竜狩りの物語第三十四話 戦士など居ない
獣人軍の砦が人間の街を取り囲む長城のごとく建てられているのは、人間たちを保護し、同時に管理を続ける名目ゆえであった。叡智の花弁を内包した人形たちを先頭に追い立てた、サベイ率いる人間の自警団員たちによる獣人砦への侵攻が順調であったのはその序盤に限った話である。
互いに鳴き声や体臭によってある程度離れていても情報交換が可能な獣人たちであったが、詳細な内容を伝えるにはやはり言語を用いる他になかった。そして、『人形の中身から出てくる白い綿のようなものに触れると獣人は理性を失い、動物同然の状態になってしまう』件は末端の兵士たちにまで浸透していなかった。
人間と人形による砦への侵攻を急いだサベイの判断は、正解だった。十分に情報が行き渡る前に開始された戦闘の中で獣人兵士たちは人形の群れと戦い、破砕した人形の内容物に触れて次々と理性を奪われていったのである。
人間たちに翻意ありとの警告は既に緊迫感をはらんだ遠吠えによって響き渡っていたため、彼らが決して油断していたわけではなかったのだが。
獣人砦への侵攻が進むにつれ、サベイたちの前に立ちはだかった脅威は人形への接触を徹底して避け続ける兵士のみではなかった。仮に理性を失って動物同然となろうとも、もとより人間が遥か及ばない身体能力を有している獣をその場で始末することは不可能に近かったのである。
熊のごとき巨体が錯乱のあまり暴走を始めた場合などもはや手は付けられず、砦内の扉を閉めて視線を遮りながら逃げる以外に人間たちが出来ることは無かった。暴走する動物の群れは同時に、獣人軍内部をも混乱させる一助にはなったが。
人間の自警団員たちが突入口として選択したのは街の倉庫区画付近、人口の密集地からも外れた比較的警備の手薄な砦入り口である。早急に人形部隊を送り込みここを制圧し、砦侵攻の橋頭保としていた人間たちであったが、今やこの場は半死半生の状態となって運ばれてくる団員たちのうめき声で満たされていた。
あらぬ方向に曲がった腕を庇って青白い顔に脂汗を浮かべている者、腹からこぼれ出た臓器を傷口の中へと押し込みなおそうとしては激痛に身悶えする者、理性を失った獣に齧られたのか片足が肉がまばらについた骨ばかりになってしまっている者。
彼らは直に床の上に寝かされ、適切な処置を知る者もいない中で徐々に弱り、そして動かなくなっていった。
獣人兵士と直接ぶつかるのは人形だけ、人間の団員は人形の誘導にのみ従事するものと踏んでいた団長サベイにとって、これは想定にない被害であった。もとより本格的な軍隊にあらず、人間の住まう街中でのいざこざを治めるだけが任務であった彼らには、戦傷者を手当てしたり糧食を確保したり等、長期の戦闘に対する備えが無かった。
「皆、歯を食いしばって踏ん張れ!人形を獣人どもにぶつけさえすりゃあ勝つんだ、俺たちの代で人間の時代を取り戻すんだよ!」
いかに声を枯らして叱咤激励しようとも、獣人の咆哮で鼓膜を破られた上に頭の傷口からピンク色に濡れた脳を覗かせている団員にその声は届かない。一見したところ傷を負ってなど居ない者であっても、目の前で獣に食い殺された仲間の血肉で顔面を染め、ガタガタと震え続ける団員が再び立ち上がることは無かった。
そもそも、獣人たちが本物の戦場に耐え得る部隊の育成を人間に許してきたことは一度もなかった。ゆえに、五体満足のままに帰ることの出来る保障など無い戦闘を前に、続々と屈強な男達が戦意を喪失していったとしても無理はなかった。
そんな中においても獣人砦侵攻の意思をサベイが取り下げずにいたのは、彼が特別勇敢だったからでは決してない。
