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忘れられたころ第二十二話   町の裏の主

 屈強な熊型の新参画市民に腕を掴まれ、フィガロは何処とも知れぬ狭い路地を引っ張られながら歩いていた。店の照明が唐突に消され、その隙に同僚のコークが店の売上金とともに姿を消した後、彼はそのまま店内に残っていた。自分までもその場から立ち去れば、共犯者の濡れ衣を着せられかねなかったためである。


 市場一帯の土地を有する大地主にとっては、売上金全てを足したところで、はした金かもしれない。が、この街の経済を回している中心から金を盗んで逃げることが、どれほどのリスクを伴うものかフィガロは知っていた。


「あの、そんなに強く腕を握らなくても、自分はついていきますから……。」


「……。」


 昼間にもその姿を表していたグラッドストンの護衛は、フィガロの提言も無視して相変わらずその剛腕を以て引っ張っていく。握りしめられているフィガロの腕は圧迫感こそあれ、無駄な力が一切入っていないためか全く痛みを覚えない。


 抗議する理由を失ったフィガロは仕方なく口を閉じ、自分の腕が引っ張られるに任せて足を進めることにした。両脇に建物の壁が迫り、ひっそりと静まり返った狭い路地をどのように進んだのか、最後の角を曲がった時に巨大な屋敷の門は唐突に現れた。


「グルル。」


「ガォォ。」


 門番に立っていたのは、今フィガロの腕を捕まえて引っ張ってきたのと同じ熊型の新参画市民である。彼らは言葉を用いず、野生の獰猛さを無理に押さえ込んだかのように唸りあっていた。


(『鳴き声』なんて、現代でも使っている奴がいるのか。言葉を学んだら、それより不便なものは忘れちゃうのが普通なのに。)


 フィガロを始めとするほとんどの新参画市民、かつて獣人と呼ばれていた者たちの中にも、獣らしく言葉を要さない意思疎通の手段を用いる者はいる。が、コミュニケーションツールとして用いられる『鳴き声』は大抵の場合現代社会において疎まれ、廃れていった。


 獣人たちが文明社会の一員らしく自分たちを見せることに努めた一面もあったが、何よりも人間が理解できない手段で情報交換が行われることを人間たちが嫌ったためである。ゆえに、今なお言葉を使わない新参画市民が居たとすれば、表社会の住民でないことだけは確かであった。


「……。」


「あ、はい、進みます。そんな、引っ張らなくても。」


 何の前触れもなく門が開き、と同時に自分の腕を掴んでいるグラッドストンの護衛が再び歩き出したため、フィガロは慌てて足を動かす。自分が一切身体を動かすつもりでなくとも、一定の高さで固定された腕部が直進するのに合わせていれば転ぶことは無かった。すなわち、腕を握りしめている相手は片手でフィガロの全体重を支え得たのである。


 屋敷の通路は幾重にも折れ曲がり、至る所に廊下側へ窓の開かれた部屋が設けられていた。敢えてその中を覗き込む勇気はフィガロにはなかったが、彼の嗅覚はグラッドストン邸を守る数多の護衛の存在を嗅ぎ取っていた。


「グゥゥ。」


「入れ。」


 他の部屋と何ら違いを見いだせない扉の前で護衛は唸り声をあげ、中からそれに応じる老人の声が返ってくる。この部屋もまた廊下側への窓が開かれ、内部は護衛たちの詰め所に変わりないように見えたものの、入り口に足を踏み入れたフィガロはその認識を改めることとなった。


 窓から見えていたのは別の一室であり、屋敷の主グラッドストンが鎮座する執務室は一切の窓を設けていなかったのである。彼の護衛に引っ張られてここまで歩いて来たフィガロが姿を現すと、グラッドストンは作業を終えた書類を机の端に押しやった。


「フィガロ、だったな。」


「は、はい……ご存知だったんですか。」


「俺の土地、市場で働いている奴の顔と名前は全て覚えている。」


 かなり歳のいっている事だけは明瞭なグラッドストンの顔は、部屋の照明が発する上からの光によってくっきりとした陰影を皺の一本一本に刻んでいる。特にその落ちくぼんだ目は、眉根の影で完全に暗闇の中にあった。まるで彫像のように固く無表情な顔を前にフィガロの緊張は極限まで高まっていたが、次に開かれた大地主の口はいくぶん柔らかい声を発した。


