竜狩りの物語第三十七話 欺瞞に促される悔恨
自警団詰め所に居残っていた数少ない団員とともに団長の帰還を待ちわびていたマーカスは、叩かれた扉を開いてぎょっと目を見開いていた。
そこに立っていた一団の中にシオルやレナルドが含まれていることも確かに予想外ではあったものの、背後には敵として殲滅されているはずであった獣人兵士が引き連られていたからである。
レナルドとバルカが並んで先頭に立ち、バルカの背後にしがみつくようにシオルが俯いている。獣人兵士たちは武器を手にしていないことを示すために両手を上げたが、唯一手が塞がっていた二体は担架を支えていた。
その担架の上には一人の老人が寝かされ……彼の名がコルニクスであることをマーカスは知らなかった……老人の身体に縋りつくように、傷だらけの金属の肌をもつ人形がうつ伏せになっていた。
レナルド達の背後に並んでいるのが獣人兵士と見たマーカスは、即座に大声を出す。
「おい、全員武器を取れ!獣人が攻めて来た!」
「落ち着いてください、マーカス。こちらの兵士さん達は、我々に敵意を抱いていませんよ。」
詰め所内の自警団員たちに臨戦態勢を呼びかけ、自らも腰に下げていた戦槌を手に取ったマーカスを、レナルドは片手で制しながら詰め所内部へと入っていく。
建物の中では、獣人砦への侵攻に団長が選ばなかった理由を憶測するに難くない、髪が禿げ、顔に皺が刻まれつつあった老兵たちばかりが剣や棍棒を慌てて手に取り予想外の来訪者の方へ向き直ろうとし始めたばかりであった。
こんなにも貧弱な戦力では、片手で数えられるほどの獣人兵士によってさえも圧倒されてしまうだろう。詰め所内で待ち構えていた老兵たち自身も同じ思いだったらしく、マーカスを押しのけたレナルドの言葉に対しては一様にホッとした表情を浮かべていた。
むろん、団長であるサベイが戻って来ず、敵のはずの獣人を連れたレナルドが詰め所を訪れている状況に合点がいかないのも、引き続いて声を上げたマーカスに限った話ではなかったが。
「これはどういうことだ、レナルド。お前は何故、獣人どもと行動を共にしている。団長はどうした。」
レナルドによる返答よりも先に、彼の傍らで俯いているバルカの暗い表情がマーカスの問いに答えていた。
「繰り返しになりますが、落ち着いて聞いてください、マーカス。砦へと突入した人間の部隊は、我々以外全滅しました。獣人軍も同様に壊滅し、理性を奪われずに済んだのは、こちらの兵士さん達のみです。」
レナルドは片手を差し伸べ、連れてきた獣人兵士たちを示したが、マーカスはもはやそちらを見ていなかった。戦槌を渾身の力で振るい、詰め所の壁面へと投げつける。
木の壁を粉砕して突き刺さったそれの周囲にパラパラと埃が降ってくる音を背に、不自由な足を引きずるようにしてマーカスは詰所の奥へと姿を消した。サベイが団長に就任する前から彼のことを知っており、親交を深めていた彼が獣人へ殴り掛かる以外に唯一見出した煮えたぎる衝動の収め方であった。
同じく無念の表情を浮かべている老いた団員達を押しのけてマーカスの巨体が去っていった後、レナルドは変わらず平静さの保たれた声で団員達に告げる。
「聞き入れ難く感じる者もいるかもしれないが、彼ら獣人の兵士さん達も詰所の中に入れてもらえるでしょうか。今は亡き団長の策により、獣人は理性を失って暴れるものであるとの認識が街の市民間に広がっていますので。街路に立たせっぱなしにするわけにもいきません。」
明瞭に反対の声を上げる者は居なかったが、積極的に迎え入れようと協力する様子も見られなかった。彼らは先ほどこの場に背を向けたマーカス同様、無言のままに去っていく。結局、獣人たちが移動するには窮屈な屋内の家具を移動させたのはレナルドとバルカであった。途中からは獣人兵士たち自身が手を貸したものの。
彼らには小さすぎる椅子を踏みつぶさぬよう慎重に屋内へ入って来た獣人たちは、まずコルニクスの身柄と、それに抱き着いたエノを載せた担架をテーブルの上に降ろす。獣人砦内に備えられていた獣人用の担架は、テーブルの全面を占拠していた。
