている時こそ、私たち聖職者が礼拝所を解放せずしてどうするのです。怪我をした方が居れば、救うのが使命というものでしょう。」


「我々が怪我をさせられる側に回るだけですよ!」


 修道士見習いたちの先頭に立ったマディスはクルフと押し問答を続けながらも、その不安な視線は常に街の中心部から延びて来る街路の方へと向けられていた。暴徒たちが押し寄せてくるようであれば、その時こそクルフを力尽くで門から引きはがしてでも礼拝所を封鎖しようと考えていたのである。


 が、間もなく彼の視野内に入って来たのは意外な光景であった。手で数えられる程度の人影が、勢い無くヨタヨタと礼拝所に向かってくる。彼等は一様に傷を負い、あるいは歩くのが困難な仲間に肩を貸し、疲労困憊の体であった。マディスの視線が向いている対象に気付いたクルフも接近してくる者たちに気付き、見習いたちへ声をかける。


「ご覧なさい、救いを求めてやって来る市民たちの姿を。ここで待っていないで、いち早く手を貸しに行ってあげてください。」


「しかし、彼等が怪我をしたふりをしているだけで、略奪の機を窺っている連中だとしたら……?」


「マディス、あなたはそれでも聖職者を目指す身ですか。人間を疑う者は、修道士に相応しくありません。」


 マディスが言い返す暇もなく、クルフの言葉に推されるようにして修道士見習いの集団は怪我人たちを出迎えにぞろぞろと門を出ていく。今にも建物の陰から暴徒たちへ襲撃を呼びかけるパブロの声が響くのではないかと警戒し続けていたマディスであったが、結局何事も起きぬまま怪我人の集団は礼拝所の門をくぐった。


「クソ、痛ぇ、痛ぇよ……。」


「もう少しだ、礼拝所に着いたぞ。あぁ、ありがとう、親切な修道士さん……。」


「こちらへどうぞ。聖堂の祈祷席を片付け、怪我人の収容所としましょう。」


 修道士見習いたちも怪我人に肩を貸し、あるいは外した戸板を担架代わりにして聖堂へと次々に踏み込んでくる。ちょうど説教を終えたばかりの司教は即座に指揮を執り、てきぱきと祈祷席が片付けられて毛布が並べられた上に怪我人たちが横たわる。


「薬品の箱を、ここに。食事する気力が残っている者には、食糧を。新たな怪我人が到着した場合は迎え入れろ。全員で取り掛かれ、ぼやぼやするな。」


「はい……。」


 マディスも司教からの指示にせっつかれ、他の見習いたちの後について厨房に保管してあった食事の皿を取りに向かいかける。が、先ほどからどことなく視線が引っ掛かっていた一人の怪我人の前で彼は足を止めた。


 煤に汚れ、あちこちを擦りむいて血のにじむ手足を晒し、頭の上からすっぽりとフードを被っている痩せ型の男。彼は一度も声を発さず、また顔を上げようともしていなかったが、どことなくその仕草にはマディスも見覚えがあった。間近で観察するほどに疑惑は確信へと近づき、マディスは男のフードを掴んで一気に引き開ける。


「わわっ、いきなり何をなさるんです、修道士さん……あぁ、ペラか。」


「パブロ……!」


 フードの下から現れたのは、相変わらず不健康そうなパブロの蒼白の顔面であった。彼はしばらくニタニタと笑う口元を変えぬままにマディスから睨まれるに任せていたが、マディスの手が隠し持っているナイフへと伸びそうになった時に両手を挙げて大口を開く。


「あぁ、俺は本当に酷い目に遭わされたんだぜ、見てくれよこの傷を!街中で獣どもが暴れまわってるんだ。」


「……かすり傷だろう。大した怪我でもないのなら出ていけ、特にお前は。」


「頼むよ修道士さん、怪我だけじゃない、狂暴な動物に追いかけ回されてへとへとな上に、朝から何も食ってないんだ。」


「何をしている、マディス。他の者と共に、重傷人の手当てにまわれ。」


 司教が厳かに命令を発しながら近づいてきたため、マディスはその声に従わざるを得なかった。この場を離れていく彼を視野の端に追いつつ、パブロは司教に対しても薄い唇の端を持ち上げて見せた。


「司教さん、俺のこと、助けてくれますよね?ここに来れば、貧しく弱い俺たちも救ってもらえると聞いたんだ。」


「心配はない、我々は常に市民の味方だ。」


「よかった、よかった!この恩は一生忘れませんぜ、世間にも良い人ってのは居るもんだなぁ。」


 生まれてからというもの他人を欺いて生き続けてきたパブロであったが、目の前の司教が発する眼光には警戒せざるを得なかった。しばしの沈黙の後、司教から掛けられた言葉にはさすがの彼も即応せず一拍置き、喋る内容でボロを出さぬよう整理したのである。


「ところで、君は喋る気力を残しているのだな。差し支えなければ、街の様子を教えてもらえないだろうか?」


「いいですとも、街は大変な有様でして。暴れまわってる獣どものせいで、俺たちひ弱な人間は怯えて逃げ惑うばかり。連中が何処から来たのか見た奴はいませんが、服を着た獣が何匹かいるだけに、ありゃあ獣人どもですぜ。」


「獣人が……?いきなり動物同然に暴れ出すなどということが、あるのか?」


「さぁね、確かなのは俺も逃げ回る最中で怪我をしちまった、ってだけの話です。獣は火を恐れるもんだから、あちこちで盛んにかがり火を焚いてますがね……アイツらも今ごろ、獣どもの餌食になっちまったかもなぁ。」


 司教の目の前で、スラスラと嘘を並べ立てるパブロ。実際のところ、彼は自分の声色や表情にいかほどの説得力も期待していなかった。もとより、自分は人相が悪く他者から信頼されない存在なのである。言葉に詰まることなく虚言を続ける能力だけが取り柄であった。


 パブロの話をじっと聞き続けていた司教の背後から、女の声が呼ぶ。


「司教、市議会議員の方がお越しになりました。急ぎ、取り次いでほしいとのことです。」


「すぐに行く。クルフ、この場は任せた。」


「はい……お怪我は痛みますか?じきに、薬や包帯をこちらに揃えますからね。」


「本当に、ありがとう。さすが、聖職者の皆さんの何と優しいことだ。」

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