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忘れられたころ第三話   聖職者たちの問答

 マディスは薄暗がりの廊下を駆けていた。ルスサカの街の礼拝堂は荘厳な造りであったが、高すぎる天井からぶら下がった照明は十分な光量を床まで届けてはいない。彼の輝かんばかりに見事な金髪は、薄暗がりの中でも目立っていたが。


 彼が足早に入っていったのは、礼拝所に住み込む修道士見習いたちが立ち働く厨房であった。見習いたちの宿舎には専用の業者が居ない、然るに見習いたち自身があらゆる務めをこなさなければならなかった。


 いくつもの料理――穀物の粉を練った生地の上に、野菜の葉を載せて焼いただけの質素なものを料理と呼ぶのであれば――が並べられており、マディスと同じ修道士見習いの若者たちがせっせとトレイの上に載せていく。


「信者さん達へお出しするお食事、運びに来ました!」


 多忙ゆえ彼の声にいちいち返事する者はおらず、一番近くにいた若者が料理の満載されたトレイを顎でしゃくって示す。マディスの職業は決して給仕係ではなかったのだが、料理の小皿を満載したトレイを両手に1枚ずつ乗せて運ぶことなどお手の物となっていた。料理のトレイを手に今しがた通ってきた廊下を足早に駆け戻り、礼拝堂の中央、街中から信徒たちの集まる聖堂へと入っていく。


 聖堂の最前列は小綺麗に着飾った街の有力者たちで席が占められていたが、後列以降に座った大部分の信徒たちは見すぼらしい格好の者が多かった。室内で吐く息も白くなるほどの寒い日であり、継ぎ当てだらけの外套の袂を掻き合わせたりボロボロになった手袋を擦り合わせて震えている参列者も多い。それでも彼らは、今まさに説教台で聖典の言葉を語り続けている司教の声をじっと聴き続けていた。


「ここに来て私の言葉を聞く者の全てが、ただ声を聴くことばかりに価値を見出しているわけではないだろう。それは当然のことだ、どれだけ有難い言葉を聞き入れようとも、空腹は満たされず、身体は温まらない。」


 重々しい声を朗々と響かせているこの司教は長きにわたる従軍経験を持つ男であり、その口調にもどこかしら軍事指令を下す上官のごとき厳めしさがあった。


 その声が自分の頭上を飛び越えていくのを聞きながら、マディスは厨房から運んできた食事を聴衆たちひとりひとりに向けて配っていく。


「この礼拝堂を今日初めて訪れた者も少なくはないようだ、毎日欠かさず礼拝に来る者はごく一部に限られている。だが聖典への信仰を常に抱き続ける必要はない、救いを求める時に限って思い出すだけでも十分だ。」


 廊下から聖堂へ通じる扉が開き、先ほど食事を準備していた若者たちが入ってくる。彼等もまたマディス同様に料理を信徒たちへ配り始め、祈祷席の間の通路を歩き回り出した。司教から離れた後列に向かうにつれ、聴衆は司教の話に聞き入っていないようにマディスは感じていた。すくなくとも、配られた途端に食事をがっつき始める信徒は前列付近には居なかった。


「聖典は、弱き人々の前にこそ導きの手を差し伸べる。人間は弱いものだ。立ち行かぬ現状に見通しを失い、己の非力さに失望する存在だ。自らの力によってのみ道が開かれるものと考えるな。導きを求めるならば、聖典を紐解くが良い。我ら教団の門を敲くが良い。」


 礼拝所の入り口付近まで来れば、祈祷席の空きもなく立ち見の拝観者が大勢ひしめいていた。トレイに乗せていた料理をすべて配り終え、厨房に引き返そうとするマディス。


 食事を受け取りそびれた者たちからの恨めしげな視線が幾本も突き刺さってくる。礼拝に参加する市民に無償で提供される食事目当てに集まってきた貧民たちの目つきは虚ろながら、生死の瀬戸際に追い詰められた人間の切実さを伴って鋭かった。


