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竜狩りの物語第三十六話   仇は取れない

 弓を手にしたレナルドが先行してから、どれぐらい経っただろうか。程近くで唸り声をあげ、ウロウロと獲物を探っていた獣が徐々に静かになっていく。


 息をひそめて身を隠していた小部屋の扉を開け、バルカとエノはそっと足音を忍ばせて砦の廊下へと出た。いかに用心深く一歩を踏み出しても、中空の金属製であるエノの足裏からはカツーンと小気味良い音が響いてしまったが。


 きっ、と振り向いて睨むバルカに対し、エノは雑音交じりの声で謝罪する。


「ゴメン。」


 レナルドに率いられたバルカとエノが獣人砦へと踏み込んだのは、人形部隊を押し立てた自警団による侵攻の大部分が済んだころのことであった。既に砦内は死肉と血の臭いに満ち、叡智の花弁によって理性を奪い取られた獣人の中でも人間の力では処分され得なかった連中ばかりが涎を垂らして徘徊していた。


 そんな獣の一体に侵攻を阻まれたバルカたちは手近な部屋に身を潜めていたのだが、レナルドはそんな獣たちへの対処も既に想定していたようである。


 恐る恐る曲がり角から疎らな唸り声の聞こえてくる方を覗き込んだバルカは、獣のぱっちりと開かれた目がこちらに向けられているのを直視してしまう。それは確かに大人しく床に寝そべっていたが、口元には肉を齧り取った後と思しき白い骨が幾本も散乱していた。


「まずい、下がれ……!」


「エッ?デモ、ナニモ、シテコナイヨ。」


「完全にこっちの姿を発見されて……!……えっ、来ない?」


 細かな傷だらけになったエノの金属製の体表は、砦の薄暗がりのなかでいっそうみすぼらしく見えた。そんなエノの覗き込む先を再び確認したバルカは、獣が口から涎を垂らしたまま、ボンヤリとした顔つきで寝そべり続けるばかりであることに気づく。


 明らかにバルカたちを視認しているのだろうその目はトロンと垂れ、襲い掛かってこようとする意思は見えない。その狂暴な犬歯を覗かせる半開きの口を、時おりクチャクチャと開け閉めするばかりである。


「オナカイッパイニ、ナッタノカナ。」


「明らかに、眠そうではあるが……レナルドが、何かしたのか。」


 それでもバルカは横たわる獣に背を向けることはせず、可能な限り相手を刺激せぬよう、足音を抑えて獣の視界から逃れるように歩を進めた。エノが歩くたびに立てるカツンカツンという金属音は止めようがなかったが、背後から追ってくる気配はなかった。


「ハヤク、パパ、ミツケナキャ。ネェ、パパ、ドコニイルノ?オシエテ。」


 獣人砦の内部はそう複雑な構造ではなかったものの、初めて足を踏み入れたバルカとエノは向かうべき先が分からない。そも、レナルドがシオルを救出し、エノがコルニクスに会うことが今回の目的である。


「俺が知るもんか。」


 他の獣の気配や唸り声が無いか警戒しつつ、廊下に並ぶ扉をあてずっぽうに開けて内部を確認しながらバルカは答える。いかにエノに急かされようとも、バルカは先導するだけの情報など持っていない。


「デモ、レナルド、アンナイシテクレタヨ。」


 エノの言う通り、レナルドは砦に踏み込んだ直後から迷うことなく歩を進めていた。もとより人間の立ち入りが禁じられているはずの獣人軍の砦内部を、まるで予め知り尽くしていたかのように。


「そういえば、妙な話だな。レナルドの奴、どうして……」


「少し勉強していれば、砦という構造についてはおおよそ推測できるものですよ。」


 ちょうど扉を押し開けた隙間から一室を覗き込んでいたバルカは、唐突に背後から聞こえてきた声へ即座に応じ、警棒を構えて向き直る。彼の発した緊張感が傍らのエノにも伝わったのか、エノも武器を持たぬままに見様見真似のファイティングポーズを取る。


