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忘れられたころ第二十話   己ならざる自我

 サボーは自室にて椅子に座り、ただただ慄然としていた。目の前のテーブルには一枚の紙が置かれ、そこにはこのような出だしで置き手紙が書かれていた。


〈混乱しないで冷静に読んでもらいたい。私は、お前が意識を失っている間、お前の身体を用いて行動している者だ。〉


 その突拍子もない内容もさることながら、サボーの心を恐怖させていたのは現在置かれている状況であった。彼は仕事を終えて帰宅し、日々の習慣であるボディメンテナンスとエネルギー供給を済ませ、寝床に横たわって自らの視覚センサーを一時的に無効化した……つまり眠ったはずであった。


 それが気付けば、ここに座っていたのである。時刻は夜、日付が変わる直前だった。カレンダーを恐る恐る確認したサボーは、自分の記憶に残っていた日付が既に二日前であることを知り、ますます追い詰められた心が細るような思いを抱いた。


「そんな……今までだって意識がなくなってることはあったが、こんなに長くなることはなかったのに……。」


 それは己が意思で自らの身体を動かしていられる時間がいよいよ短くなりつつあることをも意味していた。機械の身体を有する啓蒙市民たちの中枢、叡智の花弁。サボーの体内にて新たな花弁が分化したとみられる日から数週間が経過し、当初は彼の発声に雑音を混入させる程度であった症状は一層深刻になっていた。


 本来であれば我が子として新たな身体を与えるべき別意思は、とうとうサボー本来の人格を隅へ押しやるほどに明確な自我を発達させたのだろうか。到底制御できそうもない自分に訪れた変化を実感した今、サボーは身動きすることにも怯えたように固まっていた。不用意な行動を運命に見咎められることを恐れるかのごとく、視線だけをテーブル上に置かれた書面へと戻す。


 今の彼には、他に出来ることが無い。


〈この身体に宿っている意識が自分ひとりだけではないことについては、お前も気づいているだろう。私もまた、自分の意識せぬ時間経過を経験し、面食らうことをたびたび繰り返している。〉


 手紙を書いた主も自分と同じ経験を綴っている。場合によっては、彼もまた自らこそが本来のサボーとしての人格であると信じているのかもしれない。


〈私についての情報を共有しておきたい。まず、私ことサボーは書店で働くアルバイト店員だ。店舗にて書籍を並べ、配達依頼があれば商品を届けることが仕事だ。人付き合いは苦手であり、職場に友人と呼べる存在は居ない。お前に異論があれば、この紙に返答を書き込んで欲しい。〉


 その内容に間違いはない。自分がサボーとして本来通りの生活を繰り返している中で、叡智の花弁から分化した新たな自我はその生活様式を学習したのだろうか。何にせよ、どちらの人格が表に出ていたとしても周囲からは普段通りの行動を取っているサボーとして、違和感なく受け取られるわけである。


 文面はここから本題へと入っていった。


〈お前が私に協力的な態度を取ることを期待し、一つ確かめたいことがある。お前は書店員として仕事をし、共に遊びに出かける友人もおらず、自宅と店を往復する生活をのみ続けているはずだろう。こんな表現に気を悪くしないでくれ、お前は私と同じ思考だ。〉


 身体をこわばらせて畏縮しきっていたサボーが、ようやく本来の彼らしさを取り戻したかのごとく舌打ちすることを見越したように、文面には断りが入れられていた。


〈……だが、私が意識を取り戻す時、従来通りのサボーとしての行動を取っている際にはあり得ない場所にいることが多い。当初は商品の配達にお前が向かった先で私と入れ替わったのかと考えたが、住民など居ない倉庫街の片隅に私が佇んでいたことをどう説明できる?〉


 これは今のサボーが経験することのない現象であった。彼は意識が飛んでいたことに気づいた時、自らを見出すのは仕事先の書店や自宅、図書館など、自分が居ることがおかしくない場所ばかりだった。


〈私はそうした場合、極力本来のサボーとしての振る舞いへ戻る。すなわち、日中であれば職場、夜間であれば自宅へ帰る。今夜もそうだった。なぜか私は、人気のない日暮れの裏路地でしゃがみこんでいた。眼の前から妙に大きな野良猫が一匹逃げていったことだけを覚えている。私はこれ以上妙な事に巻き込まれまいと、慌ててこの家まで帰ってきた。〉


 そして、この置手紙を書いて、今のサボーへと意識を明け渡したわけだ。だとすればそこには事実との奇妙な不一致がある。この手紙を書いた主は、その裏路地で意識を取り戻した日暮れから、現在の真夜中まで、たかだか数時間程度しか意識を有していない。


 ならば、現在のサボーが意識を失ってから二日の間、この身体を操っていたのはまた別の意思ということになる。ここに書かれている内容が全て真実であるのなら。


〈どうか、お前の立場から正直に答えてほしい。お前は何を目的として動いている?私はサボーとして振る舞い、この街の一市民として暮らしていたいのだ。平凡な店員として過ごす人生も、書物と触れ合う機会の多い職場へ通えるのであれば文句はない。〉


 この手紙を書いた主も、自分ならざる自我に疑いの眼を向けている。疑いを向けられたところで、今のサボーにだって満足な答えは見いだせない。そも、自分ではない意思がこうして独立した行動を取っていることそのものを、まず飲み込み切れていないのである。


「これは、私の動作不具合だと考えた方が現実的だな。」


 サボーは机の上の置手紙をそっと隅へ押しやり、引き出しから町内の電話帳を取り出す。啓蒙市民の身体を診ている診療所を見つけて丸をつけ、念のために――自分ではないほうの自我に入れ替わった場合に備え――ページを開いたままにして机の上に置いておく。深夜である今から電話しても通じないだろう、明日の朝一番に診療予約を取らなければ。


 自分自身の筆跡にしか見えない文面に対し、他人と交流する時のごとく返答を書き込むことはしなかった。この状況自体があまりに不気味だと感じられたし、治療費をケチることなく診察を受けに行くことの方がよほど現状を改善する手段として相応しいと思えたのである。


「それに、俺が何を答えられるってんだ?」


 サボーだって、サボーとして平凡な暮らしを送ることだけが望みなのだ。その生活の枠からはみ出そうとする意思がいかなるものか、皆目見当もつかない。自分の手に負えない現状に焦燥は募り、今できることも無くなったサボーは椅子に掛け直し、視覚レンズが一枚大きく突き出たその顔を両手で覆う。


「……うん?」


 指に違和感がある。恐る恐る手を顔から遠ざけ、じっくりと観察して気付いた。掌側の指先、人間で言えば指の腹にあたる部分の表面保護パーツを全て喪失している。その損傷部から覗く、体内に張り巡らされた細かく白い糸――啓蒙市民たちにとっての神経系――が露出している様を目の当たりにしたサボーはギョッとして立ち上がった。


「おかしいだろ、こんな指先の表面だけを器用に偶然怪我するはずがない。いったい、私じゃない私は何を考えているんだ?」


 当然ながら彼へ答える声もなく、サボーは仕方なく指先に布切れを巻きつけて翌朝を待つことにしたのであった。

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