竜狩りの物語第十八話 繭を破り加護の外へ
獣人の兵士たちが四つ足となって駆け出して行った後の倉庫は、先ほどまでの喧噪が嘘のように静まり返っていた。恐る恐る覗き込んだ自警団の男達は、至る所に転がっている破壊された鎧、そしてその内容物と思しき真っ白な塊を目撃した。シオルを抱き上げていたサベイは彼女を地面に下ろし、腰の剣を抜いて警戒しながら内部を見回っている。
無傷で残っている鎧はほとんど無かったが、かろうじて両脚部分が残され自立できる鎧たちは静かに直立し、次の指示を待ち続けていた。ほとんど例外なく装甲を砕かれた金属人形たちは、一様に損傷部分から白いものを垂らしている。
「明らかに、獣人兵士の方が強かったですよね。」
「あぁ、アイツらが怯えるなんてことはあり得ない。あのまま攻撃し続けてたら、このガラクタどもを残らず鉄屑に変えちまえただろうに。」
「なぜ、逃げていったんでしょう……それも、あの冷静なアーネストさんが、よ、四つん這いになって。」
先ほどの出来事を未だ信じられない様子で顔を青ざめさせ、口々に語り合う団長サベイと部下の自警団員たち。この状況を不可解に感じているのは、金属人形たちの製作者たるシオルも同様であった。まだ戦闘技術も未熟な人形たちが、熟練の戦士たる獣人たちを撃退してしまったのである。
現在のシオルの心情が誇らしさから遥か遠いものであったとしたら、アーネストが完全に理性を失い、野生動物のごとくふるまう姿を目の当たりにしたショックが大きかったためであったろう。青ざめている自警団員たちに負けず劣らず血色のない顔色となったシオルは、真隣りで聞こえるサベイの声もどこか遠くから響いてくるもののように感じていた。
「ともかく、今の状況はどう考えても普通じゃない。人形の反撃で獣人が逃げたわけじゃないとしたら……何が起きたんだ。」
「この、あっちこっちに散らばってる真っ白な何か、ですかね。壊された鎧の中から出てきたみたいです。」
「よく見たら、カビのような……綿か?細い糸がたくさん集まってる。」
「おい、触るな。これが原因だとしたら、触るだけで気が狂っちまう代物かもしれねぇ。」
金属人形の中にぎっしり詰まっていたのであろう白い糸の塊は、綿のような外観であった。破壊された鎧から飛び出したままの形で、倉庫のあちこちにばら撒かれている。それをつまみ上げようと手を伸ばしていた団員は、サベイの注意に慌てて手を引っ込めた。
その様子を見ていたシオルは、血の気のない唇を開き、カラカラに渇いた喉をかすれさせながらも、どうにか声を出す。
「触っても、問題ないわよ。」
「シオル……?」
「それ、私がこの人形たちを作る時には必ず掴んでいたもの。人間が触っても、気が狂ったりはしない。」
今頃は学院裏庭の研究室にて我が子のようにエノを可愛がっているコルニクスもまた、自律行動する金属人形を創る際には内部の白い糸に直接手を触れていた。性別や年齢に関係なく、人間に大して影響を及ぼすものではないとシオルは確信を抱いていた。
一方、やはり未知かつ不気味なものと相対していることに変わりないサベイは訝しさに眉を顰めながら聞き返す。
「この大量の白い糸は、何なんだ。シオル、お前は何を知ってるんだ。」
「これは、叡智の花弁。礼拝所に安置されてるアレ、箱の中から取り出したら、こうなるの。」
サベイが制止する暇もなく、床にしゃがみこんだシオルはその白い糸の束を掴んで持ち上げてみせる。菌糸のごとく細かなそれらは意外にもちぎれにくい性質のようで、床に垂れたままの部分と繋がりつづけ、よく見れば今もなお僅かに伸び続けていた。
シオルは持ち上げた手のひらの糸をかき分け、その中心に光沢のある鱗のようなものを見つけ出した。それは見る角度によって色が変わる不思議な外見をしており、大量の白い糸はこの物体の表面から生えて枝分かれし、今もなお伸び続けているようであった。