 いつの間にか彼の背後に立っていたレナルドは、静かに柔らかな微笑みを浮かべているばかりであったが。


「私ですよ、バルカ、そしてエノ。この先の安全を確保できたので、戻ってまいりました。」


「レナルド、どうしてそう迷いなく行動できるんだ。この砦の内部を知らないのは、俺とも同じはずだろう?」


「先ほども言ったでしょう、推測です。図面を見ずとも、獣人たちの建築様式に関する知識があれば容易いことです。」


「俺たちの居場所も、簡単に見つけて戻って来たな。」


「それは、エノさんの足音が非常によく聞こえますので。」


「ソンナニ?」


 レナルドに指摘されたエノは今さらながらに恐々と周囲を見回し始めた。金属製の脚部が立てる足音は、石造りの砦内部でよく反響し、遠くまで届いていることは確実であった。が、静まり返った砦の中で、エノの足音を聞きとがめて寄って来る獣の気配はなかった。


 一緒になって今さらながらに警戒しているバルカの生真面目な表情を前に、レナルドは小さく笑い声をあげた。


「心配ありませんよ、自警団が処理しきれなかった獣たちも、そろそろ『満足』したころでしょうし。」


「つまり、団員たちの肉を腹いっぱいに食った、ってことか。サベイ団長の反乱は、失敗したのか?」


「残念ながら自警団が犠牲を生んだのは事実ですが、失敗とも言い切れません。ついて来てください、シオルお嬢様とコルニクス教授が拘留されている牢はこちらです。」


「……パパ!パパニ、アエル!」


 小躍りするエノの脚がいよいよやかましく金属音を立ててレナルドに追従する一方、バルカは既に一定の覚悟を決めていた。レナルドによる先ほどの受け答えは、すなわち少なくない団員達が戦死したことを認めたも同然である。間もなく自分の仲間たちの骸と対面するであろうことは、バルカの想定にあった。


 が、レナルドの案内に従って地下牢へと降りていき、そこで目にした光景は彼の予想を上回る凄惨なものであった。入り口付近に転がっている大量の人形の残骸は、もはや見慣れたものではあったが。


 真っ先に目についたのは、地下区画の真ん中で腹ばいになり、しきりに舌なめずりを繰り返している一体の獣である。先ほど廊下で遭遇したものと同じく、眠気と抗うようにトロンとさせた眼差しの下、唾液をダラダラと垂れ流して寝そべっている。


 その口元から程近くに、半ば齧られた人間の頭部が転がっていた。その顔面は見る影もなく赤黒く潰れ、妙に明るい色に見える脳がこぼれ出していたが、刈り上げられた金髪が誰のものであったかはすぐに判別できた。


「サベイ……団長……!」


 周囲に散らばっている骨や、貪られて切れ切れになった死肉、骨だらけで食べにくかったのであろう指先の数を見るに、この場で獣の腹に収まったのは十人近い自警団員であろうと見える。何にせよ、獣人砦の中で今なお生き延びている自警団員がバルカ以外に存在しないことは確実であった。


 不意に殺気を漲らせ、獣の巨躯に立ち向かうにはあまりに心許ない警棒を握りしめたバルカを、レナルドの片腕が制す。


「かたき討ちですか?いけません、あの獣は見ての通り、腹が満たされて眠気に襲われている状態です。下手に刺激すべきではない。」


「けれど、団長も、皆も、アイツに!」


「あの獣を倒すことは、バルカにも私にも不可能です。しかし、達成すべき目標は確実に手の届くところにあるでしょう?」


 レナルドはもう片方の手を伸ばし、独房の一角を指し示す。その中には獣人兵士……どうにか人形の内包する叡智の花弁に触れることなく、理性を奪われずに済んだ獣人たち、そして彼に守られるように身を縮こめているシオルの姿があった。


「シオルお嬢様の救助を優先すべきです。ここで獣との戦闘を開始しては、もはや誰も助からない。」


「……分かった……。」


 気持ちの整理がついたわけではなかったが、自警団での訓練を通して叩きこまれた服従の精神は、バルカに武器を収めさせたのであった。


 独房へと近づいていったレナルドが鉄格子越しに獣人兵士と目配せし合っている様子は、俯いているバルカにも、奥で膝を抱えて震えているシオルにも見えていなかった。


 シオルは、つい先ほどまで地下牢区画一帯に響き渡っていた音……獣の牙に裂かれる自警団員たちの悲鳴はなく、獣が淡々と食事を続ける音、ベリベリと骨から皮膚や肉を剥がす音、バリボリと細かな骨をかみ砕く音……から少しでも逃れようと、独房の奥の壁に身体を押し付け、耳をふさいで震え続けていたのであった。


 黙りこくった人間と獣人たちが独房の鍵を開けている一方、エノは金属質な足音を響かせながら自らの求める相手を探して声を上げていた。


「パパ……パパ?ドコ?ヘンジ、シテ!」

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