団長として指揮を執るべき者が我が身を危機に晒すわけにはいかぬ、との理屈に従って戦闘の最前線に出ていなかった彼もまた、実際に尋常ならぬ重傷を負って戻ってくる団員たちの姿を前に獣人兵士の脅威をひしひし感じていたのである。
無論、戦場と化した獣人砦内へ送り込んだ人形は例外なく戻って来なかった。もとより破損しやすく、そして内容物が飛散しやすく造ってあったため、必然の結果ではあるが。
現在のサベイは一つの理想的な結末にだけ焦点を当てていた。獣人砦に駐留する獣人兵士たちを無力化し、人間の部隊が獣人たちの支配を終わらせる。その時、自らこそ人間側の戦力を率いていた指揮官として市民の前に姿を現すのだ。世に人間の時代をもたらした英雄として、祀り上げられることは疑うべくもない。
あくまで達成すべき目標はそれのみだが……そう、ここから先はあわよくば成し遂げたい、という期待に後押しされる面が強いが……その際、砦の中に囚われていた市長の娘、シオルを救出できれば御の字である。
彼女が、自律して行動する人形を見出したのである。内容物を獣人が触れれば、彼らの理性を奪い去れる人形を。その娘が囚われの身となっているのであれば、見事救出して見せるのが勇敢なる戦士の誉れではないか。
シオル自身の性格はそもそも気に入らないし、体格も多少身長が高いだけで貧相な部類であったが、それなりの格好をさせれば見栄えのする目鼻立ちである。獣人軍を殲滅した自分の隣で、あの凛とよく通る声をもって新時代の到来を宣言させれば群衆は沸き立つであろう。
獣人の魔の手から彼女を救い出した俺への感謝の言葉も口にしてくれれば、なおのこと良い……!
半分が死体安置所と化した待避所のすぐ近くで、理性を失って無闇矢鱈と暴れている獣の咆哮が響いた。痛みのあまり声を上げることもままならなかった重傷の団員たちまでも一様にか細い泣き声を上げ、雷を恐れる幼い子供のように手足を縮こめる。
そろそろ潮時かと見たサベイは、常通りにハリのある声を上げて待避所の団員たちに告げた。
「心配するな、皆!この場所には獣を絶対に連れ込まないように、仲間たちが戦い続けてくれてる!俺はまた戦いに出る、傷の手当てが済んで一息ついた奴はついて来い!」
言うだけ言って、サベイは獣人の体格に合わせて作られた大きな扉を開き、獣と血の臭いでむせ返るような獣人砦の内部へと踏み込んでいった。薬品や包帯など既に底をついている中から、彼について来る者は誰一人いなかった。
既に獣人兵士との戦闘が済んだ区画、すなわち理性ある状態の兵士が残っておらず、人間の武器で殺せる獣だけは始末された区画を通過するのにもサベイは細心の注意を払った。ここで鉢合わせする存在がいるならば、それは団員たちの力では始末できないような獣である。
あちこちに粉砕された人形の粗末な殻が転がり、内包していた叡智の花弁が吐く糸の塊がちぎられた綿のように点々と白く散っている。獣人砦の中は一斉に灯りが消されたためか薄暗い。小さな窓から入り込む外光だけでは満足な視野が確保できず、それはすなわち嗅覚や聴覚に優れた獣人および獣に優位な環境であった。
が、人間たるサベイにも足を運ぶほどに血の臭いが濃くなっていくのは分かった。逃げ場のない中で激戦が行われたのであろう一室などは天井にまで血痕が飛び散り、バラバラになった自律人形たちのパーツ、人間のものとも獣のものとも区別できない肉や臓腑がまぜこぜになって床一面を覆っていた。
早くも死肉にたかり始めた虫たちの羽音が耳元でうなる。その場を急ぎ足で離れるサベイの顔が蒼ざめていたのは、現場があまりに酸鼻を極めるものだったためのみではない。粗雑に肉が削ぎ落された骨が、不自然な集まり方をしていたのである。薄暗い部屋の中でも、叡智の花弁の糸と動物の骨だけは白く浮きあがって見えた。