「自らの力によって己が身を扶くのならば獣どものほうが余程得意とするだろう。先人たちの知恵に教えを乞い、自らの得られぬ力を他者に乞うのは人間であればこそ。忘れないことだ、獣の時代の再来を望まぬならば。我ら人間に、聖典の叡智のあらんことを!」


 司教が早朝の務めを終え、真面目に聞き入っていた類の聴衆たちも配られた食糧に手を付け始めた頃にはマディスも厨房に戻って片付け作業を急いでいた。野菜屑や調理過程で焦げてしまったもの、床に落ちた食材などをかき集めて放り込んだ大きなゴミ箱を両手で抱え、調理場の裏口から出ていく。


 本来ならばそれは街の清掃を担当する職員に渡されるはずのものだったが、裏口で待ち構えるボロボロの服を纏った者たちへ中身を明け渡すのが慣例になっていた。無償で供される食事目当てに集まってくる中には、最初から定員の決まっている聖堂へと赴かず調理場の裏口にて廃棄される食材を狙う者たちもいる。


「ほい、失礼しますよ。司教さんに感謝、感謝ですね。」


「……。」


 緩慢ながらもどこかいそいそとした動作でゴミ箱の周りに集まってきた彼らは、表情など数十年来浮かべていないような顔をしかめながら廃棄物の中に手を突っ込み漁り始める。マディスはその間、場を離れることは出来ない。彼らがゴミ箱を持ち去って廃品商へ売りつけてしまうこともあるからだ。


 ボロ服の男達の間にも序列は定まっているらしく、優先的に食べられそうなものを掘り出した男はそれを服の懐にしまい込んでそそくさと去っていった。ようやくゴミ箱の周りに集まった者たちが全員立ち去った頃には、その中身は随分と軽くなっていた。ゴミ箱から取り出した袋を所定の位置に置き、大きさの割に拍子抜けするほど軽い空っぽのゴミ箱を引きずりながらマディスは礼拝所へと戻っていく。


「ゴミ出し完了しました。」


 既に自分たちの朝食を終えた修道士見習いの先輩たちから、やはり返事はない。マディスもそれ以上の言葉は発さず、テーブルに残された一人分の食事の席に着く。冷め切って乾ききったそれをコップ一杯の水でさんざ苦戦しながら喉の奥へ流し込み、手早く食器を洗って棚に戻し、時を置かず清掃用具を手に廊下へと飛び出していく。彼の朝はこの繰り返しであった。


 廊下の掃除は念入りに行われた。湿らせた布で丁寧に拭き清め、神聖なる礼拝所に一粒の塵も残さぬよう見習い時代には教育を叩きこまれる。と同時に、この清掃の時間は司教に近づける数少ない機会であった。書物庫に籠って執筆に励んだり、軍や市庁舎に赴いて宣教活動を行っていることが殆どである司教が、修道士見習いたちの顔を直接見るのはこの早朝の時間帯だけである。


 彼が通る時、見習いたちは自分たちの取り組んでいる作業が何であれ廊下の両脇に移動して道を空け、自らの顔が司教からしっかり見えるように直立不動の姿勢を保つ。このような戒律は全く軍隊的であり、この礼拝所を率いる司教の歩んだ遍歴をそのままに示していた。


 聖典の言葉や学術書について質問を投げかけられる機会、そして司教に自らの顔を覚えてもらう僅かな機会を意欲的な見習いたちは逃すことがなく、司教はわざわざ足を止めて問答に応じるだけの価値があると認めた者に対してのみ言葉少なに声を掛けたのであった。その価値もないと判断された質問には、全くの無言で返したが。


 マディスはこの時間に言葉を発したことなどなかった。こちらの皮膚に穴を開けそうな司教からの凝視が向けられると思うだけでも心は委縮し、そも司教が「価値ある」と判断するような問答などとても思いつかなかった。マディスの日々は自らに課せられた雑用で一杯になっており、聖典への信心ひとつを胸に教団へ入門した頃に夢見ていた敬虔さなど忘れ去りかけていた。


