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竜狩りの物語第三十一話   命なき幼子

 バルカは泡まみれのエノを怪我人用の担架に乗せ、マーカスとともに詰所の中庭へと運び出した。脚が痛むとぶつくさ文句を垂れているマーカスを傍らに、井戸からくみ上げてきた冷水を木桶に湛えて運んでくるバルカ。


 泡を押し流すためにエノの金属の身体へと水をぶちまけ、そのたびにこの金属人形は冷たさが体内にしみとおるのを感じるのか雑音交じりの悲鳴を上げた。一見細かな糸がぎっしり詰まっているだけにしか見えないこの内部構造の、どこに温度を感じ取る機構があるのか判然としなかった。


「キャアア、ア!ツメタイ!」


 金属音めいた叫びをあげる人形から顔を背け、マーカスは建物の屋根を見上げながら口を開く。


「おい、こんなに騒がせて、獣人兵士どもに見つからないか?だいたい、団長は人形どもを絶対外に出すなって言ってたろ。」


「その人形部隊が今まさに獣人砦を襲撃しているんだ、こんな無害な奴をわざわざ見張りに来る余裕はない。」


 エノの場合、その存在は既に確保現場にいた獣人たちに知られているため隠匿の必要はなかったものの、それにしても薄暗い屋内で拘束され続けていたエノにとっては久々に拝む空と太陽であった。


 全身に掛けられる井戸水の冷たさは隙間の開いた体内に容赦なく入り込んできたが、埃っぽい詰め所のなかに閉じ込められ続けるよりは遥かにマシだった。大人しく寝そべっているエノの指先や足先に溜まっていた泡をバルカは掻き出し、体表の大きく切開された部位に応急措置として包帯を巻いた。


「壊れかけの人形に包帯なんて、余計に不気味だな。」変わらずエノに近づきたがらないマーカスが愚痴る。


「俺には金属板を繋ぎ合わせる技術なんてない。今はこれで措置を終える。立てるか?」


 柔らかな布が自分の体内に直接触れる感覚は大いに奇妙であったが、異物である泡が体の中から洗い流されたエノは身体機能を無事に取り戻せたのか、難なく起き上がる。


 勝手に動きひとりでに喋るこの金属人形を気味悪がっているマーカスは、いよいよ不快感に顔をゆがませ片足を引きずりながら距離を取ったが、エノが向き直ったのはバルカのほうであった。


「……アリガトウ。」


「俺は団長に言われた通り、掃除を済ませただけだ。さて、次は詰所の床を拭かなければ。」


「ドコ、イクノ。」


「言いつけられた作業を続ける。お前は邪魔にならない所に居ろ。」


「マッテ!」


 エノの声には機械的な雑音が混じっていたが、その響きには人間そのものが持つ声のように切実さがにじんでいた。マーカスはますます気味悪げに眉を顰めてバルカと顔を合わせるも、人形へ返答する行為自体に厭わしさがあるせいか一言も喋らなかった。


 必然的に、エノの話し相手はバルカのみに限定された。


「パパガ……イナイノ。ドコ、イルノ?」


「コルニクス教授のことを言っているのか?彼は獣人砦にて拘束されている。」


「コウソ……ク?」


「閉じ込められている、って意味だ。」


「ナンデ?」


「お前を作り出したのは、悪い事だったからだ。」


「ドウイウコト?」


「悪いことは、悪いことだ。」


「???」


 淡々と答えるバルカであったが、エノはこの問答を途中で理解しきれずに放り出すこととなる。自らの誕生、存在そのものが否定されること自体に、考えを及ばせるほどエノの精神は成長していなかった。


 芳しい答えを得られなかったエノは、率直に自らの要求を口にすることとなる。


「ワカンナイ、ケド……エノ、パパニ、アイタイ。」


「会えるかもしれない、団長たちが獣人軍の無力化に成功するのなら。」


「アエルノ?」


「かもしれない、と言っただろう。砦への襲撃が失敗すれば、二度と会えない。ここに獣人兵士が乗り込んできて、全員殺される。」


「ソンナノ、イヤダ」


「なぁ、こんな人形、放っておけよ、バルカ。とっとと部屋の片づけも終わらせて、団長たちが戻ってくるまで休憩時間にしようぜ。」


 人形との会話に参加することへの抵抗感ゆえに黙り続けていたマーカスであったが、とうとう口を開く。街を実効支配している獣人軍に対する今回のクーデターが、失敗に終わる事など彼は考えたくもなかった。


 その可能性について淡々と、そして人形の質問に応じて口にするバルカを止めたくもなったのである。


「話にはきちんとけりをつけなければ、この後の仕事に邪魔を入れられるかもしれない。団長もいつも言っているだろう。」


「人間相手ならまだしも、ただの人形なんか律義に相手すること無ぇって……。」


「ネェ、ドウスレバ、イイノ?ドウシタラ、パパニ、アエル?」


「今すぐ獣人砦へ向かえば、拘留されているコルニクス教授と再会できるかもな。」


「ワカッタ、ジャア、イク!」


 その顔が無機質な金属板でなければパッと顔色を明るくしているであろう勢いで、元気よくそう言葉を発したエノは中庭から詰め所宿舎へと入り、そのまま扉を開けて外の通りへと出て行った。


 軽い金属質の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、マーカスはニヤニヤしつつバルカへ近づいて来る。バルカが人形と問答を続けている間、彼は不気味なものを見るかのようにあとずさり距離を取っていたのである。


「なるほどな、こりゃあ良い厄介払いだ。あんな気色悪いものを目にした市民は腰を抜かすかもしれないが、少なくとも獣人にぶっ壊されるか戦いに巻き込まれるかして、俺たちが処分する手間も省けるってワケか。」


「まさか、俺が言った通り本当に獣人砦へ向かうとは。無理難題だとは思わなかったのだろうか。」


「そりゃ、何も世の中のことを知らねえだろうからな。学院の研究室で作られて、今ようやく外に出たんだから。砦ってのは獰猛な獣人兵士どもが駐留してる場所だってことも知らねぇだろ。」


「そうか。」


「お前、何にも分かってねぇんだな。そんなだからチビのまんまなんだよ。」


 マーカスは鼻歌を歌いながら宿舎の中へと入っていき、開きっぱなしの扉を閉めて床の拭き掃除を始める。バルカも彼に倣ってモップを手に床を汚している白い泡をこすり取り始めたが、何か思案から離れぬものがあるのか浮かぬ表情を続けていた。


 今、街に駐留している獣人部隊は殺気立っているだろう。獣人たちの指揮官は理性を奪われ動物同然の状態となり、すかさず人間たちが畳みかけるように襲撃を開始しているのだから。


 その現場に巻き込まれに行くよう、エノを唆したのは自分である。マーカスが言った通り、それは人形がひとつ壊れるだけの結果に終わるだろう。が、自らの父を求めて走り出して行った後ろ姿を、命を持たぬ人形そのものと同一視することはバルカにとって非常に難しい芸当であった。


 あれは一人の子供ではなかったか。危険な場所へと幼い子を向かわせ、なぜ自分は止めようともしなかったのか。


「ん?おい、バルカ?どこ行くんだよ。」


 深く考える前に、バルカは掃除用具を放り出していた。背後にマーカスの声を聞きながら、詰め所を飛び出してエノの向かった方へ走り出すバルカの脚は地面を必要以上に強く蹴っていた。彼はほとんど地団駄を踏むように、悔恨が手遅れになることを恐れていた。

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