竜狩りの物語第二話 教義外教育
人間の独立を図ることがいかに不毛であるかを獣人の兵士にあっさりと論破されたところで、シオルは諦めの悪い娘であった。獣人からの支配を脱する志に燃える彼女が翌日訪ねたのは、人間たちの通う学院の一角に備えられた研究室である。市長の娘による唐突な訪問に、研究室へ籠っていた教授は驚かされた。
もとよりシオルもこの学院に通う生徒であったのだが、机に向かい続けることを好まない彼女はまともに勉学に励むことなどからきし無かったのである。
「コルニクス、あなたは動く人形を作っているのよね?」
「教授と呼べ。お前には何一つ触らせないぞ、私の研究成果に今さら興味を持ったところで。」
彼の研究室には無数の工具が並び、床には削り出された金屑が積もっていた。鋼鉄の部品が組み合わされた人形の手足や胴体が作業台に並び、あるいは壁に掛けられ、今しも人ひとり分の身体を構成するからくりが組み上がろうとする矢先であった。
彼女の入室を拒もうと立ちはだかるコルニクスであったが、小柄なシオルにはあっけなく傍をすり抜けられて研究室内へと踏み込まれる。
「触るなと言っているだろう!」
「触らないわ、どうせ動かし方も分からないもの。でも、こんな人形がどうして動くというの?」
「今のままでは動かないし、お前に原理を教えねばならない義理は無い。帰れ。」
当時の学院で行われていたのは歴史の編纂や宗教理念についての問答が主であり、このような人形、現代においては機械と名付けられたものの研究は隅に押しやられていた。コルニクスの研究室もその扱いを示すように、学院の敷地の隅、じめついた半地下の物置小屋に押し込められていた。
結果的に、その環境は自律して行動する機械の発見に一役買ったのであるが。
「義理ならあるわ。あなた、研究に使える予算が学院からは満足に得られないのでしょう?」
「そちらの知ったことではないだろう。」
「知っていますとも。もしも、私のお父様から資金援助を受けられるとしたら大助かりだろう、ってこともね。」
周囲に与することなく独自の研究を貫いてきた反骨の研究者としてのプライドゆえか、コルニクスはその場においてはシオルに無言を返した。が、翌日シオルに届いた書簡にはその提案を受け入れる彼の意思がしたためられていた。
日頃より娘が勉学に不真面目であることを憂いていたシオルの父、市長は娘自ら学院の研究に協力したいという申し出に大変喜んだ。そして、彼女の学業の助けとなるのならばと一も二もなく研究者への寄付を実行したのであった。
「それで、」シオルは教授に贈るようにと親から手渡された菓子の詰め合わせを自分で開け、中身を齧りながらコルニクスの研究室に入り浸っていた。
「お父様からいただいた資金があれば、あなたの研究は完成するのかしら?」
「あぁ。『叡智の花弁』を他所から買い取って取り寄せることが出来る。」
「何、それは。」
「詳しく研究している者はいない、世間では祭壇に祀る箱に収められているだけの代物だ。」
学院に通う生徒の一員である以上、シオルも知っているはずの『叡智の花弁』であったが、勉学不足ゆえか彼女の知識にそれは含まれていなかった。教授の説明した通り、本来は礼拝所や聖堂の祭壇に安置されている聖遺物の一種であり、祈りを捧げる者の呼びかけに応じてまるで意志を持つように震える摩訶不思議な代物である。
その名の通り花弁のごとき形をしていると伝えられていたが、装飾された箱の中に収められているそれを外部へ取り出した者はいなかった。直接触れることは禁忌とされていたためである。
「お金を積めば手に入るようなものなの?聖堂に祀られているんでしょう。」