「夜遅くにわざわざ来てもらって、済まなかったね。」


「いっ、いえ、こちらこそ夜分遅く、失礼いたしております……。」


「俺はいいんだ、夜の方が仕事が捗るからな。」


 彼の言葉は冗談とも本気とも取れなかった。何にしても、つい先ほど日付が変わったばかりという深夜、煌々と照明の点された部屋の中に幾名もの護衛を立たせて仕事を続けている老人は異様な存在に違いない。フィガロは愛想笑いとも取れるか取れぬか、微妙な笑顔を浮かべているほかなかった。


 が、次にグラッドストンが発した意外過ぎる質問は、再びフィガロの口元を引き締めることとなった。


「で、何か用かね?」


「えっ……?いや、グラッドストンさんがお呼びになったのでは。あんなことがあったばかりですし……。」


「あんなこと、とは、どんなことだ。俺は、何が起きたのか知らないんだが。」


「てっきり、グラッドストンさんに連絡が行っているものだとばかり……。」


 相変わらずフィガロの隣には彼を引っ張ってきた護衛が直立不動の姿勢で控え、部屋の壁際には等間隔に同じような体格の護衛達がずらりと並んでいる。グラッドストンへの応対を間違えれば命の危機をも覚悟せざるを得ないこの空間にて、フィガロの緊張感は再び跳ね上がることとなった。


「俺には何の連絡も来ていないさ、こんな深夜に電話を入れるのは非常識だからな。」


「し、しかし、こちらのボディガードさんに、無理やり引っ張って来られまして。」


「無理やり、か。それはいかんな、然るべき理由があったのであればまだしも。」


 グラッドストンはわざとらしく顔をしかめ、フィガロの隣に立っている護衛を睨みつける。刻まれた皺の陰が一層濃くなり、人間が再現可能であること自体信じられないような表情が出来上がった。


「俺は部下たちの自主性を信頼している。フィガロ、お前が連れてこられたということは、相応の事が起きたものだと見ているんだ。」


「はっ、はい……。」


「だが、それほど大したことでもないとなれば、君に謝らなければならない。そこの護衛にも、君へ迷惑をかけた罪を償わせることになる。」


「……。」


 フィガロは横目でチラと見たものの、ここまで自分の腕を掴んで引っ張ってきた彼には表情の変化が見られない。


「何が起きたのか、正確に伝えてほしい。もしも、正当なゆえなく連行されたというのなら、その通りに言ってくれていい。」


「え、えぇと……。」


「心配は要らない。俺はお前を全面的に信じるよ。何せ、この場で言葉を話せるのは俺と、お前しかいないのだから。」


 巧妙かつ周到なやり口であった。市場の状況を完全に把握しているグラッドストンが、店の売上金を何者かに持ち逃げされた一件を知らないでいるはずが無い。それでもなお、フィガロ自身に語らせようというのだ。嘘を口にすれば、確実にばれる。自分から語るのだから、後になって否定する余地もない。


 フィガロは震える喉でどうにか難儀な呼吸をひとつ済ませ、出来る限り冷静になったつもりで話し始めた。


「自分は、グラッドストンさんのおっしゃった通り店に残って、店が閉まった後の処遇が下されるのを待ちながら、売上金の番をしていました。そしたら、突然照明が消えて、同僚のコークが居なくなってて……すぐに金庫を確かめたんですが、中身は空になってました……。」


 喋りながらグラッドストンの表情を注意深く見つめ続けていたフィガロであったが、何らの変化もそこには見いだせなかった。変わらず皺が幾本も刻み込まれた彫像のような顔は、しばらくの沈黙の後おもむろに口を開く。


「正直に答えてくれてありがとう。」


 正直に答えたのが分かる、ということはやはりグラッドストンも事態を把握していたのだ。ひとまずグラッドストンの機嫌を損ねずに済んだと考えたフィガロが胸の中で小さな安堵を手にした次の瞬間、そこに冷や水が注ぎ込まれることとなった。


「では、その居なくなった同僚と、お前が手を組んでいたかもしれないんだな。」

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