 が、今朝については違っていた。拝観者たちに食事を配りながらも耳を傾けていた壇上からの説教、その中にどうしても引っ掛かって腑に落ちない文言が残っていたのである。今も先輩たちは司教に次々と質問を投げかけ、それに対して重々しい声で返答され、あるいは無視されているが、マディスが引っ掛かっている文言について言及する者はいない。先輩たちにとっては考えるまでもなく答えの明らかな内容かもしれない……が、自らの信心に今以上の揺らぎを見出すことを良しとしなかったマディスは、ついに踏み切ったのであった。


「司教。今朝の御説教、新参画市民の方々への差別的な内容が含まれていたのではありませんか?」


 口に出してしまってから、マディスは俄かに後悔しはじめた。咄嗟に視線を司教から外した彼は、廊下に居並ぶ先輩たちの誰とも目が合わなかったのを一瞬にして確認した。


 マディスが言及したのは「獣ども」「獣の時代の再来を望まぬ」といった文言であり、これには新参画市民すなわち獣人たちを蔑視するニュアンスが含まれるように思われる。少なくとも聖典の教えに含まれる思想ではないことは誰にとっても明白だったのである。


 それを把握したうえで先輩たちが誰一人としてこの件を口に出さなかった事の意味を、自分はもう少し考えるべきだった……司教が歩みを緩めず傍を通り過ぎるまでのごくわずかな時間、彼は猛烈に後悔した。


 だが、その場に居合わせた大方の予測に反し、司教は歩みを止めなかったものの彼に返答を行った。


「マディスだったね。書物庫に来なさい。」


 それ以上の言葉は誰によっても発されなかったものの、場に緊張感が間違いなく走ったのをマディスは感じた。全く歩調を緩めないままに司教が去ってしまったのを確認し、マディスは今度ははっきりと修道士見習いの先輩たちに視線を向けた。誰一人目を合わさず、誰にも助言を期待できない。ともあれ、彼が司教に対して批判を述べてしまったことは疑いようのない事実ではあった。


 礼拝所の書庫にて、テーブルに向かった司教は忙しくペン先を走らせ続けていた。昼間は窓から斜めに差し込んでくる外光ばかりが妙に眩しく、立ち並んだ書棚の奥にまでは光も届かず照明が点けられている。司教の指示に従って資料を引っ張り出している修士が一人、静粛な書庫に場違いな子供が入ってきたかのようにマディスへと冷たい視線を突きさす。本来は見習いの立ち入りが許される場所ではなかったが、司教の指示に背いて姿を現さない方が余程恐ろしかった。


「座りなさい。」


 司教は足音だけで今しがた来たのが何者なのか判別できているのか、視線を上げることなく分厚い資料のページをめくりながらペン先で自分と向かい合う位置の椅子を指し示す。書物庫に用意されている椅子は拭きこまれた革が張ってあり、直立するマディスの身長とほぼ同じ高さの背もたれを持つ豪奢なものであった。


 座れと示された椅子そのものに気後れを感じつつ、想定以上の重さを有するそれをマディスが引きずって座面を引っ張り出した際には床を擦る盛大な音を立てた。修士に睨まれつつも、立派なひじ掛けに服の裾を引っ掛けぬよう細心の注意を払って腰かけようとする。が、マディスは自分の足を思い切りテーブルへとぶつけ、司教の傍らに立つ修士はいよいよ凄まじい形相となってマディスを睨みつけた。


「申し訳ございません。」


 マディスは消え入りそうな声で謝意を示したものの、司教は何食わぬ顔で書き物を続けていた。実際のところはマディスの細い足がぶつかったところで書物庫の重厚なテーブルが揺れることはなかったのだが、司教の反射神経はその一瞬のみペン先を止めていたのであった。


 あまりに長い沈黙の中、司教がペン先を走らせる紙の音が響く時間ばかりが過ぎ去ったため、マディスは自ら話を切り出すべきか大人しく声を掛けられるのを待ち続けるかの二択で大いに苦しめられていた。