「本来は買い取れはしないが、人の減った隣町で礼拝所が解体されている最中だ。解体業者は聖遺物を廃棄するわけにもいかず、扱いに困っているらしい。」
「聖遺物……?って、何?」
「私の知ったことか。宗教家どもの解説を聞きたいなら学院の講義に出席することだな。」
獣人たちが人間の街々を管理し、安泰の続く時代には人間の出生率も低下した。人口減少のために獣人の軍の維持費用を十分に賄えなくなった街は解体され、住民たちがより人口の多い街へと移住させられることも珍しくはなかった。
今しも住民の去った隣町にて建物の解体作業が行われており、人間たちの信仰の中心たる礼拝所もその例外ではなかった。折よくコルニクスが求める『叡智の花弁』を、研究目的で入手できる絶好の機会であった。
「すぐにでも、うちの者を使いに走らせましょう。」
「くれぐれも、学院の他の教授連には悟られんようにな。宗教観念上は、我々の為そうとしていることは禁忌だ。」
買い取りに向かわされたシオルの家の小間使いは、解体業者たちによってさんざん値段を吊り上げられた挙句どうにか予算内ぎりぎりで求めるものを入手してきた。かねてより研究利用を想定していた叡智の花弁の現物を手に入れたコルニクスは、滅多に表情を動かすことのないその気難しい顔に笑みを浮かべ、興奮を隠しきれない様子であった。
シオルの目から見れば、それは時おりカタカタと震える以外に特筆すべき点の無い薄汚い小箱に過ぎなかったのだが。
「意志を持つ箱に、どうして誰も手足を与えようと思いつかなかったのだろう。先人たちのいかに愚かな事か。」
「勝手に走り回られたら、危なかったからじゃないかしら。」
コルニクスは無言でほくそ笑みながらも、組み立てた鋼鉄の身体の中へ、叡智の花弁を収めた箱を組み込んだ。
彼の望んでいた現象、すなわち動き回るための身体を得た叡智の花弁が金属の手足を操って立ち上がり、自在に行動すること……は起きなかった。それぞれ別な類の落胆を抱いたコルニクスとシオルの前で、相変わらず花弁を収めた小箱はカタカタと震えるばかりであった。
目に見えた変化は早くも翌日に発生した。コルニクスは宗教上の禁忌を恐れることなく小箱を開け、収められていた花弁を直に鋼鉄の人形の中へ入れたのである。聞き伝えられていたとおり花弁のような形状をしていたそれは、箱の中で分厚い綿のようなものに包まれていた。
最初コルニクスは内容物の破損を防ぐための緩衝材か何かだと判断したが、すぐにその認識を改めることとなった。綿のような細かい糸の集合体は花弁から直に生えており、新しくあてがった器の内壁に向かって早くも新たな糸が無数に手を延ばしつつあったのである。
「叡智の花弁は、触れる物へ無数の糸を絡ませるのか。それが叡智の源であるならば、もしや……?」
彼の研究成果にいよいよ期待を失っていたシオルは、協力関係の打ち切りを伝えるつもりで数日後、研究室の扉を開いた。その矢先、鋼鉄で組み上げられた人形が命を吹き込まれたように悠々と歩き回っている光景を唐突に見せつけられ、彼女は腰を抜かしかける。
人形の表面には全体的に細かい糸が張り巡らされ、内部にも綿のようになったそれがぎっしりと詰まっていた。
「やはり私の仮定は誤りではなかった!『叡智の花弁』は、新たな命を生み出す種だ!ただの箱ではなく、動き回れる身体の中に直接収めるべきものだったのだ!この発見は、輝かしい技術革新の第一歩となるであろう!」
「おめでとう。ところで、せっかく動き回れるようになった人形だけれど、あちこちにぶつかって随分と歩き回りにくそうね。」
「外界を見るための目を与えていないからだろう。声を発するための口も与えてやらねばなるまいな。」
