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忘れられたころ第二十一話   叡智返奪の目撃者

 マディスは『竜狩りの物語』を抱え、礼拝所から日暮れの街へと出た。以前と同じく、限られた自由時間内にこの巻を図書館へ返却し、次の巻を借りて戻って来なければならない。彼が足早であったことの理由のひとつはそれであった。


 もうひとつの理由といえばは変わらず、礼拝所から図書館への最短経路にてパブロと遭遇する確率が高かったことである。


 旧市街の中でも格段に治安が悪いと噂の――酔いつぶれて路上で寝込んだり、夜通し歌って騒ぎ立てる連中にとっては最も居心地が良い地区ではあったが――この路地を通り抜ける最中に、最も絡まれたくない奴がパブロであった。


(それにしてもパブロの奴、どうしてわざわざこの街に来たんだ?俺の目論見に気づいちゃいないとは思うが……。)


 自分の過去をパブロに知られていることは、マディスにとって厄介なものであった。修道士見習いとしてこの街の礼拝所に住み込むようになった彼の本当の目的を、疑う人物がいるとすればそれはパブロに他ならない。


 何せ、修道士見習いであるはずのマディスが懐に凶器を常に忍ばせていたとしても、奴は驚かないのだから。


(今回はお前と組むつもりは無いんだ、パブロ。余計なことをしないでいてくれよ。)


 今は修行の合間に物語を読む平凡な修道士見習いとしての日々を過ごすマディスであったが、彼は決して後ろ暗い過去を捨て去れたわけではなかった。パブロが「汚れた手」と呼んだその手は、かつての彼自身がその弱さによって散々に汚したものであった。


 彼は日が沈んだ後の薄暗い路地へと視線を走らせ、今宵もたむろしている人影の群れの中にパブロらしき者が居ないことを確認しつつ、歩調を緩めぬままに取りすぎようとした。


 が、他人を待ち構え、自らの事情へ巻き込むことに長けたパブロが一枚上手であった。


 わざと上着に袖を通さずシルエットを偽り、普段はボサボサの髪も括ったパブロは、暗がりの遠目には別人に見える状態でマディスを待ち構えていたのであった。


「ようよう、ペラ!我が親友。こないだ会ったのと同じ時刻だな、聖職者を気取り出してから随分と律義になりやがって。」


 狡猾な自称親友によって行く手を塞がれ、さりとてそそくさと脇を通り抜けるにも手間取る絶妙な距離感の取り方を前にマディスは舌打ちした。パブロが人手を要した時、それも大っぴらには出来ない裏の仕事に駆り出す人間を集める時、幾度も繰り返し培ってきた技術の賜物であった。


 口を噤んで睨みつけてくるマディスを前に、パブロは大袈裟に怖がって見せながら軽口を叩き続ける。


「そんなに哀れな俺をビビらせて楽しいか?心配すんなって、別に金や酒をたかりに来たわけじゃないから。」


「用がないなら道を空けろ。」


「まぁ待てって、俺にだって金をたかる以外の用事はある。今日はな、実に神秘的な体験をしたんだ。聞きたいか?」


 マディスは無言のまま、立ちはだかるパブロの脇をすり抜けて進もうとする。案の定、それを見越して距離を取っていたパブロはマディスの斜め前に並んで歩き始めた。


「別に聞きたくもねぇか?ま、お前はエセ聖職者だもんな、神秘なんざに興味はねぇだろ。」


「喋りたいなら勝手に喋ってろ。」


「なぁんだ、聞きたいんじゃねーか。これはな、俺がついさっき市場の金庫の中身を拝借しようとした時の話なんだがな……。」


 マディスは歩調を緩めなかったものの、鋭い光を目に宿らせてパブロの方を一瞥した。そっけない相棒に緊張感を走らせることに成功したと見て取ったパブロはいよいよ嬉しそうに話を続ける。


「そう警戒すんな、俺は殺しはやらねぇ。お前と違ってな。」


「自慢げに話すことじゃない。収穫品を横取りされたくないのなら。」


「心配ねーよ、その収穫品はここにない。全部置いて逃げて来ちまったんだ、収穫なしだぜ、このパブロ様が!」


 パブロはいかにも楽しそうに笑っていたが、彼の引き攣ったような笑声は常と何ら変わらず、実際に自分の失敗を楽しんでいるのかもしれなかった。ここに来てマディスは初めて足を止め、真っ直ぐにパブロの顔を見つめる。


「お前が……盗み出した収穫品を置いて逃げた?信じられないな。」


「あぁ、俺もビックリだぜ。欲しい物は何でも手に入れる、この俺が、まさか金を投げ出して逃げるだなんてよ。」


 マディスが立ち止まって興味を示したことに更に気をよくしたのか、パブロはそこから先、話の本題に入ることなく口を閉じてニタニタと笑っている。が、マディスがそんな彼の思惑を見透かしたかのようにあっさりと視線を外して図書館へ向かい始めると、パブロは慌てて喋りながらついて来た。


「おいおい、聞きたくねぇのか?天下のコソ泥が盗品を諦めて逃げ出したんだぜ。」


「……何だったんだ。」


「俺は、盗みを上手くやるために獣人と組んでた。元々その店の店員だった奴だ。俺が攪乱して、その隙にソイツが金を盗み出すって算段でな。」


 パブロはちょくちょく勿体ぶって間を置いた。彼が言葉を切った時、その呼吸がいつも以上に乱れていることにマディスはようやく気付いた。街灯に照らされ明るい所で見れば心なしか、彼の顔色も興奮で青ざめていることも。


「金を持ったアイツと落ち合った時のことだった。突然、暗闇の中から骨みてぇなゴツゴツした手が出てきて、あの獣人の肩を掴んだんだ。」


「警邏隊にでも見つかったか?」


「俺がそんなヘマするかよ。その手は獣人の肩を掴んだだけだったんだがな……それを境に、アイツは言葉を話せなくなった。」


「なんで。口を塞がれたのか。」


「そんなんじゃねぇ、それどころかアイツ、二本足で立たなくなった、俺のことも分からなくなって、急に周り全部を警戒し始めて……四つん這いになって、暗闇の中に走っていっちまった。」


 彼の声が震えるのは、酒に酔っぱらっているときを除けば珍しいことであった。理性のタガが外れかかったパブロが怖がることなどこの世にはないとマディスは考えていたのだが、彼の顔から血の気が引いていることを今はハッキリと確認できた。


「盗み出すはずだった金だけでも持ってこなかったのか。」


「バカか、眼の前に、その骸骨みたいなやつが立ってんだぞ。あの腕で掴まれたら、俺も気が狂って、ただの動物と同じみたいになっちまうかもしれない。そんなのはゴメンだ、酒の味が分からないまま、獣と同じザマで死にたくは無ぇ……。」


 パブロの声が自然と遠ざかっていくのに振り向けば、彼はもはやマディスを追いかけてはいなかった。その場に立ち止まり、ブツブツと項垂れ、ほぼ独り言のようにつぶやいている。


「ペラ、気を付けろよ。俺の生涯でただ一人の友だからこそ、忠告してやるんだからな。」

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