 司教の隣に立つ不愛想な修士は変わらず無言のまま、マディスに助け舟を出してくれそうな気配はない。ゆえに唐突に司教の重々しい声が自分に向けられた時、極度の緊張状態に自らを置いていたマディスは軽く飛び上がってしまったのであった。


「私の説教に、差別的な内容が含まれるとの指摘を君はしていたな。」


「はっ、はい……!」


 緊張で枯れかけていた喉からどうにか絞り出したその返事の後、再び司教は沈黙の中へマディスを置き去りにする。自分が次に何を述べるべきか相手が示してくれるものだとばかり信じていたマディスは、またしても途方に暮れることとなった。


 実際のところ、対等な話し相手としてはこの世で最も不親切な人物と彼は対峙していたわけであり、無言の作業の最中、相手に発言を促す目的で先んじて言葉を投げかけただけまだ司教は温情のある方であった。


「け、『獣ども』や『獣の時代の再来を望まぬ』と司教様は仰いました。ですが、獣人……新参画市民の方々も、私たち人間と平等に振る舞うことが出来るというのが、この社会の目指すべき形かと存じます。」


 所々言葉に詰まりつつも、このまま沈黙していては司教が作業を終えるまで無駄に時間が流れるばかりだと判断したマディスは意を決して口を動かした。司教からの問いかけに答えるための言葉をここに来るまでの間に必死で探し回っていたからこそ用意できていた文言であり、実際に声に出している間はほぼ自分が何を喋っているのか意識している余裕も無かったが。


 司教の表情はピクリとも動かず、隣に立っている修士が小さく溜息を吐いたことを示すように音もなく肩先を僅かに下げる。


「それは、政治家が掲げて社会に示した目標だ。聖典の言葉にはない。」


 サラサラとペン先を走らせながらも、同時に書いている内容とは全く関連性が無いであろう言葉を口にする司教の器用さにマディスはまず驚嘆した。


 ……そのようなことよりも、たった今返された内容の吟味を優先すべきと考え直し、耳に入ってきたばかりで単なる音に過ぎなかった司教の声を言葉の形へと消化していった。人は冷静で居られないとき、往々にして聞いたばかりの相手の声を言葉として認識していないものである。


「聖典の一節には『あなたの隣人を知りなさい、隣人もあなたを知るだろう。』とあります。自分たちと異なる存在を排斥するのではなく、共に生きる道を歩んでいくことを聖典も推奨しています。」


 緊張でうまく回らない頭を懸命に動かし、どうにかひねり出した言葉をマディスは口にした。座る際に大きな音を立ててしまったことを睨まれて以来、ずっと視線を背けていた修士がマディスに目を向けるのが分かった。思えば、司教が与えた答えに対し更なる反論を試みるのは修道士見習いとして出過ぎた行いだったかもしれない。


「第何章の第何節だ。」


「えっと……それは、覚えていませんが……」


「勉強不足だ。」


 司教の指摘に畏縮し、言い返す言葉を失ったのはマディスにとって幸いであった。反論の余地を奪われ黙り込む姿は、見習いとして分を弁えた振る舞いであったためである。だが、司教が求めていたのは態度ではなく言葉であった。


「第1章の第32節だ、君が諳んじていたのは。見知らぬものに対し謂れもなく恐れや不安を抱き続けることのないように、知る勇気を持ち続けるよう推奨しているというのが現在主流となっている解釈だ。」


「はい。」


「未知の対象について詳細を掴むことなく恐れ続けるのは獣だ、人間は自らを犠牲としてでも未知へ踏み込み、知覚し得る領域を広げてきた。獣どもは、その後塵を拝しながらも我々人間が作り上げた文明に追従してきたにすぎない。」


 司教の早口はよどみなく言葉を吐きだしながらも、相変わらずペンを握った手は何がしかの記事を執筆し続けているのか文を書き連ね続け、その目はもう片方の手がページを捲る資料へと向けられていた。