予告なく鋼鉄の人形が歩き回る様を見せられた際は怯んだシオルであったが、臆することなく近づき矢庭にその無機質な腕を掴む。人形は驚いたような仕草でシオルの手を振りほどいたが、そこには想像していた以上の力が発揮されたように感じた。
振りほどかれてよろめいたシオルは作業台の工具を散らかして突っ伏しながら、未だに興奮からこみ上げる笑顔を止められずにいるコルニクスへ質問する。
「この人形は、人間よりも強くなるかしら。」
「あぁ、間違いない。鋼鉄の身体は、人間の肌よりも遥かに頑丈だろう。」
「じゃあ、獣人を打ち負かすことも出来る?」
「さてな。そんな空論を投げ交わすよりも、今はこの人形に出来ることの検証を優先すべきだ。さぁ『叡智の花弁』よ、その可能性を存分に見せてくれ。お前にも目や耳を与えよう。」
とはいえ、人形に目や口や耳を与えることは並大抵のことではなかった。その時代においても既に人体や動物の解剖結果から、それぞれの器官がどのような仕組みで出来上がっているかはある程度判明していたが、死体から剥ぎ取ったそれらを人形に貼り付けてもほどなく腐敗して脱落することは明白であった。
試行錯誤を開始して間もなくの頃こそコルニクスは地道に金属や水晶の部品を組み合わせ、人間の眼球や声帯に似た物を作り出そうと苦心し続けた。が、彼の忍耐力はあまりに長きにわたって味わい続けた不遇の時代によって大方を削り去られていたようであった。
どれだけ器官を精巧に作ろうとも、それらを人形の中枢たる叡智の花弁に繋げる術など見当もつかなかった彼は、最終的にそれぞれの部品を粗雑に放り込んだだけの箱を人形の頭部にあてがった。
「なんか部品が床に転がってるんだけれど、これは使わないの?」
「知らん!」
「学院の吹奏楽隊から、楽器のマウスピースを返せって苦情が来てるけれど。」
「追い返せ!」
シオルにまたしても失望の目で見られ、開発者にも丸投げされたその原始的な箱は、たった一晩で大いなる変貌を遂げた。例の綿のように細かな糸の群れ――コルニクスは後ほど菌類が構成する菌糸に近い物だと推定することになるが――は、水晶のレンズや管楽器の吹き口、漏斗型の集音器へ複雑に絡み合い、人体を縦横に走る血管や神経の如き様相を呈していた。
コルニクスが人形の目の前で手を振って見せれば、人形は同じように手を振り返した。有頂天になった彼が子供のような声を上げて笑って見せれば、人形は楽器のような音で苦心しながらも笑い声を真似して見せた。彼にとっては素晴らしい進歩、能力の向上であったが、シオルが求めているのはこのように幼稚な振る舞いをする人形ではなかった。
「あなた、どうやら目が使えるようになったのね。これが見えるかしら、剣というものよ。この柄の部分を握って、振り回してごらんなさい。」
「プパッピポーー?」
「よさんか、私のエノに物騒な物を持たさんでくれ!」
「エノ?」
シオルが差し出したのは鞘に収めた肉切り包丁であったが、不思議そうにその物体を見つめる人形の前にコルニクスは割って入る。血相を変えてシオルを押しのける彼が口にしたその名前は、人形に付けられたものであった。
「まさかコルニクス、これに名前をつけたの?」
「『これ』ではない、私の子だ!あぁ、可愛いエノ、さっき見せられたものは何でもないんだよ。まずは父さんと、言葉を使う練習を始めよう。」
「パピー。」
「『父さん』ですって?」
呆れたように見つめるシオルなど気にもかけず、箱の外の世界を認識し始めた人形に夢中となったコルニクスは、大きく文字の書かれたパネルを指さして見せながら大声でゆっくりとそれを読み上げ始めた。
まさに幼子へ話しかける親そのもののような振る舞いを背後から呆れ顔で見ていたシオルであったが、自らの計画を次の段階へ移す必要性を早くも感じ取っていた。