机の上に横たえられても、なおコルニクスの亡骸に絡みついてピクリとも動かないエノを横目でじろりと確認し、レナルドは獣人兵士たちに話しかける。
「さて、兵士さんたちの体格に合わせた寝床も用意してさしあげなければ。団員が一気に減ったおかげで、詰め所の中は随分と広くなってしまいましたが。」
「俺たちなら、床でも眠れる。」
ここに到着してからようやく口を開いた、数少ない獣人兵士の生き残りは低く重い声であった。かつてこの詰め所に獣人顧問として滞在していた、アーネストほどの重々しさはなかったものの。
レナルドもまた普段より幾分か低まった、しかし常の調子をさして大きく外れない声色で返す。
「そういうわけにも参りません、いつまでここで滞在いただくことになるか、分からないのですから。」
「他所の街に駐留している獣人軍司令部が、出来る限り早い判断を下すことを祈るしかない。このような状況に至っては、我ら寡兵では何ほどのことも為せぬ。」
獣人兵士の口ぶりは淡々としたものであったが、事実、この街は危機的状況に陥っていた。
人間たちの街を取り囲んでいた獣人砦は、叡智の花弁を内包した人形の影響により、もはや理性を失った獣の巣窟と化していた。自警団の戦力によっても処理し得なかった狂暴な猛獣が、やがて獣の膂力に抗うこともままならぬ貧弱な市民たちを獲物、食糧として狩りの対象に選ぶのも時間の問題である。
また、市街地の外部、未開の地より至り来る可能性のある外敵への備えも一気に失われてしまった。もはや野盗や蛮族を形成する種族はとうの昔に壊滅せられ、獣人軍による市街地の保護任務は形骸化しつつあったとはいえ、満足な防衛戦力を失ったこの街を新たに狙い始める不逞の輩が居ないとも限らない。
「近隣の街への連絡は、確かに届くのでしょうか。」
「我らの隠密部隊ならば、混乱の中においても抜け穴を用いて街から脱出しただろうが……はっきりしたことは言えない。」
事が順調に運べば、この街から脱出したと思しき獣人の隠密部隊は方々に散り、近隣の市街に駐留する他の獣人軍へ救難要請を届けるはずである。人間による反乱を把握した各地の獣人軍は、ひとつの街に駐留していた部隊とは比べ物にならぬ規模の大隊を派遣し、この街を包囲するだろう。
そうなってくれた方が良い、このままではいずれ無法地帯と化す市街地にて、無力な市民たちが脅威に晒されるばかりである……理性なき獣によっても、心なき人間によっても。獣人兵士の言葉を受け、改めて街の現状を思い返したレナルドは、小さな溜息とともにシオルへ言葉を掛ける。
「まったく、余計な事をしでかしたものですね、お嬢様。人間による統治の時代が、こうも後先考えぬクーデターによって実現するなどと考えたサベイも無謀でしたが。」
「……。」
「そうして黙っていれば、傷が自然に癒されるとでもお思いですか?状況はいよいよ悪化の一途をたどっています、お嬢様が愚行を実行へ移したが為にこの街の市民たちが残らず獣の餌と化してしまいかねない恐れにお気づきですか?」
努めて穏やかな口調を保とうとしていたレナルドであったが、シオルに詰め寄る彼の声はわずかに震え、語尾は彼の本心で擦れたように粗立っていた。椅子の上で膝を抱えていたシオルがいよいよ俯く顔を埋めて背を丸め、頭を抱えたのを庇うように割って入ったのはバルカであった。
「もうやめてやってくれ、それ以上言わなくてもシオルは分かっているだろう。」
「えぇ、それはバルカ、あなたも同じことですからね。シオルお嬢様の過ちを止めもせず、むしろ助長した。……あぁ、元を糺せばコルニクス教授ですか。」
再度、レナルドはその冷ややかな眼差しを、テーブルの上の担架に載せられっぱなしの老人の遺体に注いだ。
学院内にも賛同者を得られなかった偏屈な研究者は、その気難しい性格を示すが如く今もなお深い皺を顔じゅうに寄せていた。が、もう開くことのないであろう瞼を静かに伏せ続けているその表情は、彼の胸に言葉もなく縋りつき続けているエノへ向けた柔らかな微笑にも見えた。




