忘れられたころ第四話 毛皮を着た先触れ
フィガロは代金を受け取りつつ梱包した商品を来客に手渡し、頭を下げて見送る。獣人たちには元来会釈するなどの挨拶を交わす習慣は無かったが、人間たちが組み上げていた社会構造へと参加する過程において自然と身に着けた身振りである。
頃合いは昼前、ルスサカの中心に広がる市場に訪れる買い物客も徐々に増えて来る時間帯である。店頭に並ぶ品を補充するために店の奥へ引っ込もうとした彼の背を、聞き慣れない機械の声が追いかける。
「すみません、店員さん。少々お時間宜しいでしょうか。」
買い物にきた客が掛けて来る言葉ではない。果たして、振り返ったフィガロが目撃したのは白と濃紺のボディを輝かせた啓蒙市民の巡査であった。同じく警邏兵の制服に身を包んだ馬面の新参画市民の姿も傍らにあった。
「なんでしょうか。」
フィガロは極力うんざりした様子を見せぬように、しかし沈んだ声色で返事をする。街の警邏隊の訪問は、市場に店を構える誰もが歓迎しないところである。かつては異種族同士であった市民たちが共同で社会を構築し始めてから数十年。かつての争いの歴史は記憶から薄れ、種族間の仲を良好に保つような政治的努力は続けられていたものの、やはり異種族は異種族である。
常時異種族同士で混成される警邏隊が姿を現した時、そこでは異種族間におけるいざこざが何らか発生しているものと見られ、厄介事を好まない大多数の市民は接近を避けるのが常であった。
「目撃情報の確認、および注意喚起に参りました。我々は行方不明者を捜索しているのですが店員さん、このような市民を見かけたことはありませんか?」
啓蒙市民である方の警邏兵が機械の片手を差し出し、掌から空中に画像を投影してフィガロに見せる。時には荒事に巻き込まれることも想定される警邏隊、その隊員として志願する啓蒙市民は身体全体がガッチリとした装甲に覆われていた。顔面部分は啓蒙市民間で流行りの表情を示すディスプレイ式ではあるが、これも状況に応じて変形するヘルメット型の頭部に保護されている。
そんな彼がゴツゴツした腕で差し出した画像にフィガロは視線を向け、かぶりを振った。
「いえ、見たことのない人です。」
「そうですか。最後に目撃されたのはこの市場なのですが、お客さんとして以外にも見かけたりは?」
「さぁ、市場は毎日大勢の人が行き来しますからね。」
仮に画像で見せられた人物が実際に来店していたとしても、いちいち客の顔を覚えている自信はフィガロに無かった。温厚そうでありながらも半開きの眠そうな眼差しが特徴的な、動物で言うなればヤギに近い顔立ちの市民の写真は引っ込められる。
「すみません、お力になれなくて。」
「いえ、お話いただきありがとうございます。あとは、こちらのポスターをお配りしておりまして。」
機械の警邏兵は身体の一部を開き、内部から文字が大きく印刷された紙を数枚取り出した。
「このところ市民の行方不明報告が立て続けに発生しております、不審な人物を目撃した際は我々へ通報を願います。」
「周囲への注意喚起、情報共有も可能な限り行ってください。皆さんのご協力が、安全な街づくりを後押しします。」
『行方不明者多発!不審人物の情報提供を!』とデカデカと書かれた文字の下には、これまでに確認された失踪者の名前が並び、通報先として街の随所にある警邏隊の詰め所の位置が示されていた。ポスターに並ぶ名前を眺めていたフィガロは、ふと気付いた点を口にする。
「これ、名前の雰囲気からするに行方不明になってるのは獣人……新参画市民ばかりなのでは?」
「あぁ、その件ですが」
フィガロの発言を遮るように食い気味に返答した警邏兵は、第三者に聞きとがめられたくない内容を喋るかのように周囲を見回して声を低める。
「はい、実際に姿を消しているのは新参画市民に限定されています。まるで、何者かに狙われているかのように。」
「礼拝所の司教が新参画市民に対する差別的な発言を行った件と時期が被ることもあり、状況はデリケートです。」