「叡智の花弁って言われても、実物を見たことないよね。こんな白い糸を吐き出すだなんて思わなくて、私も最初はちょっとびっくりした。」
「お前……自分が何を言ってるのか、分かってんのか?」
サベイも他の自警団員たちも、大して信心深い性質ではない。警備を依頼されれば向かうこともあるが、治安の悪い地域から離れた礼拝所に足を向けることなど滅多になかった。ましてや自主的に礼拝に参加するなど、聖典の文言に目を通してまもなく眠くなり始める類の彼らには到底考え難いことである。
それでも、サベイ達は淡々と自らの為したことを語るシオルに空恐ろしさを感じていた。礼拝所に安置された聖遺物を持ち出すことは、禁忌である。誰が、いつ、なぜそう定めたのかを知りはしなかったが、聖職者たちはそれに従っている。信心深いことは善人の証であり、それに反する行為に手を染めるなど到底考えられなかった。
「叡智の花弁を礼拝所から持ち出して、それをこんな人形の中に入れるだなんて……」
「えぇ、それが私のやったことよ。おかげで、こうして戦ってくれる金属人形たちが生まれたんだから。」
「そっ、そんな行い、認められてない!」
「聖遺物に対する冒涜だぞ!」
男達は口々にシオルの行為を諫める言葉を投げかけるも、その口調はどこか自信なさげであった。今の今まで敬虔さの欠片も無く過ごしていた自分たちに、果たして聖遺物の何たるかを語る資格があると言えるのだろうか。そう考えつつも、風習として身についた「良識」にそぐわぬ行いは認めがたかった。
一方、シオルは彼らの語調に迷いの響きがあることを早々に感知していた。孤立無援の状況ながら、怯むことなく言い返す。
「あなた達、聖職者じゃなくて兵士でしょう?同じ自警団員のバルカは、何とも言わずに受け入れたわよ。」
「そりゃバルカは、勉強なんてしたことが無い……おい待て、あのチビのバルカまで、お前は引き入れていたのか?」
サベイは次々に持ち出される情報に混乱し、額に手を当てて壁にもたれかかった。もはやシオルをお嬢さんと呼ぶ余裕も無く、自分の思考を支配する謎を整理しかねた彼はひとまずそれらを全て払い除け、目下の状況に集中することとした。自警団団長として、喧噪に沈む現場を何度も収めてきたサベイゆえの習慣である。
彼は一面が白く細かな糸で覆われた倉庫の中を見、そして先ほどアーネスト率いる獣人兵士たちが理性を失って逃げていく様を思い出した。彼等は逃げていったが、間もなく現場の片付けに獣人兵士の増援が現れる。アーネストの不在を不審に思うことは間違いない。
「……行こう。」
ぼそりと呟いたサベイの意図を、把握しかねた団員が聞き返す。
「どこにです?こちらから報告しに行かずとも、まもなく獣人軍からの増援が来ます。」
「違う、この場を離れるんだよ。俺たちは、アーネストさんからシオルお嬢さんを連行するよう指示されてるんだから。」
「ですが、この現場を説明すべきです。それに、獣人がこの白い糸の塊に触れると、理性を失ってしまうかもしれないんですよ。」
サベイはその言葉には答えず、しゃがみ込んでシオルと目線を合わせる。
シオルの顔からは相変わらず血色が失われていたが、その目つきは常通りの意志の強さを取り戻したようであった。一方のサベイの目も、もはや不可解と困惑に狼狽えて泳いでなどおらず、自警団を率いる団長として強い眼差しを彼女へ注いでいた。
「この人形どもに、命令できるか?獣人が入って来たら、この白い塊を投げつけて戦うようにって。」
シオルの両目が見開かれる。獣人の兵士がいかに精強で、戦って勝つことがいかに無謀であるかをサベイはよく知っている。そんな彼が、人間による反抗に成功の兆しを見出したことを、その笑顔は雄弁に語っていた。