 彼の述べた持論の内容よりも、もはや一芸とでも称すべきそのマルチタスクにマディスは暫し感心していたものの、またしても司教が黙り込んだ沈黙に促されるように耳から入ってきた言葉の吟味を慌てて開始する。


「新参画市民の皆さんも、今は種族の分け隔てなく職業に就き、文明社会の一員として生活しておられます。」


「そのために職を取られた人間も少なくは無い。政治家は失敗を犯した、平等な社会を喧伝する腹積もりで種族ごとの職業選択を一切自由にした結果、むしろ本来望んでいた職業にありつける者を減らしてしまった。」


 事実であった。元来、新参画市民たちはその獣らしい膂力をもって力仕事を担当するのが社会通念における暗黙の了解となっていた。だが、彼らの中からも研究職やサービス業などを志す声が高まり、政治家たちは進歩的なイメージを自らに与えるためこぞって職業選択の自由化政策を打ち出したのであった。


 人間相応に獣人が頭脳を働かせることは実際可能であったものの、獣人にしか割り当てられていなかった肉体労働の空きを人間が担当することは大いに困難を伴った。獣人ひとり分の働きを人間では数人がかりで行わざるを得ず、満足な収入も得られぬまま無茶な働き方をして体を壊す人間の市民も現れた。


「しかし、それは個々の新参画市民の希望を無視してよい理由にはなりません。」


「マディス、我々は政治家ではない。理屈ではなく、人々の求める声を聞け。」


 今朝の礼拝所での様相をマディスは思い返した……ボロボロの服を纏い、幾日も洗っていないであろう脂ぎった髪を振り乱したまま早朝の礼拝に参列していた市民たち。皆一様に血色も悪く、十分な食事や休眠を得られていないことは間違いなかった……全員が人間であった。


 彼らの職を奪ったのは獣人たちばかりでなく機械の身体を持つ啓蒙市民たちでもあるように思われたが、その件を持ち出しては結局人間以外の種族に社会問題の原因を押し付けることに変わりないと判断したマディスは別な切り出し方を試みた。


「もしかすると司教様、礼拝所への寄進が減っているために、人間市民の皆さんからの支持を得ようとして今朝のような演説を行われたのですか?」


 今まで休みなく動き続けていた司教のペン先が止まった。自分のたった今口走った内容を反芻し壮絶な後悔に襲われているマディスには、真正面にあるにも拘らず司教の表情を確かめる勇気など無かった。代わりにその横で直立不動を続ける修士の顔を見れば、彼女は青ざめていた。


 やがて何事もなかったように司教の指が書物を捲り始め、改めて口が開かれるまでの間、マディスは死刑宣告を待つ囚人のごとき顔つきで居続けた。


「寄進が減っているという判断は、何によって下した。」


「し、信者の方々にお配りするお食事が、その、日に日に減っていますので……。」


「君が心配することではない。私はそろそろ次の仕事の時間だ、下がっていい。」


 司教は立ち上がり、最低限の音だけを立てて椅子や筆記具を片付け、大股な歩き方で書物庫から出ていく。机の上に積み上げられた書物を元の書棚に片付けるのは後に残された修士の役割のようであったが、彼女は書物を手に取る前にマディスの隣まで来て、小声でささやいた。


「頭の良さを披露したつもりかもしれないけれど、司教は揚げ足を取られるのがお嫌いですよ。」


「揚げ足を取ったつもりなんて、僕は……。」


「司教自らが仰った通り、あなたは恐れることなく踏み込み、知る勇気を示したではありませんか。見習いの分際で随分と挑発的な言動をなさるあなたに、私は感心していましたよ。」


 マディスは小さく溜息を吐いて立ち上がり、修士に一礼して書物庫から出ていく。彼は確かに緊張していた様子であったが、司教へ果敢に討論を挑んだいち見習いにしては落ち着きを取り戻すのが早い。


 修士は多少不可解そうな顔で彼を見送っていたが、やがて彼女自身のこなすべき執務へと戻っていった。

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