「ポスターを掲示する際は、敢えてその点に触れることの無いよう、ご配慮願います。では、我々はこれにて。」
警邏隊の2名は聞き込みを続ける必要があるためかそそくさと離れて行ったが、フィガロはしばらくその場に立ったままポスターを見つめていた。
自分の身の回りに行方不明となった知り合いは居ないものの、自分と同じ種族の市民ばかりが行方不明となっていく事態は不気味なことこの上なかった。そんな彼の沈思は背後から唐突に肩を叩いた手によって中断されることとなる。
「おいっ、フィガロ!どうしてまだ商品棚の補充が済んでいないんだ、今から客が増える時間帯だというのに。」
「すみません、先ほど警邏隊の方たちが来て、話を聞かれてたので。」
唐突にフィガロの肩を叩いたのは、彼の雇い主である店長だった。市場でそこそこ繁盛している店を切り盛りしているだけあって鋭い目つきは常に売れ筋を見誤る事が無かったが、日常で付き合いたい類の相手ではなかった。
彼の言及はいつも状況に応じ適切な内容ではあったが、事あるごとに自身の心のささくれで刺されるような粗い言葉遣いをフィガロは好いていなかった。出された指示が素直に実行されることなく、相手から何らかの説明が差し挿まれた場合は殊にその特徴が顕著となった。
「なるほど、だからウチの店の周りに客が集まっていないのか。あぁいう連中が来たら店長の俺に代われ、適当に応対してサッサと追い払うから。」
「あの、こういうポスターを渡されたんですが。」
「貼れとは言われてないんだろ?商品の宣伝以外を出してる余裕なんかない、捨ててこい。それも済んだら品出しに回れ、遅れてるんだ!」
上瞼から空に向けて吊り上がる眉のように生えた毛並みをなびかせ、大柄な身体を揺するような歩き方でノシノシと店長は事務所へ戻っていく。このような時こそ、フィガロは従順さを示すことに強い抵抗を覚えた。言いつけられた行為以上に、この現場に相応しい選択は他にない事は明らかだったのだが。かつては研究員を目指していた彼の頭脳は明晰であればあるほどに、自分自身の判断能力を必要とされない現状を的確に把握してしまうのであった。
「あの、すみません。」
「いらっしゃいませ、何にいたしましょう……」
此度は話しかけ方から明らかに来客と分かる、その声に接客用のセリフを返しながらフィガロは振り向いた。客は齢のいった小柄な男で、曲がった腰に手を当てながら商品棚をあちらこちらと物色している。それだけであればありふれた来客の姿であり、ついフィガロの警戒心が彼の耳をピンと前方へ向けてしまった原因にはなり得ない。
男が身に着けているのは、毛皮の服であった。人工毛皮ではない、本物の毛皮。
むろん、現代においても毛皮の生産は続けられている。獣人と異なって知能や社会性を持たない野生動物を狩り、職人の手によって作られる毛皮製品は高値で取引される。人間の歴史においては伝統的に行われてきた産業ゆえに廃止されることは無かったものの、同じく毛並みを持って生まれ社会生活に参加する獣人たちからは白眼視されている。
中には、自前の毛皮の上に毛皮製品を羽織ったファッションで既成観念の破壊者を気取る獣人も居ないことは無かったが。
「今晩は肉料理にしようと思っているんだが、何か付け合わせにおすすめの野菜はあるかね?」
「えぇと、本日はアスパラガスがおすすめですね。マッシュルームと一緒にソテーなど、いかがでしょう。」
とはいえ、人間たちの感覚では大して問題視されることはないのかもしれない。今日は昼近くなっても気温が大して上がらず、早春にしては肌寒い日だ。老人ということもあって、体を冷やさないように着込んできたんだろう。フィガロはそう考えることにして、努めて冷静に対応した。
「そうか、ではアスパラガスとマッシュルームを一袋ずつ包んでもらおうかね。ありがとう、親切な店員さん。」
「いえ、ただいまご用意いたします。」
腰をまげてヨタヨタと歩く男は商品に顔を向けたまま、表情に笑みを浮かべた。斜視のためか常に別方向を見つめているような右目だけが、フィガロを凝視していた。