サベイは慎重に慎重を期して、不用意に音を立てぬよう、そして強烈な血の臭いに自らを紛れ込ませるよう、冷や汗を垂らしながら現在戦闘の行われている区画へと向かい続けた。自分の耳で聞き取れる距離に獣の吠え声を聞いた時など、腰に帯びた剣が音を立てぬよう必死で抑えながら四つ足で這い進むほどであった。本人に確かめている余裕は無かったが、彼の股間は失禁のために濡れていた。
大の男が恐怖と緊張に目を見開いて冷や汗たらし、四つん這いになっている様は全くもって英雄像からは程遠い姿であったろう。
今まさに戦闘が行われている箇所へ到着したサベイが、部下たちに自らの姿を見せる前に立ち上がって身なりを整えていたことは言うまでもない。理性を残した獣人兵士は牢獄の区画に押し込められており、人形の内容物が自分たちに害なすものであることを知っている彼らは決して接近戦を挑まず、投擲物にて応戦を行っていた。
投げつけられるのは部屋の中で砕かれた石の床の一部であったが、獣人の剛腕をもって投げつけられたものが命中すれば、人間の身体など容易く損壊させ得るのは言うまでもない。彼らは自ら頑丈な牢屋の中へ籠り、鉄格子の隙間から石を投げつけてくる。人形に突撃の指示を出したところで鉄格子に阻まれ、もたついているうちに投石によって砕かれた。
獣人たちが空腹に倒れるのを待つという悠長なことは言っていられない、いつなんどき砦内を徘徊する理性なき獣が人間たちに襲い掛かってくるとも知れないのだ。獣人兵士たちを追い詰めながらも籠城を続ける彼らに手出しできず、背後からの脅威にも晒され戦々恐々としていた団員たちは、ようやっと前線に現れた団長の姿にも大して喜びを見せなかった。
敵兵士の理性を奪うという強力なアドバンテージを有していたにもかかわらず、多大なる犠牲を払ってここまで辿り着いた彼らの数は指で数えられるほどにまで減っていた。過剰なまでに用意したと思われた人形たちも、もはや十体ほどにまで減っている。
指揮を執る立場であるところの団長に不信を抱きつつあった彼らは、我こそが獣人による支配を終わらせる英雄なりという栄誉欲なしに士気を保つことが難しい状態であった。
「お前たち、良くここまで戦い抜いた!残るは、この部屋に閉じこもってる獣人どもで最後だな!」
「えぇ、そうですが。」
「団長、せっかく来られたのなら先陣を切って突入を。」
「まぁ、待て。何の策も無しに突っ込んでも仕方がない、俺が指示を出すから……」
「そう言って、団長だけが生き残りたいんでしょ?」
「なんでアンタはまだ無傷なんだ、俺たちや仲間は散々に傷を負っているのに。」
「何を言ってやがる、俺は指示する立場だ。指揮官の俺が真っ先にやられちまったら、どうにもならねぇだろうが。」
「言っておくが、アンタはここに来るまで一度でも俺たちに指示を出したか?」
「おい、俺に口答えする気か?偉そうな口を利く余裕があるんなら、まずはテメェが真っ先に突入しろ……」
微かな風切り音を聞いたような気がしたサベイは、それ以上の言葉を継ぐことも出来ず、全身から力が抜けたようにバタリと倒れ伏す。周囲の団員達も次々に予兆なくバタバタと倒れていき、霞む視界の中でサベイは皆一様に羽の付いた細い棒のようなものを突き立てられていることに気づく。
ゆっくりと足音を響かせて近づいて来る人間の姿は、サベイの焦点の合わない視野で確認し得なかったが、その声は嫌というほど聞き覚えのあるものだった。
「お疲れ様です、サベイ。あなた方の奮闘で、獣人軍は壊滅にまで追い込まれました。戦士として、誉れある死を迎えられますね。」
「レナルド……てめぇ……!」




